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西欧近代を問い直す
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政治・社会
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はしがき──西欧近代とは何か

『西欧近代を問い直す』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


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 この数年、私は勤務先の京都大学(二〇一五年三月まで)で、「現代文明総論」という講義を担当していた。これは、全学部に開かれた「全学共通科目」のひとつで、かつては「一般教養科目」といわれていたものだ。科目の性格上、受講生は、一、二回生が大半で、しかも、文系、理系、おおよそ半々である。テーマは年によって異なるが、この二、三年は、ほぼ共通のテーマを設定している。そして、その講義をテープにとり、それをもとにしてできあがったのが本書である。
「現代文明論」という科目が全国の大学にどれくらいあるのかは知らないが、決して多くはあるまい。もともとは、教養課程の廃止や、それに代わるかたちでの学問の総合化、目新しい授業科目の設定などという、この十年ほどにわたる大学の混乱と変動の産物といってしまえばそれまでだが、その背景には、今日、われわれが直面している課題が、一種の「文明論的」な展望をもたないと対処できない、という認識があったことも事実であろう。

 どのような問題でもよい。われわれがかかわってくるこの時代の問題を取り上げてみよう。グローバル化した経済のなかでの生の不安。国際関係に翻弄される環境問題。アメリカを中心とする世界の政治構造や新たな戦争。過剰なまでの情報とそれを産出するメディア。そしてそのメディアによって攪乱(かくらん)される民主政治。生の意味が希薄化して衝動的な犯罪に走る少年たち。あるいはまた、クローンや遺伝子操作による「人間」の意味の変容。これらは、どれをとっても現代の大きな課題であることに間違いなかろう。

 そして、このどれもが、もはや、政治学、経済学、社会学、心理学、教育学という従来の学問的編成では、うまく捉えきれなくなっている。どうしてか。それは、ひとつには、これらの諸問題が、もはや経済や政治や人間心理の特定の領域に収まりきれず、それらを相互に貫入するかたちで生じているからである。

 しかし、もうひとつ理由がある。それは、これらの問題が、どうやら従来の学問の手法や論理によっては解決できないと思われるからだ。グローバル経済の現実は、もはや従来の経済学の理論には収まらないし、テロが開いた新たな戦争と世界状況は、従来の国際政治論の枠組みを逸脱している。特に日本で近年見られる少年犯罪やその生態も、これまでの心理学、精神分析学の枠からはみ出してしまっているように見える。つまり、現実のほうが、学問的知識よりはるかに急激かつ無秩序な地殻変動を起こし、われわれをその混乱のなかに引きずり込み、翻弄している。このなかで、われわれは茫然と自失に陥っている。

 これが、今日の状況といってよいだろう。これらの課題に対して確かな回答が与えられるというものではない。また、個別の専門的知識が不要だというわけでもない。ただ、それ以前にまず重要なことは、これらの問題を生み出している根底にあるものは何か、それを見据えることではなかろうか。

 先にあげたわれわれの時代の課題は、決してバラバラで、偶発的なものではない。そこには、それらを生み出した太い地下茎がある。これらの問題には基本的な共通性があって、それは、われわれが、われわれの生や生活の枠組みに対して確かな意味づけができなくなってしまっている、ということであろう。生や行動の指針について何か確かな価値が必要なのだが、だれもそれを手ごたえたしかには受け取れない。そして、この地表では観察できない地下茎を取り出すには、歴史的、思想的な展望をもった、ある「視座」を据えることがどうしても必要となるであろう。その視座を据えるものこそが「現代文明論」の課題なのである。

 私には、現代の混迷と混乱のもとにあるものは、結局、「自由」と「秩序」の観念をめぐるものだと思われる。「欲望」と「規律」といいかえてもよいだろう。「解放」と「権威」といっても同じことだ。これらの観念について、われわれは新たな定義づけ、新たな関係づけを求めている。別の言い方をすれば、これまで歴史的に生成してきた「自由」と「秩序」をめぐる思考がうまく機能しない、ということである。これは、端的にいえば、西欧の近代思想の挫折といってよいと思われる。なぜなら、「自由」と「秩序」をめぐる問題は、これまで基本的に西欧近代と呼ばれる知的枠組みのなかで論じられてきたからである。

 しかも、わが国の場合には、戦後、その西欧近代の思考体系をほとんど無条件に、しかも、じつはきわめて恣意(しい)的に受容してきた。われわれはすでにどっぷりとこの習慣のなかに浸かってしまっているといってよいだろう。

 そこで、「現代文明論」の講義では、私は、われわれが自明のものとしており、そのなかにすっかり浸かってきた西欧近代の思考を、まずは相対化してみるところから始めようと考えた。そのうえではじめて、現代文明の本質とその危うさ、さらにいえば、混沌(こんとん)の根にあるものが見えてくるのではないかと思う。だから、この講義は、現代社会の課題をひとつずつ列挙してそれを検討するというものではなく、それらの背後にあって、われわれの生を頼りないものとしているものは何か、それを追求しようとしたものであった。

 本書は、すでに述べたように、大学の一回生が十分に受講できるような講義をもとにしている。年間の講義は、新書一冊には収まらないので、上下の二冊に分かれているが、もちろん、上下、それぞれを独立したものと考えていただいても差し支えない。この「上」では、西欧近代の意味を問い直すという作業を行っている。

 もともとが大学の初学者を対象とした講義なので、別に特別な予備知識もいらないし、また、思想の「最先端」の議論をしているわけではない。取り上げる思想家も、ルソーやホッブズ、ウェーバーなど、だれもが一応は知っている「超大物」ばかりである。しかし、彼らをいかに解釈し、彼らの思想の意味をどのような文脈に位置づけるか、この点については決して平凡で通り一遍の紹介をしているわけではない。本書は、その意味では、西欧思想の解説書ではまったくない。ここにはひとつの見方があって、それは、西欧思想への私なりの見方にほかならないことを断っておこう。本書の意図は、あくまで、「現代文明」の本質を捉えるために、われわれは最低限どのような展望をもっておく必要があるか、このことを私なりに論じるところにある。

 講義をもとに手を入れて一冊の書物にするという企画は、直接にはPHP新書編集部からのお誘いの産物である。だが、私自身も、「現代文明」についての私の見方を、大学キャンパスの外へ運び出すこの好機に飛びつかない法はなかろう。学生諸氏だけではなく、この種の問題に関心をもつできるだけ多くの人々に読んでいただければ幸いである。


 二〇〇三年九月
佐伯啓思 
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