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(2021/11/26 追記)

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定年からが面白い
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生き方・教養
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おわりに――お遍路への誘惑

『定年からが面白い』
[著]小林淳宏 [発行]PHP研究所


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 本書の原稿を書き終える頃、四国遍路に出ようという考えが突然浮かび上がってきた。四十年昔の夢がよみがえったのだ。

 一高三年生、二十三歳の時だった。
「夏休み中、北海道を無銭旅行してくる」

 と寮で友人たちに宣言したら、
「そんなこと、できるわけがない」

 と一笑に付された。昭和二十三年、まだ日本が戦後の飢餓状態から脱出できず、世相が険しかった頃だからである。

 私は北海道の様子を聞き、相談しようと思って同級生の栗山君(後年婿入りし、現在大日本インキ社長になっている川村茂邦君である)のお父さんに会いに中野のお宅に行った。栗山君の父上は日本郵船函館支店長であり、ちょうど上京していた時である。お目にかかったら、典型的な明治のがみがみおやじだった。私の希望を聞いたとたんに怒り、
「そんな無謀な旅行に出るのはよくない。野たれ死にしても知らんよ。そんなことを考える暇に勉強しろ

 と説教し始めた。隣に座っていた栗山君もかしこまって雷おやじのいうことをうなずくだけで、私はほうほうの(てい)で引き下がったのである。

 無謀だといわれ、がみがみ説教されたけれども私の決意は変わらなかった。

 ところで駒場の寮は誠に不思議なところで、ここに居さえすれば金が要らず、奨学金だけでなんとかやっていけた。だが一歩外に出ると金がかかる。北海道に行くには旅費を工面しなければならない。私は日本新聞協会事務局長の津田正夫氏(後に駐アルゼンチン大使、国家公安委員、そして日本赤十字社常任理事現職のまま九十歳で昭和六十三年、本稿執筆中に永眠された)の長男の正矩君の家庭教師をしたことがあるので中野のお宅を訪ねた。そして恵美子夫人に、
「北海道に行く船賃を貸して下さい」

 と頼んで借りた(借りたというのは体裁で、実際はおねだりして頂戴したのだった)。ただし無銭旅行をするとはいわなかった。そんなことをいえば狂人扱いされるとすでに知っていたからだ。

 氷川丸の切符だけを手にして横浜を出港し、二泊三日後室蘭に上陸した私は、それから放浪の旅を続けた。そして、「困った時は助け合う」という開拓者の残した精神風土に接し、人情の濃やかさに感激し続けた。不愉快だったことは一度だけだ。銭湯でたった一枚しか持たないワイシャツを盗まれた時である。衣類不足の当時、ワイシャツは大変な貴重品であり、裸の私は途方に暮れたのだった。

 北海道放浪の終わりにはたと困ったのは東京に帰る汽車賃の無いことだった。しょうがなく、旅費稼ぎのため二学期を棒に振って年末まで働こうと思い、釧路駅で降りてすぐ職業安定所を訪ねた。そしてその紹介で八波(やつなみ)という高級料亭の牛太郎を志願したのである。八波の御主人は空腹の私をいち早く見て取り、まず豪勢な御馳走をしてくれた。私の食事が終わったところで静かに語り出した。
「家にはきれいな芸者や半玉が沢山出入りしており、その面倒を見るのがあなたの仕事です。あなたのような若い人は、こういう女にころっと惚れて人生を誤ることが多いんですよ。悪いことはいいません。他の堅い商売を探しなさい」

 私は、
「そういうロマンチックな恋愛をしたいんです。ぜひ使ってください」

 と本心ではお願いしたかった。しかし口に出すことはできなかった。

 学生だという身分を隠していたので、御主人は私を、北海道で身を立てようとして本州からきた青年だと思っていた。しょうがないので辞去したところ、この御主人が封筒を私のポケットにねじ込んでくれた。後で開いたら五円札が入っている。今の一万円札に相当するだろう。

 私は二学期には帰ってくると寮の友人たちにカケてきたことを思い出した。そこで不本意ながら義理の伯父筋に当たる工藤清氏(現釧路商工会議所副会頭)の家を探し当てて門を叩き、汽車賃を借りた上、そのお世話で阿寒湖を見物して東京に戻ったのである。

 九月初め駒場の寮に落ち着いてから、
「今度は、本格的に四国遍路の旅をしたいなあ」

 と友人にいってはいたものの、この夢は実現できずにいつの間にか消えていた。それから四十年たった現在、かつての夢を実現できる身分になっていることに、はっと気が付いたのである。

 私の四国遍路の理想は徒歩と托鉢と野宿である。しかし二十代の若者ではないので、野宿は時々ということにし、お寺に泊まろうと思っている。托鉢もどの程度できるか行ってみなければ分からない。無理はしないつもりだ。ただし最低限、徒歩ということは守り抜こうと思っている。

 お遍路さんに関する本を約二十冊買って眼を通しているうちに、私は日本のこの古い伝統に魅せられてしまった。それとともに遍路中、もろもろの煩悩を断ち切って“自由”になる厳しい修行に耐えようと考えているうちに、心の中で緊張感が高まってきた。二カ月だけであるとはいえ、世捨人になって歩き続けるぜいたくな旅に出られるのも、「引退」したおかげだという他はない。私は二十三歳の続きの旅に出ようとしている。


 昭和六十三年六月初旬
 
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