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(2021/11/26 追記)

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詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

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定年からが面白い
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生き方・教養
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9 ヤマハ音楽教室へ入学

『定年からが面白い』
[著]小林淳宏 [発行]PHP研究所


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 経理担当重役になる


 昭和五十四年八月十九日、日本棋院から1級認定状を貰ったものの、昭和五十五年一月から、碁会所では2級でしか打てない生活が始まった。

 この年の六月、私は経理担当重役になった。
「おい小林、お前が経理担当なら会社はつぶれるんじゃないか」

 と記者仲間から随分冷やかされた。経理の「ケ」の字とも関係したことがなかったので、新聞社の連中の酒のサカナにされたのも当然である。

 会社をつぶすわけにはいかない。それに私は三日坊主の欠点はあるものの、未知の分野に飛び込むのが大好きだ。簿記から始まる経理の勉強に大車輪で取りかかった。これにつれて日本棋院に通うのを一切やめた。

 仕事の上で私は幸運に恵まれた。会社の業績が年毎に好転して行ったからである。銀行に金を貸してくれと頼んだことは一度もない。逆にいくつもの取引銀行が競争して、「金を使ってくれ」といってくる。

 これを「要りません」と断るのに苦労していた。支店長から夜の宴席に招待されても、要らない金は要らないのだった。

 業績が悪化し、銀行に融資を頼むようになっていたら、全然違っていただろう。ことによると血尿の出るほど苦労していたかもしれない。事態は全く逆に進み、会社の財務で心配することはなにもなかった。それに毎日毎日勉強したおかげで経理の「経」が分かり、さらに「理」まで理解したと思う頃にはすっかり精神的余裕が出来ていた。

 仕事が終わってから帰りに川崎の碁会所に寄るのはやめなかった。日本棋院から退学したというだけで碁の勉強には一層力を入れていた。

 経理担当としての生活が型にはまってゆとりのできた翌昭和五十六年の七月十三日のことだった。昼休みに碁盤を使った勉強をするため、「同盟クラブ」のある有楽町の電気ビルに行ったら、街頭に美しい音楽が流れていた。歩道の上に透明のカプセルが置かれ、その中で若い女性がエレクトーンを演奏していた。その美しい音色があちこちのスピーカーから流れ、若い男性がチラシを配っているのでこれを貰い、電気ビル七階の同盟クラブに行った。

 しばらくここの碁盤で碁の勉強をした後、チラシにあった同じビルの十五階のヤマハ音楽教室をのぞいて見た。ちょうどチャレンジ・コース開講を宣伝しており、毎日好きな時にきて個人レッスンで三十分教わり、二週間で千五百円だという。昼休みをつぶすのにちょうどいいので私はすぐ入会し、教材に「知床旅情」の楽譜を貰って帰った。

 翌日から昼休みの三十分、エレクトーンの個人レッスンを受け、この「チャレンジ・コース」の終わったところでヤマハ音楽教室の初歩の初歩、一番下のクラスに正式に入学したのである。


 五十六歳のエレクトーン挑戦


 定年を三年後に控えた五十六歳になって、なんでエレクトーンの初歩から習い始める気になったのだろうか。

 音楽教育でわれわれ戦前派は恵まれておらず、オンチが多いし、ましてや楽器演奏する人は例外だろう。私も小学生の頃、ハーモニカに凝っただけで楽器と縁のない少年時代を過ごした。

 しかし上京して夜間中学の一年生に入学したことが私と音楽を結び付けた。上野の音楽学校出の若い先生が、楽典のイロハから講義してくれたからである。音楽理論などといえば難しそうに聞こえる。だが名前の通り、非常に理詰めに出来ており、十四、五歳の柔軟な頭には自然に入り込んでしまう。

 私は長い板を適当な幅に切ってこれに墨汁で線を引き、音の出ない鍵盤の模型をつくった。これを左右両手で叩き、中学二年生の時には一応ト長調とかへ長調への移調理論も覚え込んでいた。
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