読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1238146
0
自分を活かす心理学 なぜわざわざ辛い人生を選ぶのか
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
自分を活かす生き方、殺す生き方

『自分を活かす心理学 なぜわざわざ辛い人生を選ぶのか』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:31分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


自信がないから特別扱いを求める苦しい生き方


 自分は他人と違って特別の尊敬と注目をもって扱われるべきだという感情と、自分は誰からも愛されない存在であるという感情とが同じ心の中で生きつづけていることがある。それが神経症なのであろう。このような人は二つの世界に住んでいる。

 どうしてこんなに全く矛盾した感情が同じ心の中で生きつづけることが可能なのであろうか。それは案外単純なことのようである。

 自分は誰からも愛されない存在であるというのは、実際の自分についての感じ方である。もう一つの、自分は特別に扱われる資格のある人間だという感情は、演じている自分についての感じ方である。

 つまり小さい頃から自分を殺して親のお気に入りになるように演じることで、自分は特別に扱われた。しかし実際の自分の感じ方を率直に述べるとひどく罰せられた、などという体験がもとになっているのであろう。

 自分が上司のお気に入りの人間であると信じている時、上司は自分を特別に扱うに違いないと信じる。しかしその時上司が自分を他の部下と同じように扱うとものすごく不満になる。

 日本人が「あいつは甘えている」と悪い意味で言う時は、たいてい「あいつは神経症的要求を持っている」「あいつの要求は神経症的だ」ということのようである。

 つまりそういう人は、自分のやったことが必ずうまくいくと思っている。ところがそのような結果にならない。そんな時われわれ日本人は「あいつは甘えている」と言う。

 自分のやることが何であれ、困った結果をもたらすべきでないというのが神経症的要求なのである。

 また自分のやることを皆が協力すべきである、誰も自分のやることを妨害すべきではない、自分が困った時には周囲の人は助けるべきである、周囲の人は自分を妨害すべきではない、自分のやりたいようにやらせておくべきである。自分の困難を救うのは自分の責任ではなく他人の責任である。

 これらのことをする大人を「あいつは甘えている」と言う。そして今述べたような要求がまさに神経症的な要求なのである。この要求の内容は小さい子供の要求ではなかろうか。三歳の子供は自分が困った時、それを救うのは自分の役割ではなくて周囲の大人の役割であると感じている。たとえ自分の行動によって困ったことになっても、責任をとるのは大人である。

 三歳の子供がすれば自然な要求も、三〇歳の大人がすれば神経症的要求になる。「あいつは甘やかされすぎている」と言う時、周囲の人がその人のこのような要求を受け入れてしまっているということであろう。

 こうしたことを考えると、大切なのは小さい頃甘えの欲求が満たされることである。甘えの欲求不満が神経症のもとになっている。甘えの欲求は満たされることで解消する。

甘えという言葉のもつ二とおりの意味

「あいつは小さい頃甘やかされすぎた」ということをわれわれはよく言う。これはたいてい悪い意味である。あいつは甘やかされすぎた、と言う時われわれは「あいつは自分の責任がとれない」「あいつは何でも他人が悪いという」「あいつは自分一人でいい気になっている」「あいつは独りよがりで思い上がっている」等々の意味であろう。

 では甘えの欲求が満たされているはずの「甘やかされすぎた人」が、なぜ甘えの欲求の満たされていない神経症的要求をするのか。

 私は「甘やかされすぎた」という表現が誤解を生むのだと思う。「あいつは成長欲求を摘み取られてしまった」と表現したほうが分かりやすい。

 甘やかされすぎたと言われている人は、たいてい本当の意味で甘やかされていない。それが私自身若い頃からそう思いつづけてきたことであるが、「子煩悩(こぼんのう)と子供を理解することとは違う」という格言の中にあらわれている。

 子煩悩というのは、親が子供に自分の感情を投影していたにすぎないことが多い。子供とはこういうものだという自分勝手な図式を子供にあてはめて、そのうえで自分の感情を押しつけて猫かわいがりしていたにすぎないのである。
「あいつは子供の時甘やかされすぎた」と悪い意味で言われるのは、たいてい「あの人は子供の時親に操作されすぎた」と表現したほうが正確な気がする。

 親が子供に頼られることを必要としたので、子供の心理的成長を望まなかった。そこで子供がいつまでも弱々しく頼りなくいるように子供を操作したというのが、「甘やかされすぎた」ということであろう。

 子供を弱々しく頼りない存在から、強く自分を頼れるような大人に心理的に成長させることが本当の意味で甘やかすということである。悪い意味で小さい頃から甘やかされすぎたというのは、甘えの欲求が子供の中から消えないように操作するということである。

 自然の成長にまかせれば甘えが解消するものを、それを阻止したのはほかならぬ親なのである。甘やかされすぎたという人はたいてい子供の頃、親から自分の言うことに耳を傾けてもらったことがない。

 だからこそ神経症的な大人はいい年をしていつまでも、「誰も私の言うことを分かってくれない」「誰も私の苦しみを分かってくれない」と言いつづけるのである。

 つまり悪い意味で「甘やかされすぎた」という時には、子供は案外本当の切実な要求を無視されている。したがって悪い意味で甘えという言葉がつかわれている時は、我執(がしゆう)の親の立場からの視点で甘えという言葉をつかっているのであり、小さい頃甘えは満たされたほうがよいというように良い意味でつかわれる時は、子供の視点から甘えという言葉をつかっていると考えられる。

 したがって神経症的要求を持つ者は二つの世界に住むことになる。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:12894文字/本文:15202文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次