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自分でできるカウンセリング心理学
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生き方・教養
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「子どもっぽさ」と「子ども心」について

『自分でできるカウンセリング心理学』
[著]福島哲夫 [発行]PHP研究所


読了目安時間:7分
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 実際の年齢よりもはるかに子どもっぽい大人は困ったものである。とくにそれが上司や教師という指導的な立場にある人であればなおさらだ。個人的な好き嫌いで物事を判断してしまう人、自己中心的な言動の多い人、感情の浮き沈みが激しくてしかもそれを表情や言動に直接出している人などが、この「子どもっぽい」にあてはまる人と言っていいだろう。

 しかし、一方で最近はかなり年長の男性に対しても「可愛い」という形容が肯定的な意味で使われるようになってきている。この「可愛いオジサン」という言葉は何を意味しているのだろうか。

 それはある程度の年齢になっても少年、少女のような恥じらいや、茶目っ気、さらには夢や好きなものを持ち続けているような人のことを言っているのだと思う。

 ここでは、このような可愛らしさや少年、少女のような心を「子ども心」と呼んでみるとする。

 つまり、「子どもっぽさ」とは、自己中心的、好き嫌いが激しい、感情の浮き沈みが激しいなどの行動パターンといえるし、「子ども心」は恥じらい、茶目っ気、夢見がちなどを中心とする行動パターンといえる。

 そうすると「子どもっぽさ」と「子ども心」という二つの言葉は一見よく似ているようで、実はまったく違った内容を指しているということがわかる。

 そもそも子どもというものは、無邪気であり弱いものであり、非論理的であり責任感もさほどない。「子どもっぽさ」や「子ども心」も本質的にはそれらを含んでいることになる。

 しかし「子ども心」と「子どもっぽさ」をはきちがえてしまってはいけない。

 両方を区別せずに行動化してしまうのは問題であるし、両方ともに捨ててしまうのも問題となる。

 子ども心をまったく持たない大人は、「ひたすら真面目な人」、「堅くて怖い人」という印象をまわりに与えることになる。恥じらいやユーモアや余裕など、生活を楽しむという本来人間として大事な姿勢が欠けているのである。

 しかし、「子どもっぽさ」をむやみに出せば社会的に非難されるおそれもある。非難されたからといってさほど傷つかずに受け止めることができる人であれば別に問題はないが、自分の子どもっぽさについて非難されることを極度におそれる人は、「子どもっぽさ」だけでなく「子ども心」も一切捨ててしまおうとする。

 子ども心まで失ってしまっては、生き生きとした喜びや、楽しさ、創造性を失ってしまうことになりかねない。


 では、なぜこのように「子ども心」まで捨ててしまわなければいけないのだろうか。

 このことは、親子三代で考えてみるとわかりやすい。

 まず、一代目の父親が酒乱で、お酒を飲むと子どもっぽいわがままを言い、妻や子どもに暴力をふるう人間だとすれば、その子どもたち、とくに息子は父親を怖がりながらも父親に対してものすごく批判的になってしまうかもしれない──あんな、しようもない親父みたいにだけはなりたくないと。

 しかし物心がついてくると、自分の中にもその血が流れているかもしれないと考えるようになる。もしかしたら父親の酒乱が遺伝するのではないかと。すると彼はお酒を一滴も飲まないだけでなく、もちろん子どもっぽいふるまいなど微塵もみせない真面目な人間になろうとする。

 あるいは、母親が浮気性だとすると、その子ども、とくに娘は母親のような女にだけはなりたくないと、母親を非難する。しかし成長するにつれて、その血は自分にも流れているかもしれないと怯えて過度に潔癖になろうとするかもしれない。

 やがてそんな息子や娘が大人になり、結婚して子どもが生まれる。

 酒乱や浮気性を忌み嫌った二代目である父親、母親は、自分の子どもにも自分の親のような人間になってほしくないと、真面目さ、潔癖さの強い良識ある人間に育ってほしいと強く願う。

 そして自分がそのことを意識した頃よりもっと幼いうちから、きっちり育てようとするあまり、二代目の父親、母親は、「子ども心」がまるでない、子どもと楽しい会話すらできない、ただ厳格なだけな面白みのない親になる。

 三代目の息子や娘はあまりにも小さいときから、きっちりと真面目に、潔癖に生きることを強要されるが、いつの日か父親、母親に反発するようになる。

 口をきかなくなるかもしれない。非行に走るかもしれない。あるいは「ひきこもり」になり、家庭内暴力に発展するかもしれない。ともするとひどい神経症になる可能性すらある。

 これは親子三代にわたって、うまく「子ども心」を発揮することに失敗しているケースである。

 要するに、初代の父親が酒乱で手がつけられないほど暴れるような子どもっぽいタイプではなく、お酒を飲んでもちょっとしたおちゃらけ程度のユーモアをもったタイプであればよかったのだ。

 また初代の母親が、近所にも知れるような浮気性ではなく、愛橋ある八方美人程度であればよかったのだ。その程度であればお互い許し合えるだろうし、バランスのとれた家庭が築けたかもしれない。

 ところが、このバランスをとるということが言うほどに簡単なことではない(このことについては後出の「極端よりも、微妙のほうがいい」〈→参照〉で詳述したい)。


 興味深いことに、私のカウンセラーとしての経験によれば、子どもっぽさをまわりにまき散らしているような人は、ほとんど例外なく子ども時代に十分に子どもらしくふるまえなかった人である。別の言い方をすれば、子ども時代に「やさしさ」と「きびしさ」をバランスよく親やそれに代わる養育者からもらえなかった人だ。

 勉強や何か特定のものに対してはとても厳しかったが、それ以外のことに関しては極端に甘かったり放任だったりする。

 また物質的、経済的には裕福だったけれど愛情としてのしつけや厳しさをほとんど注いでもらえなかった。もちろんすべてにおいて厳しすぎたり、逆に放任で育てられた場合も同様である。

 このような人たちは、子ども時代に十分に子どもらしくふるまえなかったぶん、子どもらしさに対する憧れや、やり残し感があるし、自分の欲求と現実との調整をうまくつける訓練をつんでこなかったとも言える。

 やり残した子ども時代を取りかえす意味で、大人になっても子どもっぽくふるまっているのかもしれない。

 誰かがしっかりとその人のことを受け入れ、上手にコントロールしてあげないとトラブルを招くばかりで、本人もいっこうに満たされないのである。


 ところで、酒乱や浮気性あるいは極度なギャンブル好きなど問題行動が遺伝するとは考えにくい。もし、遺伝する可能性があるとすれば、問題行動そのものではなく、そのような問題行動の背景となる性格傾向である。

 酒やギャンブル、浮気や不倫に過度に熱中するという行動は、元来は当人の逃避的な性格に起因している。この逃避的な性格をそのまま放っておいたり、下手に追いこんだりすると、ますます酒やギャンブル、浮気や不倫に溺れることになりやすい。

 もし、問題行動のある親と同じような行動を子どもがとるようになったとすれば、親と同じような逃避的な性格傾向の素質を引き継いで生まれた子が、親の行動を目の当たりにしながら無意識に真似したり、親子の間でそのような性格傾向を強めあう環境を作ってしまっていた場合にのみ、結果として親と同じような問題行動を子どももとり始めることになる。


 現実問題として、親がこのような問題行動をとるということは、その本人である親の配偶者(夫、妻)こそが、そういう性格傾向を助長させるようなタイプであるといえよう。だとすると、結果として親と同種の性格傾向を助長させてしまうということが十分に考えられる。
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