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日本占領と「敗戦革命」の危機
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歴史
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第二章 中国共産党による対日心理戦争

『日本占領と「敗戦革命」の危機』
[著]江崎道朗 [発行]PHP研究所


読了目安時間:34分
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相手国を支配し、操る「影響力工作」


 近年、マスコミの発達と世論が政治に与える影響に着目して、広報外交(パブリック・ディプロマシー)の重要性が語られるようになってきている。


 残念ながら、日本では、この広報外交はもっぱら、「外国に対して日本に好意的な世論が生まれるよう働きかける」という程度の意味あいで理解されている。


 だが、少なくともアメリカや中国では、まったく意味が異なる。米中両国は「相手国の世論を自国に有利なように誘導することで、相手国の政治を牛耳る」という意味あいで、この広報外交を使っている。相手を支配し、操ろうとする意思と宣伝工作。これが国際政治を左右する大きな要素であると考えているのである。


 この広報外交の原型は、ソ連・コミンテルンが考案した「影響力工作」に求めることができる。


 外交、特に非軍事的で政治的な対外活動は、様々な形態が存在する。


 自国を利する行動を他国に取らせる手法には、外交・通商交渉や公式声明の発表などの公然の手法と、偽文書などを使ったブラック・プロパガンダや偽装組織による示威運動などの非公然の手法とがある。非公然の手法を「()(まん)」とも呼ぶ。


 こうした非公然の手法のうち、影響力のある人物を利用して他国の国民や政策決定者の知覚を誘導することにより、他国を操作する工作は、「影響力工作」と呼ばれる。(1)


 ソ連は、戦前からこの非公然の「影響力工作」を重視していた。たとえば、一九七五年から一九七九年まで東京のKGB駐在部に勤務して対日工作にあたり、その後、アメリカに亡命したソ連・KGB諜報員スタニスラフ・レフチェンコが一九八九年に次のように述べていることを、皇學館大学講師の佐々木太郎氏が紹介している。

《ソ連情報機関は、標的とする諸国家に対する二つの主要な任務を負っている。ひとつは、古典的なスパイ活動である。つまり、技術や機密を盗むことである。もうひとつは現在、積極工作と呼ばれるものである。これは、標的にソ連の利益となるような行動をとらせることを目的とした“影響工作”のことである。初期の頃において影響工作は、情報機関ではなく、コミンテルンやソヴィエト共産党といったその他のソヴィエト機関によって主導されていた。それでも、遠い昔にコミンテルンによって発展されたその手法は、今日のKGBの活動に役立っている》(2)


 戦後の一九五五年から一九九〇年代まで、日本の政治は主として五五年体制と呼ばれる仕組みの下で動いていた。与党の自民党に対して、野党の日本社会党が対立する二大政党体制のことである。


 この二大政党の一つ、日本社会党がソ連KGBの「コントロールの下」にあったとして、前述したソ連・KGB諜報員レフチェンコは一九八二年七月十四日、アメリカ連邦議会下院情報特別委員会聴聞会において次のように証言しているのだ。

《KGBは一九七〇年代において、日本社会党の政治方針を効果的にコントロールできていました。同党の幹部のうち一〇人以上を影響力行使者(エージェント・オブ・インフルエンス)としてリクルートしていたのです》(3)


 このようにソ連KGBの非公然の政治工作の目的は、「機密などを盗む」というだけでなく、「ソ連に有利な情報を日本の政治家やジャーナリストなどに与えることで、日本の政治をソ連に有利な方向に誘導すべく影響力を発揮すること」であった。


 そして実は、このように日本の政治を支配し、操ろうとしたソ連による影響力工作、対日工作の原型を生み出したのが、中国共産党であった。


戦前の日本で結成された「中国共産党日本特別支部」


 一九三七年七月に盧溝橋事件が発生し、八月の第二次上海事変を経てシナ事変が本格的になっていくなかで、蔣介石率いる中国国民党政府は対日全面戦争を始めた。


 この中国国民党と連携して対日抗戦を叫んだ中国共産党だが、彼らは、中国国民党とは異なり、武力によって日本に勝とうとは思っていなかった。ソ連・コミンテルンの指示を受けていた中国共産党は、影響力工作、つまり宣伝や情報工作によって日本をコントロールしようとしたのである。


 具体的には、シナ事変で獲得した日本兵捕虜を使って、日本軍、さらには日本政府に影響力工作を仕掛けることを目論んだ。その際に重要な役割を果たしたのが、日本で学んだ中国人留学生たちだった。


 戦前の日本には日清戦争以降、多くの中国人留学生が来ていた。日清戦争と日露戦争に勝った日本で最新の学問を学び、中国の近代化に役立てるためである。日本は漢字文化圏であるうえに、西洋の知識をどんどん翻訳していたから、西洋の科学技術や学問を吸収するためにも都合がよかった。


 ところがシナ事変で急激に日中関係が悪化していったので、日本にいた留学生たちは盧溝橋事件の直後から大挙して帰国していく。そして彼らのなかには、多数の中国共産党員がいた。


 日本で学ぶ中国人留学生のあいだでは、一九二五年頃から共産主義や社会主義が流行し始めていた。ちょうど、そのころ日本で盛んになっていた最新の社会科学が共産主義や社会主義だったということもあるが、もう一つの理由は、一九二四年に中国で第一次国共合作が成立し、国民党と中国共産党が手を組んだことにあった。中国人留学生のあいだで辛亥革命の指導者として尊敬されていた孫文が共産党と手を組んだことで、中国人留学生たちは中国共産党を同志だと見なすようになってしまったのだ。


 第一次国共合作は一九二七年に解消されたものの、翌年の一九二八年十月には日本で「中国共産党日本特別支部」が結成され、その下に東亜予備校支部、明治大学支部、成城学校支部など、大学単位の支部が次々とできていった。それらの支部に集まった党員のほとんどが中国人留学生であった。つまり、中国共産党による対日工作は戦前から始まっていたのだ。(4)


 中国人留学生の多くは国費で、つまり、国民党政府の留学生として来日していた。だが、表向きは国民党側であっても、日本にいるあいだに中国共産党の隠れ党員になった者が少なくなかった。


日本留学経験者を活用した「敵軍工作部」


 シナ事変の本格化を受けて、中国共産党はいち早く、日本への留学生を活用した対日影響力工作の体制づくりを始める。

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