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資本主義の正体
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経済・金融
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第六章 帝国主義から〈帝国〉へ

『資本主義の正体』
[著]池田信夫 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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 帝国主義という言葉はレーニンの本でよく知られているが、これは彼がジョン・ホブソンから借りたものだ。資本主義が発展するにつれて国内市場が飽和して利潤率が低下し、金融資本が国家と結託して海外に市場を求めて資本輸出が増え、植民地支配が拡大するという内容は、ルドルフ・ヒルファーディングの『金融資本論』の借り物である。しかし資本主義のグローバル化を帝国という言葉で表現した発想はすぐれており、今では普通の歴史用語として使われるようになった。

 これは資本主義の変化を示している。初期の資本主義は、古典的な帝国のように植民地からの暴力的な収奪で成り立っていたが、それは次第に東インド会社のような間接支配に置き換えられた。しかしヨーロッパ諸国の植民地争奪が激化すると、こうした会社形態は維持できなくなり、経営が悪化した。これに対してイギリスなどは直轄支配を強め、貿易ではなく投資によって支配する形態に変えた。これは二十世紀前半の垂直統合の時代に対応しており、直接的な暴力支配から資本の所有権(間接的な暴力)で支配する形態に移行したと考えることができる。

植民地の「垂直統合」


 マルクスは資本主義が必然的に独占に発展すると考え、企業が巨大化した先に世界中が一つの株式会社になる未来を展望したが、これは彼の理論とは矛盾する。彼は資本蓄積が進んで不変資本の比率が高まる(有機的構成が高度化する)と利潤率は傾向的に低下すると述べているから、規模が大きくなると競争で不利になるはずだ。これはデヴィッド・リカードの収穫逓減と同じである。

 新古典派経済学では、独占は収穫逓増で説明できる。たとえば半導体の工場を一〇〇億円で建てた場合、そこで半導体を一〇〇個つくると単価は一億円だが、一億個つくると単価は一〇〇円になる。このように大きな固定費がある場合は、大量生産するほど単価は安くなるので最適な生産規模は無限大になり、理論的には世界中が一つの企業になるまで資本の集中は止まらない。

 これは技術的には単純な規模の経済で、大量生産型の製造業には今でも当てはまるが、独占が起こり始めた十九世紀後半には原因がよくわからなかった。多くの批判者は資本家のカルテルやトラストが原因だと考え、彼らの結託を排除して競争を維持しようとした。アメリカの独占禁止法(シャーマン反トラスト法)ができたのは、一八九〇年である。

 ヒルファーディングは、銀行に資本が集中することによって彼らが特定の大企業に資本を集中して独占が進むと考えた。ここでは独占の利益は多くの事業を複合化して景気変動をまぬがれる利益と考えられ、レーニンも基本的にはこの理論を踏襲している。そして独占資本と金融資本は国家と結託して植民地支配に乗り出す。これがレーニンのいう帝国主義である。

 これは十九世紀後半に始まった現象ではなく、「長い十六世紀」から始まっていた。前述のように資本主義は最初から奴隷貿易や戦争と一体で始まったのであり、それを担った東インド会社は国家の貿易特許をもつ独占会社だった。これは総合商社のようなものだが、軍事機能ももっていた。

 しかしヨーロッパ諸国の植民地戦争が激化すると、東インド会社の間接支配では治安が保てなくなり、イギリスは直轄支配を強めた。インドでは「大反乱」を契機に東インド会社を解散し、ムガール帝国を廃して「インド帝国」として直轄支配のもとに置いた。これによってイギリス資本は、貿易より直接投資で利益をあげる形に変わった。

 これについてマルクスは、東インド会社の解散は植民地の支配権が貿易商人から産業資本家に移ったことを示すと書き(1)、これが今でも世界史の教科書に載っている。しかしインドの第一次産品はイギリスに輸出されたが、それを上回るインフラ投資がインドに対して行なわれ、インドの所得収支は貿易黒字を大幅に上回る赤字だった。この海外投資で潤ったのは産業資本家ではなく、金融資本家だった。

 この投資による支配構造を維持するため、インドの産業は徹底的に規制されたので、インド資本の企業は育たなかった。こうしてインド経済はイギリス経済に深く垂直統合され、貿易ばかりでなく投資においても強く従属するようになった。一八五八年から一八九八年までの間に、インドの対外送金額は平均するとインドの輸出額のほぼ半分を占めた。全送金額の約三〇パーセントが、投資への利子と利潤の本国送金を含む民間業務にかかわる支払いであり、残り二〇パーセントが公的な債務で占められた(2)。この結果、インドは大幅な貿易黒字だったにもかかわらず、莫大な債務をイギリスに対して負い、それを埋めるためにさらに対外債務を負う状態になった。他方、イギリスは大幅な貿易赤字を投資収益で埋めて経常収支は黒字になった。
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