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西欧近代を問い直す
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政治・社会
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第2章 「確かなもの」の探求 西欧近代の成立

『西欧近代を問い直す』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


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近代社会と前近代社会を分かつ三つの革命的変化

 近代とは「歴史の進歩」という意識を伴うといいました。その場合、「進歩」といってもいろいろあります。漸進(ぜんしん)的でわずかずつ変わってゆくこともありますし、急激に段階的に変化することもあります。内発的なものもありますし、外部からの力によることもあります。しかし、西欧近代の「進歩」という意識についていえば、「進歩」はいくつかの局面で内発的に、しかもいわば歴史の飛躍を伴って行われたとみなされてきました。つまり、前近代社会と近代社会の間には大きな断層があるということです。

 われわれは、しばしば、古代、中世、近代という区分で歴史を見ます。あるいは、古代社会、封建社会、近代社会という区別です。これはいささか単純化されていますが、こうした図式の背後には、歴史は不連続に飛躍するという観念があります。しかも、ここにヘーゲル的な歴史観を挿入すると、中世は古代の限界を打ち破って登場し、近代は中世を破壊して登場したということになります。

 特に、前近代社会と近代社会の間には、決定的な断層があります。そのために、前近代社会と近代社会は基本的に性格を異にした社会だという理解が出てきます。社会学者のデュルケームは、前近代社会を「機械的連帯の社会」、近代社会を「有機的連帯の社会」、つまり職業などの「分業」が高度に発達した社会だとしましたし、テンニエスは、有名な「前近代=ゲマインシャフト」「近代=ゲゼルシャフト」の概念によって特徴づけています。これは、前近代が地縁、血縁などの共同体的関係によって成り立っているのに対して、近代はある目的に従って人々が集団を自由に組織する協同社会だということです。

 同様なことは、法律学者のメインがいった「身分社会」と「契約社会」という区別にも示されています。また近年では、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズも、前近代社会と近代社会の間には埋めることのできない大きな溝があると述べていますね。

 このように、近代社会とはある断層を飛び越えて登場するものです。では、この断層とは何か。それは「革命」です。ここには三つの大きな革命がありました。ひとつは科学革命。われわれの認識の変化、世界観の変化で、合理的な認識、世界像を打ち立てるということです。いいかえると、近代以前の人間の認識は非合理的で、たとえば、ものの因果関係にしても、神の意思であるとか、魔術によるとか、超自然的なものをもってくる。マックス・ウェーバーは前近代的思考を魔術的、あるいは呪術的思考と呼んで、近代とは、呪術的思考からの解放であり、何よりまず思考の合理性を高めることだといっています。近代化とは「脱呪術化」にほかなりません。

 この場合、「合理的思考」とは何なのかと問い詰めてみたい気はするのですが、それはここではやめておきましょう。

 第二は市民革命です。歴史的には、十七、十八世紀に、経済力をつけてきた新興ブルジョアジーが王侯貴族の特権に反対して、自由や政治参加を要求する。さらにはその範囲が拡大し、フランス革命においては、封建的な特権は廃止され、一時的には無産階級にまで自由や政治参加が拡大するわけですね。それ以前の権威主義的な特権階級による政治体制が崩壊し、市民革命によって政治上の自由、平等、人民主権、それに基本的人権などの観念がもたらされる。これが市民革命です。その意味では、これは「脱権威化」といってよいでしょう。

 もうひとつは産業革命です。産業革命がもたらしたのは、むろん産業技術の展開なのですが、それだけではなく、産業技術の展開を市場経済と結びつけ、経済成長を生み出すことで豊かさを達成するということです。この場合、市場経済は人間の活動領域を広げ、また人間の移動性を高めます。その結果、まさにマルクスがいったように、人間は特定の土地から切り離されて、自分の労働力を商品として売るようになるわけです。また、産業技術の展開は、農業とは違って、もはや特定の場所に縛られません。その意味では、産業革命は、人や生産活動の特定の場所、土地からの解放、すなわち「脱土地化」、あるいは「脱場所化」、さらにいえば「脱共同体化」をもたらしたといってよいでしょう。

 まとめていえば、近代社会は、呪術的思考から合理的思考へとわれわれの思考方法を変え、王権や君主権、貴族の特権といった伝統的権威主義的な政治体制から、自由で民主的な市民中心の政治体制への転換をもたらし、さらに、共同体的な土地に依存した経済から、共同体を離れ、場所に縛られない市場経済、産業技術の展開へと移行する、ということです。この三つの革命が古い体制を打ち破って近代社会をつくった。ここでは、「歴史の進歩」は断層を伴って飛躍的に行われるのですね。これが通常の理解でしょう。

権威や不平等や貧困は無条件で悪なのか

 本書ではこの立場はとりません。本書を通じてお話ししたいことのひとつは、こういう歴史観は適切ではないということです。ただそうはいっても、「歴史の進歩」という考え方にはある種の魅力とそれなりの説得力があることも否定できませんね。人間は解放を求めて闘争する、その結果、人間の自由が拡大し、平等性が拡大し、それで豊かさが実現してきたというようにどうしてもわれわれは考えてしまう。そして、それがまったく間違っているわけでもない。

 しかし、歴史が進歩するといったときには、進歩という観念にはひとつの価値が付与されています。人間の自由の拡大、つまり規範的なもの、権威的なものからの解放は無条件に善であり、人間の移動性が増して空間的な活動領域が拡大することは望ましく、富を手にすることは無条件によいことだ──そういう価値観がここにはあります。ということは逆にいえば、規制や権威は悪であり、土地や共同体への執着は悪であり、いかなる不平等も許されるべきことではなく、貧困はそれだけで悪だということになります。
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