『古代日本人と朝鮮半島』
[著]関裕二
[発行]PHP研究所
仲の良い隣国など、この世に存在するのだろうか。
なぜか人類は、隣人と敵対する生きもののようだ。敵対するお隣はさらに向こう側の隣と敵対しているから、隣の隣は味方になるのだ。
これがいわゆる遠交近攻である。
弥生時代後期の日本列島内部でも、出雲と丹波が水と油の関係にあり、出雲で発達した四隅突出型墳丘墓は丹波を通り越して越前、越中に伝播し、かたや丹波は、越後と同盟関係を結んでいる。
現代も同じだ。日本と朝鮮半島は、うまくコミュニケーションがとれずにいる。それは、隣国ゆえの宿命なのだろうか。
「仲良くやっていくべきだ」と、啓蒙する気などさらさらない。だからといって、「もっと日本の正義を主張すべきだ」と声を張り上げたいわけでもない。
せめて、日本と朝鮮半島の関係を、古代にまで溯って見つめ直し、「なぜあんなわけの分からないことを言い出すのか」「なぜ、互いの主張が平行線を辿るのか」などなど、日本と朝鮮半島の間に横たわるを解き明かすためのヒントを見つけてほしいと願うだけだ。
日本と朝鮮半島は、長い間、交流を重ねてきたのに、なぜここまで、文化、風習、思想に違いがあるのだろう。
日本と朝鮮半島の間を対馬海峡が隔てているが、縄文時代にはすでに往き来があって、九州北西部と朝鮮半島最南端沿岸部は、一時同一文化圏のような状態にあった。
しかも、朝鮮半島の人びとは、ひとたび政争に敗れ、身の危険を感じると、日本列島に逃れてきたから、現代人に占める渡来系の血の割合は、けっして少なくない。
それにもかかわらず、なぜ二つの地域は、対立し、批難し、お互いを理解できないのだろう。
ここに、「地勢上の必然」という問題が隠されている。
日本列島は、ユーラシア大陸から見て最果ての地で、文物の吹きだまりになった。また中国やシルクロードの先からやってくる先進の文物は、朝鮮半島を経由してもたらされた。
朝鮮半島側には、「われわれの知識を日本に教えている」という優越感が芽生えただろう。
しかし、古代の半島人が知識や先進の文物を善意で日本人に渡していたはずはなく、それは基本的に「対等な交易」だったろうから、半島人が感じていた優位性に関して、古代の日本人は無頓着だったろう。
ここに、二つの地域のすれ違いの素地がある。
さらに、ヤマト朝廷は朝鮮半島に盛んに遠征軍を送り込み、高句麗の南下をくい止めていたのだから、当然の見返りを獲得しているに過ぎないと思っていただろう。
また、政争に敗れて逃げてきた半島人を「受け入れてあげている」という思いもあったかもしれない。
だから、当時の列島人は朝鮮半島に対して、負い目を感じることもなかったはずだ。
ここで指摘しておきたいことは二点ある。
まず第一に、青銅器が日本にもたらされる以前、すでに日本列島には、一万年の縄文時代があって、現代人の想像を遥かにしのぐ、独自の文化を形成していたこと、そして第二に、「縄文文化という確固たる基礎」が出来上がっていたので、次から次へとやってくる新たな文物や発想(思想や信仰、政治制度)に、すぐに適応していったことだ。
すべてを受け入れるのではなく、取捨選択し、不必要なものには見向きもせず、気に入ったものには磨きをかけ、いつの間にか実物を凌駕してしまった。
仏教美術が日本にやってきて、ようやく完成したと言われるのも、このあたりの事情と関わっている。
日本が縄文時代以来、「けっして世界で一番にはなれなかったが、そこそこの繁栄」を継続し、独自の文化を発展させてきたのは、このような奇妙な特技を持ち合わせていたことと無縁ではないだろう。
地理的に吹きだまりだから、先進の文物を受け売りして、それを日本から「弟分」の地域や国に「下賜する」こともなかった。
この点日本人は、朝鮮半島の人びとのような「やや屈折したプライド」を抱くこともなく、個性的で独自な文明を築き上げたのではなかろうか。
そして、「われわれがすべて教えた」と信じて止まない隣国にすれば、日本的な感性が今世界で称賛されるのが、たまらなく口惜しくて仕方がないのだと思う。
「何もかも韓国が起源だ」と主張してくることも、鷹揚に受けとめなければなるまい。
そうなのだ。「最果ての地」「吹きだまり」だったことが、太古から現代に至るまで、日本人の素質を決定づけてきた最大の原因だったのではないかと思えてくる。
結論を先に言ってしまえば、お人好しで戦いに弱く、争いに敗れ追い出されてきた人間が、最後に辿り着いたのが日本列島であり、もう逃げ場がない列島人は、この地でいかに生きのびるかを模索したのだろう。
幸い、海に囲まれ、外敵を寄せ付けない地の利の中で、人びとは共存の道を探っていったのである。
文物の通り道であるがゆえに、つねに隣国の侵略の脅威に怯え続けてきた朝鮮半島の人たちとは、根本的な発想が違っていたのだ。
「文物の通り道(朝鮮半島)」と「最果ての地(日本列島)」に別れた人たちの意思疎通がうまくいかないことは、むしろ当然のことなのだ。
ならばどうすればよいのだろう。
まず、人類の誕生まで溯り、日本人の起源、古代の日朝外交史を見つめ直し、なぜ二つの地域の人間は違うのか、どこに差があるのか、その実態を見つめ直すところから、相互理解の第一歩にしてみたい。
そこで、一部私見と独自の推理を交えながらも、古代史と外交史の事実を淡々と積み上げていきたいと思うのである。