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インテリジェンス入門 英仏日の情報活動、その創造の瞬間
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歴史
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1章 ドイツ──シュティーバーの衝撃

『インテリジェンス入門 英仏日の情報活動、その創造の瞬間』
[著]柏原竜一 [発行]PHP研究所


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ビスマルク、モルトケの登場


 一八六一年、発狂した兄王フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世に代わってプロイセン王の位についたのは、弟のヴィルヘルム一世でした。ヴィルヘルム一世は、保守的で軍人的な気質の持ち主でした。彼は、ヘルムート・フォン・モルトケを参謀総長に、そしてオットー・フォン・ビスマルクを宰相に任命します。モルトケとビスマルク、この二人の歴史への登場は、ドイツ史のみならず世界史を大きく変えることになります。


 ビスマルクには、大きな夢がありました。それは、プロシアのリーダーシップの下にドイツを統一することでした。一六世紀の宗教改革と、それに引き続く一七世紀の三〇年戦争の結果、一八世紀には、ドイツは約三〇〇もの小国に分裂していたのです。さらにそれに加えて、プロイセンにはオーストリアというライバルがいました。オーストリアの力を押さえながら、これらの小国を結集するというのは非常に困難なことでした。しかし、ビスマルクはそれを実現してのけるのです。


 ドイツ統一というこの目標を達成するにあたって、ビスマルクには明確なドイツの将来像と、そのための経路を胸に描いていました。同時代人であるフリードリッヒ・ニーチェのように、ビスマルクもまた力を、そして力だけを信奉していました。しかし、ビスマルクは哲学者ではありません。ビスマルクにとって超人の概念は極めて現実的なものでした。彼はこの世界を具体的な言葉で次のように表しました。「国家の重要性は、その国家が前線に送ることができる兵士の数で測定される。」


 ビスマルクのドイツは、着実に強大化しつつありました。しかし、彼の大目標を達成するには、ナポレオン以来久しく見られなかったようなある種の冷酷さが必要でした。国益が関わる場合、欺瞞もしくは力による政策は、道徳に触れることなく正当化されねばなりませんでした。ビスマルクはそうした政策を「リアルポリティーク(現実的な政治)」と呼んだのです。


 同じく参謀総長に就任したモルトケは、ビスマルクの目標を現実化する任務を負っていたと言えるでしょう。しかし、モルトケにはビスマルクの熱望も、彼の政策実行手段にも全く関心がありませんでした。モルトケは謹厳実直な人間として知られており、感情を表に表すことはほとんどありませんでした。彼が生涯において笑ったのは二回だけで、一回があるポーランドの砦が難攻不落であるということを耳にしたときと、もう一回が彼の義理の母親が死んだことを聞いた時だったといわれています。彼に影響を与えた唯一の本は、クラウゼヴィッツの『戦争論』でした。とはいえ、モルトケのプロイセンに対する見解は、ビスマルクの見解を反映していました。すなわち、それは軍事・外交を重視し、戦争と外交の間の緊密な関係を追求するというものでした。このクラウゼヴィッツという戦略思想家とニーチェという哲学者の結合、それに軍人であるモルトケと政治家であるビスマルクの結合は、それ以降のドイツ国家の思考様式ならびに行動様式の原型を形作ることになるのです。


 しかし、この二人のプロシア人はある点で決定的に異なっていたのです。それはインテリジェンス(情報活動)に対する見方でした。モルトケにとって、インテリジェンスとは、訓練を受け整然として活動する参謀本部の幕僚によって管理されるべきものでした。しかし、ビスマルクのインテリジェンスへの見方はモルトケとはまるで異なっていたのです。

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