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メタボ健診、大きなお世話
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くらし
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あとがき

『メタボ健診、大きなお世話』
[著]帯津良一 [発行]PHP研究所


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 私は、人生のなかで、
「この人とめぐり会えて本当によかった」

 と、思う人が何人かいます。その筆頭は、太極拳の師である楊名時先生ですが、二番目は「フローラ」というバーのママさんです。

 ママとの出会いは、昭和三十年代初頭、私の大学時代にさかのぼります。当時は、まだ戦争の記憶がなまなましい時代でした。

 身近で戦死した人がいたり、病に倒れる人も多くて、「死」や「病」がいまよりはるかに近くにあり、その反動としての「生きる」パワーがみなぎっていたように思います。

 物質的にはまだ貧しい時代でしたが、誰もが希望に燃えて、明日を夢見て生きていました。見上げた空はいつも青く、雨の日など思い出せないほど活気に満ちた、わくわくする毎日だったのです。

 とくに、大学三年になって下宿生活をはじめてからの私の人生は、ときめきに満ちていました。

 当時の私の下宿は、道路に面した建物の二階にあり、夕方になると決まって遠くから下駄の音がからころと聞こえてきて、窓の下でピタッと止まったかと思うと、
「おびつーっ」

 と声がかかります。

 空手部の猛者(もさ)たちが、高下駄に着流し姿で毎夜誘いにくるのです。

 あるとき、下宿の前の道路から一区画奥へ入った広い通り沿いにバーができました。それが「フローラ」です。忘れもしない昭和三十四年九月二十六日、土曜日、伊勢湾台風が上陸した日のことでした。

 私は、客が混み合う初日はあえて避け、開店二日目に初めてフローラを訪れました。扉を開けると、二十八歳の見目麗(みめうるわ)しいママさんがいて、当時二十一〜二十二歳の私たちはすっかり夢中になり、それから毎日のように通い詰めたのでした。

 私の下宿があった西片町は、夏目漱石の『三四郎』にでてくる広田先生が住んでいた町でもあります。漱石は大好きな作家の一人でしたので、その本にでてくる町の一角で飲んでいると、自分が漱石になったような気分にもなれたのです。

 フローラには、大学を卒業し、結婚してからもずっと通い続けていました。

 川越に自分の病院をつくったあとも、東京で講演会があったりすると、必ずフローラへ電話を入れ、
「隣のウナギ屋さんからウナ重をとっておいて」

 と頼み、帰りに立ち寄るのがつねでした。

 ママは五十歳くらいのとき、一度、くも膜下出血を起こしたことがあります。このとき、お店から私のところへ「体調が悪い」と電話が入りました。当時、私はフローラの近くの都立駒込病院に勤めていたのです。

 すぐに私は店へ駆けつけ、彼女を連れて病院へ戻りました。そのまま緊急手術となりましたが、手術を担当したのは腕のいい友人の医者で、無事に成功。脳に後遺症が残ることもなくすみました。

 以後、ママがいつも、
「帯津先生にいのちを救ってもらった」

 と、みんなにいっていました。それを聞きながら、まんざらでもない気分にひたったものです。

 そのうち、ママがだんだん年をとってきて「お店をやめようかな」といいだしたことがありました。しかし、フローラがなくなると、気軽に飲みに行ける場所がなくなってしまいます。「絶対やめないでくれ」と、みんなで頼んだのをよく覚えています。

 リウマチで右手の握力がほとんどなくなってからも、いつも私が行くと、コンビーフキャベツをフライパンでつくってくれました。私の大好物でした。

 いよいよ、バーを続けるのが難しくなって閉店することが決まったあと、顔なじみが集まって、四十五周年のパーティーを開くことになりました。

 パーティーの実行委員長は、私の大学時代の仲間で、開店一番乗りの男でした。彼を中心に、私も委員会のメンバーとなって、学生時代に戻ったような感じで盛り上がりながら、準備を着々と進めていきました。

 日にちも場所も決まり、あとはその日を待つばかり──とはなしていた矢先、フローラのママが急死したのです。

 急に腹痛を起こして病院へ行き、手術を受けたのですが、すでに静脈血栓症で腸全体がだめになっていて、翌日に亡くなりました。

 一病あっても、ぼちぼち元気、そしてとうとうポックリ()ってしまったのです。ママらしい、じつに潔い最期でした。


 享年七十三、四十年以上にわたる長いつき合いでした。合掌


 二〇一三年八月
帯津良一 
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