人間から感情が消えた……!?
そう思いたくなるようなことが最近多い。消えた感情の代わりに現れたものは何かというと、人工的なつくりものの感情である。
笑ったり、泣いたり、喜んだり、悔しがったり、たしかに感情の形はしているものの、どこか人工的なつくりものの匂いがする。世間を見渡すと、そんなタイプの感情がとても多くなった印象を受けるのは、おそらく私一人だけではあるまい。
いまの人は不安や寂しさ、怒りといった感情に悩んでいるケースが非常に多いが、それは感情が人工化してきていることと、けっして無関係ではないのだ。
というのも、感情が人工化すると、生の天然の感情が抑えつけられ、それによって感情の流れが滞り、感情の整理がちゃんとできなくなるからだ。そのために、ちょっとした不安や寂しさ、怒りといった感情が必要以上に増幅され、尾を引いたりするのである。
だとすれば、そのようなマイナスの感情を減らすには、人工化した感情を素の天然の感情に戻していくことが大きな鍵となるはずだ。
それにしても、なぜ人工的な感情がこれほどまでに増えたのだろうか。
ダジャレではないが、人工的な感情は「勘定」に似ていると思う。
つまり、損か得かだ。損か得かで動くには、素の天然の感情を出すわけにはいかない。代わりに人工的な感情をつくって出したほうがスムースに行動できる。
いまの人が損か得かといった勘定ばかりするようになったのは、いうまでもなく効率主義や合理主義を軸とした経済的な価値観が、この社会では何よりも優先されているからである。
つまり、人工的な感情を素の天然の感情に戻す一つの方法は、損か得かといった経済的な価値観から離れたところで、ものごとを考え、行動する機会を増やすことである。
たとえば、損か得かでなく、気持ちがいいかよくないか、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、そんな感情をもっと優先させながら行動していけばいいと思う。
そうすれば天然の感情はもっと素直に出てくるようになり、感情の流れがよくなるはずだ。何よりも素の感情で生きるのは気持ちがいい。
お金とモノを豊かにする生活ではなく、感情を豊かにする。豊かな感情は生活や人生そのものを豊かにし、あなたの可能性を大きく広げていくだろう。
人工的な感情を操れば得はするかもしれないが、それは人生の心地よさということとは関係がない。
しかし、“勘定生活”から“感情生活”へと舵を切れば、人生は損得ということを超えて、間違いなく楽しくて気持ちいいものになっていくはずである。
豊かな感情ですごす生活には、特殊な技術は何もいらない。
それは気持ちの持ち方を少し調整するだけで、今日からすぐ始めることが可能なのである。
桜井章一