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(2021/11/26 追記)

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自立と依存の心理
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生き方・教養
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第3章 自分を乗り越える

『自立と依存の心理』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


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子どもに奉仕を要求する親


 うつ病者を生み出す家庭の特徴についてフロム・ライヒマンが書いている。それによるとうつ病になる子どもは家族の威信獲得の主要な担い手として選ばれ、「君は誰か」ではなく、「君は何をするか」で両親の承認を得られるとい((註))

 つまり「私は○○家の次男です」というのではその家に受け入れられないし、親の承認を得られない。

 あくまでも学校でいい成績を上げ、地域社会や親戚でお行儀のよい感心な子として親の自慢の種にならなければならない。

 となればこの子は安心して何かに保護されて成長するというわけにはいかない。何か大きな母なるものに包まれて成長するという感覚はない。

 彼は小さい頃から企業戦士のように厳しい競争の社会にいる。これで近親相姦願望が満たされるわけがない。

 フロムによれば近親相姦願望とは先に述べたごとく自己のナルシシズムを充足させようとする渇望であり、責任、自由、意識性に伴う負担から逃れようとする渇望であり、無条件の愛への希求である。
「肉親の愛」と言ったとき人が想像するのは「無条件の愛」である。

 無条件の愛ということ自体はそれほど望ましいものではないが、そのような肉親の愛のもとに育った人の方が心理的に成長できるのは、近親相姦願望を解消しているからである。

 何よりもその人たちは愛情飢餓感がなく、人を信じることができる。

 家族の評判を高めるための手段として扱われる子どもが今述べた欲求を満たされているわけがない。うつ病になるような人は小さい頃「家族の威信を高めるために奉仕を要求されている」と言われる。

 家族の威信を高めるために奉仕を要求されている子どもは逆にそれらの欲求を完全に断念しなければならない。

 かくて彼はその重荷に耐えられず、人生半ばにおいて挫折する。

 近親相姦願望の充足を断念したということと、彼の中から近親相姦願望が消化されたということは違う。いかに彼が近親相姦願望の充足を断念しても彼の心の底にはいつまでも充足を求めて近親相姦願望が機能し続ける。

 かくて大人になって確実性を求めながら日々辛い毎日を送り続けることになる。彼は心の支えを求め続ける。

 しかし彼の行く道には心の支えはない。そして最後には無気力に苦しむことになる。

 近親相姦願望が満たされないから何か確実なものにしっかりと捕まっていないと生きていけない。しかしその何か確実なものはない。

 だからこそ戦う前から「もうだめだ」と戦う気力を失ってしまうのである。

 それがうつ病者の考え方の特徴である「ゲーム イズ オーバー」である。戦うためには、確実なものにしがみついていなければならない。うつ病者にはそれがないのである。

 彼らの心の中に巣食っている「衰退の症候群」が、彼らから積極的になろうとする気力を奪っている。

 衰退の症候群とはフロムが言っているナルシシズムとネクロフィラス(死を愛好する性向)と近親相姦願望が結びついたものである。

 彼らが元気な人についていけないのは衰退の症候群に冒されているからである。

 縛られたものを解こうとするのは、愛されて育った子どもである。

 愛されないで育った人は縛られたら縛られたままである。

覚悟を決めれば道を間違えない


 そして何よりも大切なのはこの近親相姦願望が満たされることで人は虚しさから逃れることができるということである。

 メランコリー親和型(責任感が強く、完全主義)の人や執着性格者などうつ病の病前性格と言われる人々が仕事をしても仕事をしても虚しさから逃れられないのは、幼児期に近親相姦願望が満たされなかったからである。

 名声を求めても、求めても虚しさは消えない。そこでさらなる名声を求めるが、やはり満たされることはない。

 権力も同じである。権力を求める人がなぜあそこまで、常軌を逸して権力を求めるのか。それは心の虚しさを何とかしたいからであろう。

 しかしどのような巨大な権力も心の虚しさを解消してくれない。そこでさらに大きな権力を求める。「もっと、もっと」という飽くなき権力願望に苦しめられながら生涯を終わっていく政治家は多い。

 満たされない近親相姦願望を満たすものは、名声でもなく、仕事の成功でもなく、友情でもなく、恋愛でもなく、権力でもなく、異常な几帳面さでもない。

 母なるものの愛とは友情や恋愛とは別の性格のものである。

 幼児期に母なるものに接することができなかった者は、生涯その満たされない空洞を持ち続けて生きていく覚悟を決めるしかない。

 それしかないとしっかりと自覚することである。むしろそれをハッキリと自覚したときに、人生を誤ることもなくなる。道を間違えなくなる。

 そしてそのときこそ救いの光が見えてくる。

 本当に素晴らしい友達に恵まれたからといって、友達が与えてくれるものは恋人が与えてくれるものとは違う。いい友達がいるから恋愛は(わずら)わしいというものではない。

 恋愛は恋愛、友情は友情。

 そして問題は「母なるものへの願望」が満たされないと恋愛も友情もうまくいかないということなのである。そして母なるものの代償として権力を求める人々も最後には挫折していく。

 この母なるものが得られないので、人はその代理としてお金や権力や名声を心の支えとして求めるのである。

 しかしそれはあくまで代理である。

 たとえそれを得ても代償的満足でしかない。

 内なる強さとはこの幼児的願望を満たし心理的に大人になることである。
「母なるものへの願望」がある程度満たされないと他人が重要になりすぎる。

 つまり人に「こう」思われるのが悔しいとか、あいつに「こう」されたのが許せないとか、あの人に「こう」思われたいとか、人が自分の人生に巨大な位置を占めすぎる。

 対人恐怖症の人がその典型である。人に評価されることが自分の価値にまでなってしまう。それは「母なるものへの願望」が満たされることで自分の価値を信じられるようになるという体験ができていないからである。

 そしてそのことから「こう」でなければいけないというような「囚われ」が生じてくる。

 自分の人生は「こう」でなければ自分は満足できないというような思い込みに陥る。
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