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西欧近代を問い直す
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政治・社会
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第6章 個人主義の起源 マックス・ウェーバーと西欧近代

『西欧近代を問い直す』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


読了目安時間:32分
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近代を特徴づける「合理化」とは何か

 しばしば、「西欧は個人主義で、日本は集団主義だ」といわれます。これはかなり単純化した言い方で、実態はそれほどわかりやすいものではないと思いますが、日本はともかく、西欧に個人主義的意識が強いことは間違いないでしょう。しかし、同時にまた、西欧は民族意識や国民意識、つまりナショナリズムも同様に強いのです。

 そこで、ここでの問題は、西欧の個人主義をどう理解したらいいのか、ということです。特に、戦後の日本では、日本の近代化のカギは、西欧並みの個人主義を日本に根づかせることだといわれ、現在でもこの議論はさまざまに変奏しながら繰り返し出てきます。では、その場合、西欧近代の大きな特徴とされる個人主義は、どのような特質をもっているのか、どのような背景のなかで生まれてきたのか。ここで論じたいのは、そのような問題です。

 ただ、「西欧個人主義の起源」といっても、それほど厳密な、包括的な話をするつもりはありません。西欧の個人主義の源泉を古代ローマの精神に求めたり、ルネッサンスの個性重視に求めたり、また、所有や財産の社会構造に求めたり、ヨーロッパ社会の基底にある「人類学的構造」に求めたりする議論がありますが、ここではそれらを包括的に論じるのではなく、ただひとつの側面からのみ論じてみましょう。それは、キリスト教との関係です。

 その前に、改めていっておきますと、たとえば、社会契約という考え方は、自由な個人を出発点にしています。そもそも契約という思想の前提には、自発的に意思を決定することのできる個人がある。では、その主体としての個人はいったいどうして生み出されてきたのかとなると、これは西欧の近代社会を理解する重要なカギですね。

 社会契約論は、自然状態をまず想定して、あたかも自然にまで還元すれば、本来は人間は自由な個人であるかのように述べますが、むろん、そんなことはありえないわけで、個人主義という価値自体がある社会的な背景のもとで生み出されたものなのですね。エリアスは、個人こそがかけがえのないものだとの自己意識そのものが、西欧のある時代のある社会構造の産物だとみなしていますが、たしかに、個人主義とは、個人主義という価値がある特定の状態で社会的に形成されてはじめて出てくるわけです。

 ここで参考にしたいのは、社会学者のマックス・ウェーバーの議論──きわめて著名な社会学者による古典中の古典『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。

 この書物が最初に論文として発表されたのは一九〇五年で、その後、さまざまな批判を受けたのち、一九二〇年に改定されて出版されています。マックス・ウェーバーは、いうまでもなく十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて活躍したドイツの代表的社会学者で、彼の仕事は膨大なものですが、その終生の関心は、なぜヨーロッパにおいてのみ近代化が生じたのか、いいかえれば、ヨーロッパ以外の地域では近代化はどうして不可能か、もしくは遅れたのか、ということでした。そしてその回答を与えるために、彼は宗教社会学という分野を切り拓きます。宗教の教義やその社会的意義こそが近代化と深くかかわっているというのが、彼の研究を貫いているテーマです。

 ウェーバーによると、「近代化」とは、何よりまず、人間のものの考え方、生活様式、社会に対する態度、人間関係──こういうものを全体として合理化し、合理的に組織するということなのですね。「合理化」することこそが「近代化」の決定的な特徴です。

 では「合理化」とは何か。これは、対象を意識化し、対象を目的─手段の関連のなかに整え、ある目的を達成するためにどのような手段をとるのがよいか、その効果や意味を客観的に確定してゆく、そういう意識的で客観的な作業、それが合理的態度ですね。この場合、行動の意味を客観的なかたちで測定し確定していかなければなりません。そこから主観的で人格的な要素は排除してゆく。

 こういうかたちで対象や行動を意識化するということは、こちら側に確かな主体が存在するということです。ですから、合理化は、確かな個人という観念の成立と深くかかわっています。そして、この考え方はヨーロッパでのみ──「のみ」というのは少し強すぎるかもしれませんが、主としてヨーロッパで生じてきました。アジア、イスラム圏からは、この意味での「合理化」は、決して大規模に、しかも組織的には生じなかったということです。

 この合理主義が著しく示されるのは、いうまでもなく、まずは科学の分野です。つまり科学的認識が生まれ、いわゆる近代科学が誕生します。これはわかりやすいですね。しかし、もうひとつ重要な分野があって、それは経済です。近代的な経済は合理的に計算し、合理的に利潤を追求する。合理的に利潤を追求する合理的人間──のちに「ホモ・エコノミクス(経済人)」としばしば呼ばれる類型は、もっぱら西欧で誕生した。これは西欧近代を特徴づけるものだというのがウェーバーの主張なのです。

合理的な資本主義は、なぜ西欧で可能であったか

 そこで、よく知られた議論ですが、念のためにまずウェーバーの主張を要約しておきましょう。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるウェーバーの問題は、改めていうとこうです。どうして西欧においてのみ、近代的で合理的な資本主義が成立したのか。それを、さらに限定すれば、その西欧においても、どうしてオランダやイギリス、そして、ヨーロッパではありませんがアメリカにおいて資本主義は成立し発達したのか。逆に、ドイツやイタリア、スペインなどではどうしてその発展が遅れたのか。こうした問いです。

 この問いは十分に重要な問題をはらんでいます。なぜなら、中世の西欧世界は、精神的バックボーンはあくまでキリスト教ですから、利潤追求や利己主義は忌避(きひ)されるわけですね。
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