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新選組奮戦記
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歴史
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第一章 京都へ

『新選組奮戦記』
[著]永倉新八 [注]菊地明 [発行]PHP研究所


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新聞(大正2年3月27日付)
第9回 本庄宿の大かがり 豪傑連の我が儘気儘


昔は近藤勇の友達 今は小に楽隠居
《幕末の剣客》


 年のころなら七十四か五、胸まで垂れた白髯(しらひげ)が際立って眼につき、広い額、やや下がった細い眼じりに小皺(こじわ)を寄せ、人の顔を仰ぐように見ては口の(はた)に微笑を(たた)えて、(すこ)急込(せつこ)み口調に(くち)を開く。

 見たところ圭角(けいかく)も何も、寄る年波とともに消されたかと思う隠居姿の杉村義衛翁(すぎむらよしえおう)、雪深い小の片ほとりに余命を(うつせみ)のように送っているが、さてどこやらに(りん)とした利かぬ気が微見(ほのみ)えて、枯木のようなその両腕の節くれだった太さ、さすがに当年永倉新八といって、幕末史の(ぺーじ)に花を咲かせた面影が偲ばれる。

 永倉新八とは誰あろう、文久(ぶんきゆう)元治(げんじ)の昔、長勤王の士に対し、幕府方から京都守護の名の(もと)に、浪人で組織さした新徴組、後の((1))選組に、近藤勇、土方歳三らとともに、その人ありと()(知)られた幕末の剣客の名。

 さしも当時、京阪に蛮名(ばんめい)()せた獰猛児(どうもうじ)頑健黒鉄造(がんけんくろがねづく)りと見えた身も、老いては壮年時代の面影も薄れ行く。指を折れば()や五十年の昔、近藤勇幕下の新選組が京の巡邏(じゆんら)(うけたまわ)っていた当時、尊王攘夷の激論を駆って幕府の忌諱(きい)に触れた長土肥の志士が、京都を策源地として秘密の往来を重ね、元治元年六月六日の夜、これらの志士数十人が鴨川沿いの一旅亭池田屋に集まり、某日(それのひ)を期して火を禁裏(きんり)に放ち、その騒擾(さわぎ)に乗じて聖上(せいじよう)の長州ご動座を迫り、かねて敵視している会津、摩の(かん)(ひし)ぎ、攘夷の本懐(ほんかい)を遂げようとする陰謀。

 このこと早くも新選組の耳に()り、謀議のその夜、近藤勇、義子近藤周平、沖田総司、永倉新八、藤堂平助のただ五人が踏み込み、蛮名天下に振るう近藤勇が一代の健闘悪戦と伝えらるる池田屋襲撃となったとき、壮年の永倉新八が腕に(おぼ)えの大刀を(ふる)って、必死の志士をその場に四人まで斬り倒し、身には微傷(かすりきず)を負うたばかりとは、今も記録に残る。この活劇は明治維新を二年ほど遅れさせ、同時に幕府の余脈をそれだけ延べたと称されるが、これと同時に新選組の名へ裡書(うらが)きを加えることとなり、短袴(みじかばかま)高足駄(たかあしだ)の組員が肩で風を切って通ると、泣く()も声を収めるという有り様。

 永倉の名はこれから近藤、土方らとともにいや高く、鬼神のように恐れ(はばか)られるに到った。

 時勢、ようやく徳川幕府の非を示し、伏見鳥羽の一戦から官軍の江戸包囲となり、函館の砲声収まるまで、勇名高かった新選組があるときは解散となり、脱走となり、隊長斬首と息を継がせぬ破滅のうちに、永倉新八はその後、どこにどんな活劇の跡を残したか、幕末史にないそれらの余談は、これから長物語(ながものがたり)となって読者の眼の前に展開する。

十八歳で本目録 十九の春藩邸を脱け出す
《脱藩》


 徳川栄華の夢なお(こま)やかに、白馬に銀鞍(ぎんあん)を置き、伊達小袖(だてこそで)に細身の(さや)、世を挙げて太平を(うた)う天保十年四月十一日、江戸は下谷(したや)三味線堀なる((2))山藩主松前伊豆守屋敷の長屋で、現存(いま)の杉村義衛翁こと永倉新八が呱々(ここ)の声を()げた。

 父は((3))倉勘次と(とな)え、代々福山藩の江戸定府(じようふ)取次役として仕えた百五十石の家柄、ただ一人の()()けた夫婦は掌中の珠と(いつく)しんだ。

 幼名を栄治と名づけ、昨日(きのう)の蝶は今日(きよう)の花と代わり、()いから歩行(あんよ)が上手と、父と母とが夜の目も合わさず育て上げ、ようやく長ずるとともに読み書きの(すべ)もかれこれと(えら)び与えたが、(じや)は寸にして気を()むで、とかく荒っぽいことを好み、たまには親の眼にさえ(あま)ることがしばしばあった。

 もとより武家に育った身の世は太平でこそあれ、腰の大小刀(だいしよう)飾りに()わぬ。腕白に長じた栄治は、八歳で早くも父に迫って剣術修業に志した。

 父はそのころ江戸に聞こえた真刀(しんとう)(神道)無念(むねん)流の達人、岡田十松というを師範に定め、愛児の武運永久(とこしえ)に幸あれと祈った。
「栄治、其方(そなた)も武士の家に生まれたことであれば、文武の二道に志す以上、あっぱれ身を鍛えて家名を揚げるように致せ」と、慈愛のうちにも修業の心得を説き聞かせる。

 幼年ながら後年、剣客として名を(のこ)したほどの栄治は、父のこのときの教訓を身に染みて(いそ)しみ、霜の(あした)、月の夕べを、壮年の荒武者に立ち混じって励むほどに、一年は一年と技が優れて来る。

 他人(ひと)の一倍に太刀筋がよかった(せい)もあろう。
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