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天皇の昭和
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歴史
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第九章 日本ファシズム

『天皇の昭和』
[著]三浦朱門 [発行]PHP研究所


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 暗殺の論理

 井上昭という男がいた。彼は若いころから大陸を流浪したいわゆる大陸浪人だったが、帰国後に日蓮宗の僧籍にはいり、日昭と名乗った。日蓮宗は日本でできた、国産の宗派であり、日蓮上人が元の来寇を予言して、国家の危機を唱えたことから、宗教的日本主義者はしばしばこの宗門に入る傾向がある。

 日昭もこの一人であった。彼は日本改造のためには、政党政治と財閥の指導者を暗殺しなければならないと考えて、同志を募り、その組織を血盟団と称した。勿論、秘密結社である。

 大正の半ばころから、明治維新を知る元老は年老いてきて、政治の中枢に坐ることはなくなっていた。代わって政治を行ったのは政党政治家である。選挙によって選ばれた国会議員を中心とする政党の党員によって内閣が組織されるので、戦後の日本で常識となったシステムである。もちろん、元老たちはそれを下克上の動きとみて、あまり喜ばなかった。

 普選というのはそういう年寄りたちを黙らせるために、政党政治家がとった策略でもある。全日本国民の意見だ、ということは元老たちには説得力があった。しかしこれは軍隊の論理とは正反対である。

 軍は命令と服従によって成立する。そして帝国陸海軍の命令系統の根源は天皇陛下にある。陛下の命令によって死地におもむき、戦死することが軍人の名誉と教えられた。それなのに、一般庶民の意見の代表者たちが、総理大臣以下の内閣を構成するのは、天皇の大権を侵害するものではないか、という思想が軍人には強い。軍縮も反軍思想も下等な国民感情におもねった政治家たちがやったのだ、という恨みもある。

 軍人は政党政治家たち、選挙と議会によって政治を行うことが嫌いだった。

 高橋是清の不況対策は、ケインズ理論を先取りしただけでなく、ルーズベルト大統領のニューディール政策以前のニューディールと言われる。高橋は不況を克服するために、公債を日銀に引き受けさせ、それを見返りに政府は民間に小切手をきり、今日でいう財政投融資をおこなう。小切手は銀行を通じて日銀で現金化されるが、日銀は発券高が過大にならないように、経済の活況でゆとりのできた銀行に公債を肩代わりさせる。

 その結果、日本の不況はかなり改善をみたのであった。しかしそれによって最も先に潤ったのは財閥であった。三井、三菱などの財閥系の会社は内容もよかったから、不況にも強かった。そして好況になる際にも、一番先に恩恵を受けたのが、財閥系の優良会社であるのも当然であった。

 しかし世間は庶民が生活に苦しんでいる不況の時も、待ちかねていた好景気の時も、財閥系の人ばかりいい目を見ると思った。

 政党政治家は陛下の聖業のお手伝いどころか、私利私欲で政治をしており、財閥も崇高な理想などなく、金儲けに浮身をやつしている、という見方が国民の間に広まった。

 一人、一人が自分の幸せを追求する場を与えるのが、政治の目的であり、経済制度も個々の人を経済的に疎外するようなものであってはならない、というのが開かれた社会、民主的社会での常識である。

 大正デモクラシーはそのような理想を実現する要素を確かに持っていた。社会主義運動をした人にしても、彼らが目的としたのは、全ての人を政治的、経済的被疎外の状況から解放しよう、とすることであろう。しかしそのような考えを非とする動きはまだ決して小さくはなかった。

 少なくとも井上日昭のまわりに集まった若者たちは、ようやく成立しようとしていた政党政治は醜悪な政治制度でしかなかったし、自由経済の名の下に私腹を肥やしている財閥は天誅を加えねばならない存在であった。

 体制はまず金解禁によって不況の原因を作ったとして、前の大蔵大臣井上準之助を暗殺した。犯人は自分は農村青年であって、井上こそが今日の農村の窮状の責任者だから殺した、と自白した。昭和七年二月のことである。

 それから一月もたたない三月のはじめ、今度は三井財閥の総帥である団琢磨が三井本館を出ようとするところをピストルで射たれて死亡した。

 やがてこの二人の暗殺犯人は井上日昭の弟子であることがわかり、井上は逮捕された。しかし彼の弟子には海軍軍人もいたのだが、警察の手は彼らまでは延びなかった。軍人は警察の管轄の外にいて、彼らを取り締まるのは憲兵だったから、警察は軍人が登場した段階で、捜査の限界としたのかもしれない。

 同志の一人の海軍士官は満洲事変に付随しておきた上海での戦闘、上海事変で戦死した。しかし残った人々は陸軍にも同志を募ろうとした。その対象となったのは、後の二・二六事件の被告となった人々である。

 二つの暗殺事件以後、要人の警護が厳しくなって、井上が考えたような一人一殺、ということは困難になっており、軍人たちは、暗殺団を組織して要人の殺害を実施することにした。その第一の標的が犬養首相だったのである。

 この日は日曜で、年老いた総理は息子の嫁や孫と一緒に、息子の心尽くしの、レストランから届いた料理を食べようとして、食堂に入ろうとしていた。
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