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愛国者がテロリストになった日
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歴史
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第十一章 判決

『愛国者がテロリストになった日』
[著]早坂隆 [発行]PHP研究所


読了目安時間:19分
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国葬


 明治四十二年(一九〇九年)十一月四日、日比谷公園を臨時の斎場として、伊藤博文の御霊を(とむら)うための国葬が執り行われた。暗殺から九日後のことである。

 出席者には、内閣総理大臣・桂太郎をはじめ、陸軍大臣・寺内正毅(まさたけ)、海軍大臣・斎藤(まこと)らの姿があった。山縣有朋や東郷平八郎、乃木希典といった重鎮たちも軒並み参列した。

 韓国側からも勅使の他、政府要人らが多く出席。追悼の意を表した。

 (ひつぎ)は祭壇の中央に置かれ、その周囲を数多の花輪や(さかき)が埋めた。

 式が終わると、棺は(おごそ)かに馬車に乗せられ、大井町の谷垂(たにだれ)にある墓地へと移送された。


 同日、韓国の漢城でも李完用(イワニヨン)首相の主催による追悼会が行われ、官民合わせて一万人以上もの人々が列席した。漢城ではその後も、歌舞音曲や朝市が自粛されるなど、様々な対応が見られた。韓国の民衆の中には、伊藤の遭難を(よろこ)ぶ者もいたが、その一方で、この暗殺が契機となって日本の対韓政策が強硬な態度に転じることを危惧する声も多く聞かれたという。

 韓国のカトリック教会は、この暗殺事件に関して、
「大罪を犯した」

 と安重根(アンジユングン)舌鋒(ぜつぽう)鋭く非難。キリスト教の教義において、殺人はまさに「大罪」とされている。教会側としても、暗殺を認めることなど到底できなかった。

 韓国の皇室が、伊藤の死を(いた)み、暗殺者の存在を深く恥じたことは、前章で触れた通りである。

 つまり、暗殺事件勃発時には、当の韓国側でさえ安重根の行為を必ずしも肯定していなかったのである。伊藤の存在を絶対的に(おとし)め、安重根を民族の英雄として称揚するようになったのは、実は戦後の反日主義の暴走の中で定着したことであった。民族を束ねるための磁力の中心として、安重根は利用されたのである。

獄中での生活


 国際的にも広く関心を集めたこの暗殺事件だったが、捜査の対象地域は韓国は勿論、清国やロシアまで広範に及んだ。この捜査を指揮した者の中には、日露戦争時の諜報活動で歴史に名を残す明石元二郎(あかしもとじろう)も含まれる。明石は伊藤暗殺事件の発生当時、韓国で憲兵隊長の任にあった。歴史の裏話のような逸話である。


 旅順監獄署に移送されてから、検察による安重根への尋問は本格化。監獄庁舎のすぐ裏手に位置する建物の一室が、取調べの舞台となった。

 現行犯である安重根の殺人罪に大きな疑義はなかったものの、共犯者たちの関与の仕方については、未だ不明な点が多かった。

 そんな安重根だが、昼間は平然と取調べに応じ、夜はしっかりと熟睡したという。

 安重根は当初、食事への不満を口にした。
「我れ国家の為に命を捧げて敢えて大事を冒せり。之、志士の本領なり。然るに此の如き不味なる食物を給するは、志士に対する道にあらず。我れ断じて食わず」

 日本側はこれを考慮し、白米と副食の充実を図った他、蜜柑や林檎、梨といった果物類を配給するなど改善に努めた。更に、茶や牛乳も添えるようにした。

 喫煙も許可された。煙草は金色の吸い口が付いたエジプト煙草である。日本側としては、異例の配慮であった。

 入浴は、週に一度の割合で許された。

 その他、運動の時間も設けられており、家族との文通も認められた。総じて、過剰とも言えるほどの厚遇である。無論、拷問などは、全く行われていない。
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