ハッピーを指向するからこそ、幸せと豊かさは必然的に叶うもの!
ビバリーヒルズのメンターたちは、「つねに“ハッピーでいる”こと」をとても大切にしています。これは、自分自身もハッピーだけど、目の前にいる人もハッピーでいることを望んでいるもので、だからこそ、彼らは、自分のハッピーを他者にもふりまくのが大好きなのです。
「ハッピーでないなら、何をやっていても、この人生で成功したとは言えないんじゃないか?」と。そして、「幸せになること以外、何をしようというのだ!? この人生を生きている間に」。
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これまでわたしは、いろんな国の成功者や名高いお金持ちにもずいぶん出逢ってきましたが、中でもこのビバリーヒルズの成功者や億万長者たちは、特別ハッピーなのを感じます。
だからといって彼らはなにも、「超ハッピー!!」と騒いでいるわけではないし、「幸せ〜♪ 幸せ〜♪」と、手放しでよろこんでいるということでもありません。
ふつうにしているのに、そこはかとなくあふれるような幸せ感が漂っているのです。その満ち足りたムードやハッピーオーラが自然に人に伝わり、一緒にいる人に豊かな気持ちと大きな安堵を与えるのです。
こういったことをお伝えすると、「そりゃそうだろう、奴らは幸せだろうよ。お金持ちで豊かな暮らしをしているんだからな! なに不自由ない人生なんだから、さぞかしハッピーだろうよ」と、皮肉を言いたくなる人もいるかもしれませんが、そうではありません。
彼らはお金持ちになったからハッピーなのではなく、それ以前からハッピーでいることを指向していたから、結果的に豊かで満ち足りた幸せな現実を持てたのだということなのです。
自分が“ハッピーでいる”ということを、つねに心がけて実践するようになるとわかるのですが、この「つねに“ハッピー”でいる」というのは、“そうであればいいなぁ〜”という程度の単なる理想論や気分的にそうありたいというような、いいかげんで、危ういものではありません。
自分の中で“幸せになる覚悟”を最初からしっかりしている状態から出てくるものであり、人として生きていくうえで“はずせないもの”になっているということです。
本来、幸せになることは、自分の人生プランの中に、当然のこととして組み込まれているべき重要な要素なのです。
しかし、この世の中には、「そうそう毎日、幸せなど感じていられない」「ハッピーだ、ハッピーだと、めでたいことを言っている奴は、苦労知らずか、おつむの軽い奴だ!」「“つねにハッピーに!”と言われても、そんなものは幻想だよ、幻想! そんなこと無理だ!」というような人が多いものです。
それこそが、自らの中ですんなり叶うはずの幸せや豊かさを、自らおじゃんにしてしまうもったいない考え方なのです。
そして、そういう人にとっては、幸せというのは“いつかはつかめるかもしれないけれど、なかなかつかむのがむずかしいもの”であり、“たいへんな苦労のすえに、ようやくつかめる、ごく希なる状態のもの”であるかのように思われているのです。
しかし、“ハッピーでいる”というのは、現実的な出来事にかかっているのではなく、精神的なものです。“そういう気分で生きていたいかどうか”“幸せな気分を味わいたいかどうか”というところに大きくかかっているのです。感じ方の問題なのです。
さて、「つねに“ハッピー”でいる」ことを目指して生きるようになると、幸せになることがあとまわしになったり、無視されたり、どっちでもいいことにされることがまずありません。
“もしかしたら、わたしなんて幸せになれないかもしれない”などというような感覚も、まず、なくなってきます。幸せになることを否定的に考えることも一切ありません。幸せになれないなんていうのは、ありえない考えになってくるからです。
そんなわけで、「つねに“ハッピー”でいる」ことを、モットーに毎日を生きていると、もはや幸せしかやってこなくなるのです。幸せでないことには、かかわらないようにもなれるからです。