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暗号に敗れた日本
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歴史
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第五章 暗号誤用に謀殺された山本五十六大将

『暗号に敗れた日本』
[著]原勝洋 [著] 北村新三 [発行]PHP研究所


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五・一 ウルトラ情報と連合艦隊司令長官搭乗機撃墜



山本五十六の巡視予定を示す電文

 一九四三(昭和一八)年四月一三日一七時五五分、日本海軍南東方面艦隊司令長官はバラレ守備隊指揮官を含む複数宛の電文を発信した。翌日、ハワイ通信諜報班ハイポ(その呼称は時に応じてNPM、FRUPAC、HOWと使い分けられた)は、南東方面艦隊の電文翻訳から断片情報を取り出した。「四月一八日、連合艦隊司令長官は……次のごとし。バラレ島(RXZ)……」。この情報はCOM14‐1401082と記録された。COM14はハワイの戦闘諜報班を意味する。そして、「おそらく、連合艦隊司令長官 山本五十六大将による巡視予定。乱数列が不足しているが、われわれは継続作業中」とのコメントをコペック暗号で諜報班間・首都ワシントンのNEGAT(同様にNAN、NSSと使い分けられた)と、フィリピンからオーストラリアに移ったメルボルン(前身はキャスト、同様にベルコネン、T2W、ベーカー、FRUMELと呼称した)に伝えた。

 電文の中に含まれていた重要な手掛かりは、解読班内に非常な関心を喚起させた。あらゆる努力は翻訳を完了させる方向にあった。作戦が差し迫っている時、通信諜報班ワシントンとメルボルンを含むハワイ暗号解読班はそれぞれの確認事項を交換し合っての共同作業で電文の空所を埋める土壇場のめざましい努力が次の結果となった(左線部および空白部は未解読部分)。



 四月一八日連合艦隊司令長官は、以下の予定に従ってRXZ(バラレ)、R_そしてRXP(ブイン)を訪問する。

 1.戦闘機六機に掩護された中型攻撃機で0600にRR(ラバウル)を出発、0800にRXZ(バラレ)に到着。R_へ駆潜艇により前進、0840到着(第一基地に駆潜艇を準備)。R_を上記駆潜艇で0945出発そして1030(?)RXZ(バラレ)に到着( )。中型攻撃機で1100(?)にRXZ出発そして1110にRXP(ブイン)に到着。中型攻撃機で1400にRXPを出発そして1540にRR(ラバウル)到着。

 2.上記場所各地に、連合艦隊司令長官は短期視閲をする。そして各所で長官は傷病者を見舞うが、現作業は継続せよ。各部隊指揮官_。

 3.悪天候の場合、巡視は一日延期する。


 この電報の発信者と受信者は、日本側資料によれば次のようである。

 発信者:共符(これは発信者を明確にしない時に使用された)

 着信者:第一根拠地隊(ブイン)、第二六航空戦隊司令官、第一一航空戦隊司令官、九五八空司令、バラレ守備隊長

 この着信者については後の五・五節でも触れることにする。
(OPNAV‐142157Z、注:Zはグリニッジ時)。四月一五日、米太平洋艦隊司令長官は太平洋方面の全部隊指揮官にウルトラ情報「山本自身ラバウルから戦闘機六機に掩護された爆撃機に搭乗一八日1000にバラレ・ショートランド地区に到着する、同日1600カヒリを出発ラバウルに帰る。すべての日付と時刻はL(注:現地時間)。もし、悪天候なら、一九日に延期される」(150249Z)を送った。東京と現地には二時間の差があった。

 先の電報とは別の電報もあった(後述)。同日メルボルンの通信諜報班は、日本軍四月一四日1221 I(注:Iは日本時間)発信電を解読した。

 それはラバウル(注:第八)根拠地隊が未確認宛先へ発信した山本司令長官の特別訪問のためにとるべき警戒措置準備、そして基地に対する空襲に関する状況を考慮せよというものであった(BEL‐150643Z)。

 しかし、これらの情報には、いくつかの問題があった。これは暗号の機密保全を照合するための巧妙な日本軍の策略ではないか? 特定の地域における米軍機の存在は、米軍が日本軍の電文を読んでいることを敵に暴露することになるのではないか? 最後には日本軍は、米軍が(はか)られてのこのこ出てきた以外は何も疑わないと想定された。

Get YAMAMOTO

 決断を下したのは太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域司令長官チェスター・ニミッツ大将である。彼は山本大将を謀殺することが、われに有利になるのか? 山本を失った日本国民がどう反応するか、日本海軍の戦略・戦術がどのように変化するか、さらに山本より優秀な新たな人物が出現するかなど深く考えた末、「Get YAMAMOTO」の命令を下した。

 さらにニミッツは、「通信諜報の機密を守るため情報の機密保全に対する特別の注意を払うことを確認、飛行士にはラバウル地域の沿岸監視員が米潜水艦に、バラレまたはその付近を日本軍高級士官が視察する情報を連絡してきたのが情報源と連想させよ。本作戦を偶然と思わせ遂行するあらゆる努力を指示せよ。われらの最高の願いと最上の望みは迎撃狩人と共にある」ことを強調した。

 島航空部隊指揮官(ガダルカナル島ヘンダーソン航空基地)に伝えた。T・S・ウィルキンソン少将は、山本搭乗機撃墜に関する証言の中で、「我々は、南太平洋戦域において解読原文を一度受け取った。その時期に南太平洋部隊指揮官ハルゼー中将はオーストラリアに行っていたため、代理指揮官としてハルゼー中将に代わって邀撃の準備をした。予備の日は二日間であった。私はニミッツ大将に『我々はこの任務を遂行できる』と回答した」と語っている。

 迂回路四三五海里・二時間九分間の航空路選定業務は第三三九中隊作戦将校ジョン・コンドン少佐が行い、海面上すれすれの高度五〇メートルを飛行してレーダーの探知回避に努めるよう訓令した。そして「犠牲を惜しまず敵機を撃墜せよ」と命令した。山本は搭乗しているか?

 最終的に、その答えは、次の電文の到着とともにもたらされた。一九四三年四月一八日ソロモン諸島航空部隊指揮官発、南太平洋方面部隊指揮官宛 通報:太平洋艦隊司令長官、南太平洋航空部隊指揮官・司令部、合衆国艦隊司令長官「……0730Iごろ 零戦六機に掩護された爆撃機二機を撃墜した……四月一八日はわれわれにツキをもたらすらしい」。電文最後の言葉は、今回の空中待ち伏せ作戦の指揮官ミッチャー少将が付け足したものだった。

 一年前の四月一八日は、米陸軍航空隊ジェームズ・ドゥリットル(陸軍中佐)隊が日本本土東京奇襲に成功した記念すべき日であった。その時の第一六任務部隊指揮官はハルゼー中将で、空母「エンタープライズ」に座乗、双発B‐25一六機を搭載した新造空母「ホーネット」艦長はマーク・ミッチャー大佐だった。

 一週間後の四月二四日、詳細が南太平洋方面部隊指揮官より太平洋艦隊司令長官宛、通報:合衆国艦隊司令長官に送られた。「一八日のブイン作戦のハイライトの報告。P‐38四機の狩人をP‐38一二機が掩護した。カヒリ北西三三マイル(約五三キロメートル)の高度四五〇〇フィート(約一三七〇メートル)に二機編隊の爆撃機を発見。わずか後方上空一五〇〇〜二〇〇〇フィート(約四六〇〜六一〇メートル)に零式戦闘機六機。零戦がP‐38を攻撃中、爆撃機は分離、急降下した。敵爆撃機一機は密林樹をかすめる高度で攻撃された。翼が折れ飛び、爆撃機は炎に包まれ地上に墜落した。第二の爆撃機は尾部が吹き飛び、真っ逆さまに落ちた。第三の爆撃機は遭遇戦となり、P‐38が避退中に空中で爆発した」と三機の撃墜を報告した。

 当日のカヒリ上空の飛行は、山本長官搭乗機と宇垣纒(うがきまとめ)参謀長搭乗機の一式陸攻二機と掩護の零戦六機(隊長森崎武中尉)だけであった。なぜ、米軍記録は、三機撃墜になったのであろうか? 生死をかけ極度に緊張する戦闘心理のなかで起こった出来事は、平時では想像がつかない結果を生み出す。

 一八日、空中待ち伏せ作戦任務を終え飛行士が帰投したヘンダーソン飛行場(暗号名カクタス)では、飛行士間でちょっとした口論が始まっていた。「俺が山本を撃ち落とした」第七〇中隊トーマス・ランフィア世大尉は何度も繰り返し主張した。「僕がやったのは爆撃機二機、零戦一機だ」レックス・バーバー中尉は、戦果を評価する情報将校に報告した。ランフィアはこの戦果報告に対し猛烈な勢いで「実際に見たのは爆撃機二機、そのうち一機を確実に撃墜した」と抗議した。「ランフィアは零戦に対し急上昇していたので、その後爆撃機を追囁(ついじよう)するために引き返してきた時に、どちらが先導機なのか分かる筈がない。その間に自分は、爆撃機をすでに撃墜若しくは致命傷を与えていた。その後、海上でも一機を撃ち落とした」とバーバーは再び反論した。

 ランフィアとバーバーは、すべてが三〇秒くらいで終わった空中戦の様子を生々しく描写しながら互いに爆撃機を撃ち落としたと主張して譲らなかった。だが、ジャングル上空で爆撃機を撃墜した点で二人の意見は一致していた。「俺たちが生きている間に、君と僕とどちらが実際に山本を撃ち落としたか分からないと思う。それでいいじゃあないか」というランフィアからバーバーへの問いかけで論争は終わった。

 護衛零戦の生き残り柳谷謙治(飛行兵長)は、戦後に「敵機は下方から急速接近、私たちは発見が瞬間的にやや遅かった。迷彩色の敵機がジャングルの緑と重なってわかりにくかった。敵の一番機がバンクして一式陸攻に突っ込んでいった。トップにきた敵機を追い払い、態勢を整えて二撃目を加える。その間に、後続機が長官機の後ろについて射撃していましてね。敵機は、一式陸攻に目標を定めて突っ込んでくる、必殺でくるんですから、手に負えないんです。そのうち、長官機か参謀長機かわかりませんが、一機は黒煙を吐いてジャングルの方に突っ込んで行く、ほかの一機も白い煙を吐いて海上のほうへ……。態勢を立て直して見た時には、ジャングルに落ちた機から煙が上がっていました。炎も少し見えましたね。煙は真っ黒で……」と歴史的瞬間を証言している。

 ジャングルに落ちたという山本長官搭乗機は、長さ四〇〇メートル、幅三〇メートルにわたって密林を切り裂き、巨木のところで止まっていた。現場の樹林折損状況から、機体は滑空約五度の浅い角度で海岸方向に向いて、密林に突入したことを示していた。機体はもんどり打ってジャングル内に落ちて行ったのではなかった。本作戦を指揮し、狩人四機の掩護をしたジョン・ミッチェル少佐は、「敵戦闘機の迎撃攻撃に備え遥か上空に占位し、P‐38二機が爆撃機に向かっていくのを見た以外、下で何が起こっているか、まったくわからなかった。ジャングルから煙が上がっているのは見えたが、それが敵か味方機かもわからなかった」と報告した。

 戦況聴取を終えた情報将校は、「了解した。日本海軍は暗号電報を発信した後に二機の爆撃機を追加したに違いない。だから実際は、三機いたことになる。ランフィアとバーバーがそれぞれ一機ずつをジャングル上空で撃墜、三機目をバーバーが海上で仕留め、二人がそれぞれ零戦一機ずつを撃ち落とした」とその場で結論づけた。ヘンダーソン基地は、作戦成功を祝う飛行士、整備員、海兵隊員、陸軍の兵隊をも含め興奮のるつぼと化していた。

 帰投した飛行士(出撃一六機のうち一四名)が気勢をあげている最中に、狩人の残りの一人、ベスビー・ホームズ中尉が帰ってきた。彼は燃料切れで、途中、味方基地ラッセル島で燃料を補給したため遅れて帰投したのだった。彼の僚機レイモンド・ハインズ中尉は遂に帰ってこなかった。ホームズの報告「爆撃機一機と零戦三機を撃墜した」は、先の戦果をさらに混乱させた。飛行士たちは、三番機をめぐって議論したが、戦況報告より任務成功を祝うばか騒ぎに盛り上がった。

 結局、情報将校は、本作戦における飛行士の任務が並はずれて難しいこと、任務内容を厳しく秘匿しなければならないことを十分に考慮して、山本搭乗機撃墜の武勲を誰に帰すべきかを再度飛行士と検討を重ねることなく、南太平洋方面部隊司令部に空中待ち伏せ作戦の(てんまつ)を報告したのであった。その結果、爆撃機三機撃墜の記録が残ることになった。その後、誰が山本を撃墜したかの論争は長く続くことになる。

 米軍が記録した零戦三機撃墜はまったくの誤りで、当時掩護の任務に就いていた零戦六機は全機帰投していた。岡崎靖二等飛行兵曹機はエンジン故障で、バラレ島飛行場に着陸したが、ほかの五機はブイン飛行場に着陸した。森崎中尉が基地指揮官に、「一機はジャングルに不時着、炎上。一機は海上に不時着」と報告した。全員は一切他言するな、海軍だけではなく全軍の士気に影響する、慎重な行動をとるようにとの訓辞を受けた。

 その日の午後、全員でラバウルに帰投、基地指揮官に報告した。宿舎には直ぐには帰らず、飛行場の指揮所で待機、二〇四空司令官杉本丑衛大佐からも連合艦隊の重大事故だから、宿舎に帰っても絶対口外してはならない。全軍の士気に影響することだから、何かこちらの指示があるまで絶対口外してはならないとの訓辞を受けた。
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