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暗号に敗れた日本
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歴史
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第一章 米大統領は日本の開戦意図に気がついていた

『暗号に敗れた日本』
[著]原勝洋 [著] 北村新三 [発行]PHP研究所


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一・一 米大統領は知っていた



一九四一年一二月七日のホワイト・ハウス
「ローズヴェルトは攻撃後にほっと安堵の表情、そして、さっそうとした態度だった。

 大統領は『共通の利害』のための乾杯、シャンパンをぐいと持ち上げた。彼の言った祝杯とは、彼の心の奥に永らく懐かれていた」。このフランクリン・ローズヴェルト大統領の描写は、旧ハドソン河のオランダ住人、彼の幼年期一〇歳のころ出会った友人チャールズ・サムナー・ハムリン夫人の日記、一九四一(昭和一六)年一二月七日からの引用である。この日記は米議会図書館が入手したものである。

 ハムリン夫人は、一一月二四日から六週間、大統領官邸に留まっていた。その期間の記述であった。一九六六(昭和四一)年一二月七日(水曜日)、アメリカ・イリノイ州の新聞「シカゴ・トリビューン」紙は米国軍事史における最悪の日、真珠湾惨禍の二五周年にあたる日に特集記事を掲載した。そして、日本軍が真珠湾を奇襲した時の前後にホワイト・ハウスで何が起こっていたかの内幕をハムリン夫人の日記などから暴露した。

 同時に、日米開戦一六ヶ月前の日本外交暗号PURPLE(パープル)と海軍暗号JN25(海軍暗号書Dおよび同乱数表)の解読状況、そして「その朝、ヴァージニア州アーリントン国立墓地に隣接するフォート・マイヤーにある自宅近くのロック・クリーク・パークへ愛馬と外乗に出た」と伝えられる、当時の陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル陸軍大将のの行動、実は攻撃当日の日曜日午前九時ごろ、彼は海軍作戦部長のオフィス(執務室)にいたことなども戦後の証言により明らかにした。


 日本海軍の真珠湾攻撃の報告は、ホワイト・ハウスの午餐(ごさん)中にもたらされた。大統領は海軍長官フランク・ノックスからの電話で、日本軍の攻撃開始一五分内に報告を受けた。その時、大統領は午餐会に出席せず、ホワイト・ハウス二階にある書斎で大統領顧問・助言者であり親友ハリー・ホプキンスと昼食をとっていた。大統領とホプキンスとは、コロンビア大学サムエル・ローゼンマンの橋渡しで彼の社会研究所員時に知り合った。彼は最初の大統領ブレイン・トラスト(首脳)の中でニュー・ディール以降も始終一貫、ローズヴェルトの最側近の助言者であった。失業問題を国家の力で消滅させようとするニュー・ディールの大きな試みの中で創設された「臨時連邦救済局」、この組織に代わって現れた「事業改善局」は、ホプキンスの支配下にあった。最初の首脳には、ハーヴァード大学のフェリックス・フランクフルター(最高裁判事)、第一次世界大戦時の軍需産業委員、投資家、ウッドロウ・ウィルソン前大統領の助言者でもあったバーナード・バルークも参加していた。彼は当時、米国を参戦に持ち込む一派に属していた。


 日本軍の真珠湾攻撃はホノルル時間午前八時の国旗掲揚の準備信号を揚げたのと時を同じくして起こった。日の出二八分後、真珠湾一二月七日午前七時五五分(当時のホノルル時刻はグリニッジ時のプラス一〇時間三〇分が標準時・日の出は午前七時二七分)、ワシントンDC午後一時二五分、東京は一二月八日午前三時二五分だった。

 歴史家は、大統領は真珠湾が攻撃された時に趣味の切手コレクションを楽しんでいたと、二五年間何度も言い続けていた。しかし、ハムリン日記は、大統領は三一名を招待した午餐に出席しなければならなかったことを暴露した。混乱した大統領夫人アナ・エレノア・ローズヴェルトは、招待客に大統領が降りて来ない理由を「日本からのニュースは非常に悪い」と言い訳し、説明していたことも明らかにした。大統領は、ノックス海軍長官からの電話で真珠湾が攻撃されたことを知った。そして、ヘンリー・スチムソン陸軍長官とコーデル・ハル国務長官にそれを伝えた。この時にノックスは、ディロン少佐の事務室でスターク作戦部長、ターナー戦争計画部長と話し合いをしている。その時に「真珠湾は空襲を受けつつあり。演習に非ず」の報告を受けた。ノックスは「これは大変だ。これは本当ではありえない。これはフィリピンを意味するに違いない」と言ったという。

 真珠湾奇襲が行われた三時間前、ワシントンDCの国務省内において国務長官、陸軍長官そして海軍長官は、日本とのあらゆる問題を話し合っていた。この日は、日本が前月一一月の二六日に米国政府が提示した一〇項目「The Ten Pointed-Note(俗称ハル・ノート)」に対する回答を提出することになっていることを暗号解読情報マジックから知らされていた。

ワシントンでは

 ハル国務長官は、午後一時に日本大使に会うことになっていたが、日本が何か悪事を企てていると確信していた。三長官は、どこを日本が攻撃するか地図を見ながら思案していた。彼らは海軍省から提出された米太平洋艦隊所属艦艇の所在位置を確認し、真珠湾に太平洋艦隊主力艦が停泊していることを知っていた。米海軍情報部外国諜報課(OP‐16‐F‐2)による一二月二日付け日本艦隊の所在は、戦艦一一隻の内「長門」「陸奥」「扶桑」「伊勢」「日向」「霧島」「榛名」「紀伊」(注:11番目の戦艦「大和」)は呉付近、「山城」は横須賀、「金剛」は舞鶴、「比叡」は佐世保、空母艦隊の内「赤城」「加賀」「咬龍」(注:正しくは「祥鳳」)「春日丸」(注:後の「大鷹」)「翔鶴」は九州南方、「蒼龍」「飛龍」「鳳翔」「龍驤」「瑞鶴」は呉となっていた。と同時に彼らは八時間半前に入手した日本政府の回答の「惟ふに、合衆国政府の意図は……仍て帝国政府は、茲に合衆国政府の態度に鑑み、今後交渉を継続するも妥協に達するを得ずと認むる外なき旨を、合衆国政府通告にするを遺憾とするものなり」という覚書最終項第一四部の内容とその提出時刻がワシントン時間午後一時であることも知っていた。その時刻、真珠湾では午前七時三〇分、極東においては真夜中であることも知らされていた。米側資料には午前七時三〇分、その時「dawn (夜明け) at」となっているが、ホノルルの日の出は、午前七時二七分で、午前七時三〇分は日の出後である。

 彼らの上司で米国憲法下に米陸海軍最高司令官の権限と任務、および米国民により行政長官として信託の伴う責任を負っていた大統領は、一一月一二日以降、日本外交電の解読・翻訳電文を副官を経て受け取っていた。同月二五日には戦争が切迫しており、早ければ月曜日(一二月一日)にも攻撃を受ける可能性があるとの明確な知識にもかかわらず、上院および下院がそれぞれ一二月四日および五日から一二月八日正午まで休会することを承認した。さらに日本政府が米国との外交上の合意に達する最終期限を一一月二九日と定め、合意の成立がない場合には「その後の情勢は自動的に進展に至る」をワシントン在日大使に通報したことも知っていた。

 大統領は一二月一日に解読・翻訳された「速やかにヒットラー総統およびリッベントロップ外相と会見し、……遂に武力衝突の発生によって、日本とアングロ・サクソン諸国家(注:英米両国を示す)との間に戦争状態がにわかに起こるかもしれない危険が極めて大きいことを、ごく内密に通報し、こうした戦争勃発の時期は意外に早く来るかもしれないことを付け加えられたし」に深く関心を示し手元に留めた。

 また五日には大統領補佐官が特別の注意を促した暗号書の焼却を指令した電文に「それが何時起こるか」と補佐官に訊ね、それを戦争はいつ起こり、われわれはいつ攻撃されそうであるかとの意味に理解した補佐官より「いつでも」との答えを得ていた。

 真珠湾攻撃が始まる一六時間前、大統領は入手した「……今次合衆国政府の提案中には、通商条約締結、資産凍結令の相互解除、円弗為替安定等の通商問題ないし支那に於ける治外法権撤廃等、本質的に不可ならざる条項なきにあらざるも、他方四年有余に亘る支那事変の犠牲を無視し、帝国の生存を脅威し権威を冒するものあり。従って全体的に観て、帝国政府としては交渉の基礎として到底之を受諾するを得ざるを遺憾トス。……」と記した覚書第一三部を読み、「これは戦争を意味する」とも言った。

 大統領は、十二分に日本政府の戦争意図を知ることができていたのである。

 大統領はどこまで日本政府の意図を知っていたのだろうか。大統領は、遥か彼方の日本政府の意図をほぼ時間を置かずして陸海軍情報部から知らされていたのである。それは、米陸海軍部が所持していた秘密兵器にあった。日本外務省が在外領事館とやり取りする暗号電文を翻訳する九七式暗号機(「パープル暗号機」)を模造していたのである。

 トリビューン紙は、戦争前の一〇月から一二月にかけて存在していた模造暗号解読機の台数を暴露した。パープル暗号機は米陸軍省二台(一台目と六台目)、米海軍省二台(一九四一年一月四台目と七台目)、米暗号解読班フィリピン・コレヒドール一台(五台目は一九四一年四月カビテに)、英国・ロンドン三台(一九四一年一月には二台目、三台目そして一〇月初旬に八台目)の計八台があった。

 レッド暗号機は米海軍省一台、米暗号解読班ハワイ一台、コレヒドール一台、英国・ロンドン一台、英暗号解読班シンガポール一台の計五台、J‐19(ホノルル領事館)と補助形式暗号機は陸軍省一台、海軍省一台、ハワイ一台、コレヒドール一台、ロンドン一台、シンガポール一台の計六台、合計一九台あったことを明らかにした。

 大統領はこれら模造暗号解読機から生み出される解読文により日本政府の意図を知ったのである。

 米軍が呼称する「パープル」とは日本外務省が使用する九七式欧文印字機(B型暗号機)、「レッド」は九一式印字機(A型暗号機)、「ジェイド」は欧米海軍武官用の九七式和文印字機二型付属Bタイプライターで秘匿名「飛」を意味していた。また九七式欧文印字機三型(昭和一二年兵器採用)を「コーラル」と称した。外務省固有の暗号機械とはまったく別箇のもので配線並びに文字の配列など構造がまったく異なっていた。


「マジック」情報

 これら暗号解読機から生み出される暗号解読情報は「マジック」と呼ばれ、最初は大統領を含む一〇名の限られた首脳陣のみが知り得る情報であった。マジック情報の配布は、一九四一年一月二三日の陸海軍情報部長間の協定で、大統領、陸軍長官、海軍長官、国務長官、参謀総長、海軍作戦部長、参謀本部戦争計画部長、海軍作戦部戦争計画部長、陸軍情報部長、海軍情報部長の政策決定参画者へ、ほかに陸海軍通信部長や解読・翻訳関係者、その後に海軍作戦部次長や大統領顧問ハリー・ホプキンス、大統領付の陸海軍補佐官が英文テキストを読む機会を与えられた。陸軍は陸軍省内と国務省、海軍は海軍省内とホワイト・ハウスへの配布責任を負っていた。

 参謀総長は人数を最少に制限、日本の外交暗号を解読しつつある秘密を防護するためワシントン以外にはその配布をやるべきでないとの方針であった。

 一九四一年一一月七日、海軍副官ジョン・ベアドール提督は大統領の指示により、米陸海軍省間の協定により解読した日本の外交電報の簡単な要旨の代わりに全文を提出するよう海軍省担当者に要求した。大統領は提督に、何が起こっているかいつも訊ねていた。一一月一二日以降、完全な解読電報が毎日補佐官を経て大統領に提出されることになった。

 ワシントンでは、ハワイのキンメル提督やショート将軍には入手できない情報源から日本の意図に関する重大情報を入手していたのであった。




 米陸海軍部は、いつから日本外交暗号を解読していたのであろうか。トリビューン紙は、米陸軍が最初に日本外交暗号を解読したのが、一九四〇(昭和一五)年九月二〇日午後二時。解読は可能との最初の指示符(パープル暗号機の六文字組〈EQADRH〉)の発見が解読に導いた(挿入図参照)としている。それは一八ヶ月間の徹底的な学習の結果であった。一週間後の九月二七日までに指示符59173にある作業は二通の翻訳電を提出するまでになった。それは日独伊三国同盟がベルリンで調印された二日前の一九四〇年九月二五日で、四部に分割された東京とベルリン間の機密電報であった。なお、陸軍により完全な翻訳が完成したのは一ヶ月後の一〇月二八日であること、その一週間後に五数字暗号の日本海軍暗号書D、米軍呼称JN25も米海軍により解読の突破口が開かれたことを暴露した。

 数字形式暗号JN25はそれまでの日本の暗号形式とは根本的に異なっていたが、すでにその形式は米西戦争中(一八九八年)に米陸海軍(一九一七年に旧式として放棄した)、そして第一次と第二次世界大戦中に英仏海軍が使用していた暗号形式と同じとされるものだった。暗号形式は解析されていたが、その解読作業は単純で骨の折れる手数のかかるものであった。現在、米国立公文書館に保管されている一九四七年三月一〇日付OP‐20‐NA編「Captured Japanese Documents Their Contri-bution To OP-20-GYP」文書に海軍暗号D解読の突破口は米国内日本領事館から盗んだ古い日本海軍暗号四数字暗号の組成がヒントと暴露されている。

 一二月四日、日本海軍は使用していたD暗号の乱数表第七号を第八号に更新した。しかし、外交暗号を読んでいた解読班には何の驚きもなかった。結局、日本政府の意図を知ることのできる「マジック」情報は真珠湾攻撃前の米首脳陣への重要な情報源となった。

 にもかかわらず、真珠湾は日本軍の攻撃を受けた。海軍省のハロルド・スターク海軍作戦部長は、太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将からの「真珠湾の艦隊に対する空襲は午前七時五〇分に開始された。戦艦三隻沈没、他多数の艦艇が被害を受けた。損害は大きいとわかっているが、その程度は決定できない。航空機の大部分は地上で破壊された。可動航空機と艦艇は索敵中。空母は洋上にあって損害なし」の報告を受け取ると、その八分後に「日本に対する航空と潜水艦戦の無制限攻撃を実施せよ」と太平洋艦隊、パナマ、アジア艦隊の各司令長官、太平洋北部、南方方面、ハワイ沿岸警備隊各指揮官宛に下令した。

真珠湾の惨禍

 真珠湾で何が起こっていたのだろう。一九四一年一二月一一日早朝、ノックス海軍長官(一八七四年一月一日〜一九四四年四月二八日・共和党員。一九四〇年七月一〇日着任)は飛行艇でハワイ・カネオヘ湾に着水すると惨禍を視察するため潜水艦基地司令部に向かった。彼は「私はいかなる高級士官のゲストでもない」と調査の使命を帯びたことを示す訓令を出していた。

 途中、軍港内で二列に並んだ四日前の太平洋艦隊主力戦艦列の修羅場、残骸を片付け、遺体を収容する姿にはショックを受けた。フォード島東側戦艦列F‐3に左に傾斜したまま海底に着底した「カリフォルニア」、F‐5に係留する「メリーランド」の外側には巨大な艦底を海面に露出して転覆した「オクラホマ」、F‐6に係留する「テネシー」の外側に完全に着低した「ウエスト・ヴァージニア」、その前方F‐7には主砲塔のみを残して完全に破壊された前部を海面下に沈めた「アリゾナ」、F‐8から単艦移動してホスピタル岬沖に擱座(かくざ)した「ネヴァダ」、北側バースF‐11には転覆した標的艦「ユタ」が艦底をさらし、海面には流出した重油が漂っていた。ほかに浮船渠(せんきよ)内で火薬庫の大爆発で後部船体のみが原形をとどめる駆逐艦「ショー」、第一乾ドックに入渠中に被弾した「ペンシルヴァニア」と炎上破壊された駆逐艦「カシン」と「ダウンズ」、1010埠頭では機雷敷設艦「オグララ」が転覆しているのが望見された。

 海軍長官は三二時間の調査結果を二九ページの報告書にまとめてローズヴェルト大統領に提出した。彼は、何が真珠湾で起きたかを国民が知ったらパニックに陥り、われわれが戦争に参加する前に終わってしまうだろうと言った。そして、被害があまりにもひどく、すべてを報告書に記載すると被害が漏れる恐れがあるので割愛したことを認めた。

 実際の損害は、海軍の戦死、行方不明、そして負傷後の死者を合わせ二〇〇八名、負傷七一〇名、海兵隊は戦死一〇九名、負傷六九名、陸軍戦死二一八名、負傷三六四名、民間人(陸海軍基地の技術者)戦死六八名、負傷三五名、計三五八一名(注:両院合同委員会記録では死傷者三四三五名)。
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