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地球曼荼羅 世紀末を歩く
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ルポ・エッセイ
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民族の視線

『地球曼荼羅 世紀末を歩く』
[著]森本哲郎 [発行]PHP研究所


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 異国の旅から日本へ帰ってくると、毎度のことながら、いろいろ考えさせられることが多い。が、最近、とくに気になるのは街の景観である。
「経済大国」になったので、近ごろは日本の都市も、だいぶきれいになってきた。意匠を凝らしたピカピカのビルも、あちこちに見られるようになった。デザインを施したレンガを敷きつめた歩道などもつくられ、ウインドーのディスプレイも、いろいろ工夫されているようだ。

 しかし、何とも異様なのは、それらのあいだに、調和というものが、まったくと言っていいほど、欠落していることである。統一はまるでなく、ただ個々の建物が自分だけ厚化粧している、という始末なのだ。だから「環境」が(てい)をなしていない。
「環境」という言葉が、昨今、やたらに使われるようになった。ということは、ようやく最近になって、日本人が身のまわりを気にし始めたことを示している。これを逆に見るなら、人間にとって、何より大事な環境というものに、これまで、日本人がいかに鈍感であったか、を語っていよう。しかも、その環境意識は、公害、すなわち人間の身体に直接害を及ぼす排気ガスや、騒音の対策といった生理的な(ヽヽヽヽ)次元にとどまっており、精神的な(ヽヽヽヽ)心地よさの創造という積極的な意欲にまでは、依然として高まっていないようである。その証拠に、そうした心地よさをあらわす概念が日本語になく、もっぱら「アメニティ」などという英語を借用している有様ではないか。

 もうひとつ、証拠をあげよう。それは日本人がつい最近まで散歩を知らなかった、ということである。いまから四百年以上も前のことだが、織豊時代に日本に住んだポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは不思議そうに、こう書いている。


 ――ヨーロッパ人は散歩を健康によく、気晴らしになるものと考えている。
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