『自分に目覚める スピリチュアル旅へ 聖地巡礼、魂の故郷を訪ねて』
[著]山川亜希子
[発行]PHP研究所
グランドキャニオン
コロラド川の川下り
コロラド川は有名なグランドキャニオンを作り出した川です。一本の川が何億年もかけて少しずつコロラドの大地を削ってゆき、今のグランドキャニオンが出来たと言われています。
私は1984年、とても幸運なことにコロラド川の川下りに行くことが出来ました。ゴムボートに乗ってコロラド川を上流からグランドキャニオンまで、3泊4日ほどで下ったのです。
これは滅多に出来ないすごい旅行でした。川は時には静かに流れ、時にはラピッドと呼ばれる急流になります。急流の間には岩があって、そこを巧みによけながら流れ下るのですが、そのスリルはかなりのものでした。時々、ラピッドを下っている時に、ボートから川に落ちる人もいて、その時はどうすればよいか、最初に口を酸っぱくして教えられました。もちろんライフジャケットは着ていますから、落ちても浮いていられます。怖いのは、水に流されている間に岩に頭をぶつけること。だから、足を川下に向けて流れていきなさいとのことでした。幸い、私たちの仲間は無事でしたが、同じ時に川下りをしていた別のグループで、川に落ちて亡くなった方がいたそうです。
そして、川の両側には川によって大地が削られて出来た崖がそびえています。川は2億年前と同じところを流れています。だからその崖には2億年間の地層の積み重ねがそのまま現れています。2億年間に積み重なった地層なのです。今、ここにいる不思議。ふと2億年の歴史と自分が一つになるような気がしました。
夜は川辺の砂の上で野宿でした。満天の星空の下、ゴムマットの上に毛布を掛けただけで寝ました。雨が降らないので、テントは必要ないのです。その代わり、昼間の日射しの強さは半端ではありませんでした。半ズボンをはいていたら、半日で腿が真っ赤に日焼けしてひどい目に遭いました。4日間、その太陽に当たっていたら、たっぷり日焼け止めクリームを塗っていたのに、顔の皮膚が焼け焦げて鱗のようになりました。
川下りの最後は、グランドキャニオン南壁の下にある船着き場でゴムボートを降りて、そこから上まで6時間かけて2000メートルの壁を登りました。すでに4日間の川下りで、いい加減ぼろぼろになった私たち。時々、上からハイキングして来る人たちに出会うと、「大丈夫ですか?」と心配されました。お弁当と水を持ってただただ、登るのみ。うんざりするほどの登りでした。
キャニオンの上に着くと、そこは大人気の観光地で、こぎれいな観光客でいっぱいでした。そこに現れたぼろぼろの私たち。びっくりだったでしょうね。ちょっと得がたい冒険の旅でした。
マウイ島、そしてハワイ島
ドルフィンスイムに夢中
子どもの頃、祖父母が静岡県の沼津に住んでいました。千本松原の海岸へは徒歩5分、海岸までの道はお金持ちの大きな別荘が続くきれいな小道でした。夏になると、毎年沼津で夏休みの半分くらいを過ごしました。富士山から流れ出る冷たくておいしい水が豊かに湧き出している井戸には、いつもスイカやトマトが浮いていて、冷たいおやつになりました。
そんな環境にいて、夏にはいつも海に入っていたのに、私は泳げるようになりませんでした。それどころか、水が怖くて仕方なかった。
学校ではプールに入ると脳貧血を起こして倒れていたので、プールには入らないでよろしい、という特別のお許しをもらいました。中学でも同じよう、高校も水泳はずる休み。だから大学生になっても、ほとんど泳げませんでした。
泳げない人は伊豆の戸田(その頃、ここに大学の保健体育寮があった)に行って、水泳講習を受けなければなりませんでした。仕方なしに行ったのはいいけれど、その数年前(1958年)、狩野川台風で狩野川が氾濫し、戸田の海には川からのヘドロがたまっていました。100人くらいもの学生が一斉に海に入ると、それまでは青く澄んでいた海が、一瞬で茶色くなりました。