読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1236209
0
資本主義の正体
2
0
0
0
0
0
0
経済・金融
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第二章 資本主義という奇蹟

『資本主義の正体』
[著]池田信夫 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 社会主義が終わっても、マルクスの影響は広く残っている。歴史は古代(奴隷制)・中世(封建制)・近代(市民社会)というヨーロッパのような発展段階で進歩するものだという進歩史観は今も根強い。その責任はマルクスにもあるが、こういう発展段階論をブルジョア社会から社会主義への移行の必然性の根拠として利用したのは、のちの社会主義者だった。

 発展段階論の裏返しとして、アジアは古代から歴史のない「東洋的専制」だったというヨーロッパ人の自民族中心主義(オリエンタリズム)も続いてきた。最近では、歴史学が多様化するにしたがってこうした歴史観に対する批判が強まり、数量経済史によって東洋と西洋を統計データで比較する研究が進んでいる。その結果わかってきたことは、むしろここ三百年のヨーロッパが世界史の例外だということである。

唯物史観の公式


 唯物史観(歴史の唯物論的な見方)として知られるマルクスの歴史観の影響はいまだに強いが、彼がそういう言葉を使ったわけではなく、それを教科書的に記述したわけでもない。彼が一八五九年に書いた『経済学批判』の序言で、経済的な土台が政治的な上部構造を規定し、歴史が「生産力と生産関係」の矛盾で動くという一般論を述べたあと、歴史の発展段階を次のように述べる。


 大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代市民的生活様式をあげることができる。市民的生産関係は、社会的生産過程の敵対的な(といっても個人的な敵対という意味ではなく諸個人の社会的生活条件から生じてくる敵対という意味での)形態の最後のものである。しかし、市民社会の胎内で発展しつつある生産力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史は終わりをつげるのである(1)。


 この「唯物史観の公式」と呼ばれる記述は、たったこれだけの大ざっぱなもので、その後も彼はくわしく説明しなかったが、それから百五十年以上たっても多くの人が「歴史法則」と考え、教科書の時代区分にもなっている。ここでは「近代市民的生産様式」が人類の最高の段階で、それ以前の「古代的、封建的」な時代に対応する生産様式が、それぞれ奴隷制、農奴制、資本主義である。これらは「一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することは決してない」という発展段階である。

 これはヘーゲルの歴史哲学から受け継いだもので、彼は歴史を自由の拡大する過程と考え、歴史を「東洋→ギリシャ世界→ローマ帝国→ゲルマン世界」という四段階に区分し、それぞれ人間の幼年期、青年期、壮年期、老年期に対応させている(2)。今ではこういう発展段階論は時代遅れだが、当時としては「歴史に法則がある」というのは斬新な発想だった。

 ここで注意が必要なのは、マルクスの「アジア的」という言葉と「古代的、封建的、および近代市民的生産様式」という言葉の関係がはっきりしないことだ。アジア的な段階を古代的な段階の前と考えると、古代ギリシャの前に地中海にアジア的な社会があったことになって奇妙だ。「アジア的」と他の三つを並列だと考えると、後者は西洋に固有の生産様式で、アジアは「歴史のない」地域だということになる。

「大分岐」はなぜ起こったのか


 最近では、むしろ歴史の大部分においてアジアが先進国だったという見方が多い。ケネス・ポメランツの推定によれば、一八〇〇年の時点で中国とヨーロッパを比較すると、一人あたり所得はほぼ同じで、平均寿命や栄養摂取量は中国のほうが高かった(3)。一八〇〇年の中国の人口は三億八〇〇〇万人だったのに対して、全ヨーロッパの人口を合計しても一億七〇〇〇万人。技術や文化の面では、長い歴史をもつ中国が圧倒的な先進国だった。ヨーロッパが中国を逆転したのは、ここ二百年ほどの現象なのだ。

 このような西洋の急速な成長をポメランツは大分岐と呼んだ。人類の歴史では、中国のような停滞が普通だった。人類の歴史上ほとんどの時代で一人あたり所得は三〇〇〜八〇〇ドルだったが、一八〇〇年ごろから西洋の所得が指数関数的に伸び、八〇倍以上になった。図1のように、それは世界史にもかつてない急激な変化だった(4)。


 市場経済の中から「自生的に」資本主義は生まれない。それが自然に生まれるなら、中国で生まれていただろう。市場経済が発展し、多くの企業が競争している点でも、中国のほうがスミス的な市場経済に近かった。資本も十分あり、技術もあった。問題は「なぜ中国が停滞したのか」ではなく、「なぜヨーロッパが爆発的に成長したのか」ということである。その原因には諸説あるが、最近では次のようなものがあげられる。

産業革命:イギリスは技術革新で産業資本主義を生み出し、これによって蓄積した資本で植民地を支配し、大英帝国を建設した。
資源:新大陸の発見や植民地の拡大で土地が「輸入」できるようになり、木材の代わりに石炭を利用したことによって安価で大量のエネルギーが供給された。
所有権:西洋では所有権が国家によって保証され、特に特許などによって知識の所有権が保証されたため、資本主義が発達した。
株式会社:収益の権利を株式として細分化し、多くの投資家に有限責任でリスクを分散する株式会社によってリスクテイクを促進した。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:12297文字/本文:14512文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次