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20世紀とは何だったのか
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第5章 「大衆社会」とは何か 近代主義の負の遺産

『20世紀とは何だったのか』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


読了目安時間:34分
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大衆民主主義の登場と政治の大転換

 ヨーロッパの近代が行き着いた精神的状況を、本書ではニヒリズムとして理解してきました。そこには、ニーチェやハイデガーが述べたように、ニヒリズムはヨーロッパ産のものであるとの理解があります。キリスト教に深く(ひた)されたヨーロッパ文化が生み出した、ヨーロッパの近代市民社会そのものがニヒリズム的だということです。そして、このニヒリズム的な精神状況は、より具体的な社会状況と対応しているのですね。その社会状況とは、大衆社会にほかなりません。

 大衆社会とは、すでに述べたように、何よりまず階級社会の崩壊です。しかし、この階級社会の崩壊という事実は、政治的および経済的な大きな変化を意味しています。

 それを詳述することはしませんが、基本的なことだけいっておきますと、まず政治の領域で、普通選挙の実施により民主主義が拡大していく。これは政治の大衆化にほかなりません。従来の代表制もしくは指導者を軸にした政治の考え方、つまり代表者が大衆を指導していく指導者型の民主主義から、大衆が参政権も被参政権ももち、大衆の代表が政治家になる、場合によっては大衆の代表が首相になる、そういう意味での大衆民主主義の登場です。

 もともと、ヨーロッパにおける政治の基本的な考え方は、社会の上層部を形づくる指導者が統治をするというものでした。ですから、民主主義といってもあくまで代表制が本来の姿で、優れた指導者を選ぶ主体が人民というだけのことです。どうもわれわれは、だれもが自由に政治家になり、大衆の代表として大衆の主張を政治的に実現するところに民主主義の重要性があると考えがちですが、そういうわけではない。

 そうではなく、政治を行う者は、それなりの見識と教養と財産をもったエリート階級から出てくるものだという理解がある。優れた者が大衆を指導することが政治であるというわけです。それを世襲で選ぶのではなく、人々が選ぶのが民主主義である。指導者が世襲的に財産や家柄で決まる場合には貴族政、一人の人間が世襲的にやる場合には王政となるわけです。これがヨーロッパの民主主義の理解なのです。

 だから大衆民主主義は、ただ民主主義が拡大したということではなく、民主主義の思想の大きな変更なのです。もっといえば、政治なるものの理解の大転換です。政治は、一部のエリートが多数を指導するものではなく、多数が多数の意思を実現する仕組みに変わっていった。大衆民主主義とは、政治家になる側も政治家を選ぶ側も基本的にはまったく同じであるという前提から出発します。その結果、政治家とはたまたま人々の利益の委託者、代理者として政治の場に登場しているにすぎないのであって、大衆を指導するような存在ではない。政治家が大衆を指導するのではなく、大衆が政治を動かすのです。

 今日のわれわれが考える民主主義とは、このような意味では明らかに大衆民主主義ですね。本来、民主主義は指導者型の民主主義であった。十九世紀ヨーロッパの自由主義的な考え方においてさえ、民主政治はあくまでエリートによる大衆の指導だったという事実を忘れてしまっています。

資本家でも労働者でもないサラリーマン層の拡大

 経済の面でいえば、これは次の章でも述べますが、階級社会型の経済から大衆の経済へと移行してゆきます。富の均質化が進行し、階級間での富の格差や資産の格差、生活スタイルの格差は縮小してゆくのです。大企業組織の登場によって、マルクスが問題にしたような資本家階級と労働者階級の間の決定的な対立は弱まり、資本家階級でもなく労働者階級でもない中間層が急速に増大してくる。

 これは、ひとつには株式会社の形成によって、資本の所有者が広く中間層にまで拡大してゆき、また、経営が資本の所有から自立するために、企業が大組織化されてゆくからです。この企業組織のなかにいる者は、資本家でも労働者でもなく、すべての者がその企業の従業員であり被雇用者なのですね。こうした企業内の一般的被雇用者、とりわけ組織の維持や拡大に寄与する事務的で知的な労働者、彼らが中間層をつくる。こうして資本家でも労働者でもないような中間層が出現します。

 中間層の形成は、社会の近代化にとっては非常に重要なことです。どうしてかというと、中間層はおおよそ似たような生活様式を実践し、似たような思考様式をもつ。日本では大正時代にサラリーマン層が形成されていきますね。二十世紀の初めです。ヨーロッパも事情は同じで、ドイツでクラカウワーという人が、その名も『サラリーマン』と題する本を書いていますが、サラリーマンという新しいタイプの人間類型が登場するのです。

 日本では、小津安二郎の映画のほとんどがサラリーマンのごく平凡な、典型的な生活を描いていますね。特に初期の作品に、たとえば『生まれてはみたけれど』という作品がありますが、要するに上司にぺこぺこばかりしており、郊外に住んで家族のために働くサラリーマンを描いています。

 こうして社会の中核部分に、ひとつの画一化された領域が出てきます。社会全体にそれが広がっていく。そして結局、民主政治の主役はこの中間層に握られることになるのですね。そのことを別のかたちでいいかえたのが、大衆民主主義の成立というわけです。

 この中間層はかつての十九世紀の下層労働者層に比べれば、はるかに知的レベルも高く、教育水準も高い。活字メディアにも親しみ、ジャーナリズムにも関心をもつ。したがって彼らは、彼らの代表を政治の場に送り込もうとする。当然、こうしたメディアやジャーナリズムの進展も、大衆民主主義の成立と密接にかかわっています。

文化が商品化され、感動が消失する──複製技術革命

 三番目に、文化の領域で重要な変化が生じます。決定的に重要なことは、ヴァルター・ベンヤミンのいう複製技術革命といってよいでしょう。同じものを大量に複製する技術ですね。

 典型的なのは印刷機です。もちろん、印刷技術そのものはグーテンベルクの時代からありますが、この時代に印刷機そのものが飛躍的に改良され、新聞、雑誌などが大量部数を印刷できるようになり、しかも写真印刷が可能となります。写真の複製技術が開発される。写真を使うことで、ニュースの効果がいっそう情緒的なものになり、かつ人々に訴えるようになって、その結果、新聞、雑誌が著しく大衆化します。
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