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新『戦争論』の読み方
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政治・社会
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第四章 歴史が語る戦争と軍隊

『新『戦争論』の読み方』
[著]長谷川慶太郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:39分
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第一節 軍隊の歴史




古代国家の成立と軍隊


 本章では、古代から現代までの軍隊の歴史を簡単に辿(たど)ることによって、武器としての「核兵器」が人類に対して持つ意味を考察してみたい。

 人類の歴史を(さかのぼ)ってみれば、かつては民族全体、国民全体が軍隊であった。古代の歴史をひもとけばわかるように、あらゆる民族は、隣接する民族との間に発生した武力紛争を、民族の成年男子人口全体で構成される軍隊によって闘った。

 その実例としてクラウゼヴィッツはタタール族をとりあげて論じている。隣接民族との武力紛争において敗れた側は、その民族全体が勝利した民族の奴隷にされるか、全員がそれこそ文字通り老若男女問わず殺戮された。すなわち古代においては、敗戦はそのまま一方の民族の全面的な滅亡を意味していた。

 古代国家が成立する過程で、この「国民皆兵」あるいは「民族皆兵」から一歩進んで、「職業軍隊」あるいは「傭兵(ようへい)」、すなわち軍人を職業とするグループが発生してくる。古代において、多くの戦争に勝ち抜き、広大な領土を持ち、多数の民族を支配下においた「世界帝国」は、例外なく「職業軍隊」を保有していた。

 例えば、ローマ帝国では「レギオン」と称する常備軍を備えた。彼らはローマ皇帝から金銭の供与を受けて戦争に従事する「職業軍人」の集団であった。彼らは、最初はローマ人のみであったが、帝国の領土が拡大するにつれ、ローマ人以外の異民族をも含むようになり、帝政の末期にはすべてが異民族によって構成されるようになった。そしてその最高指揮官が皇帝に就任するという慣行が、すでにローマ時代において確立したのである。そこに、もっぱら戦争に従事する軍隊と、軍隊を支え、彼らに守られて平和的職業に従事する国民との分業が発生する。

中世の軍隊


 古代帝国が崩壊したあと、中世では、同じく「職業軍人」として貴族あるいは武士が発生する。彼らは職業として戦争に従事するだけでなく、その保有する軍事力によって多くの農奴を支配下においた。

 クラウゼヴィッツによれば、中世における大小の君主制国家は、いずれも臣従関係によって組織された封建制軍隊をもって交戦していたという。この時代の武装と戦術は、個人間の闘争に照準を合わせていたため、大集団には適さなかった。戦争は敵を()らしめるために行われたので、兵士たちは敵の家畜群を奪い去ったり、敵の城市を焼き払ったりするだけで故国へ引き上げたのである。

 やがて、中世の軍隊は、十六世紀初めに中国から伝わり、その後幾多の改良が加えられるようになった鉄砲の使用とともに、急速に変質していく。

重要兵器としての鉄砲


 日本においては、戦国時代の末期に種子島を経由して渡来した鉄砲は、わずか三十年足らずの間に全国に普及する。たちまち当時の「封建軍隊」にとって欠かすことのできない重要兵器としての地位を占めたのである。かつて平安時代に発生した武士は、主として弓、刀、長刀などを武器とし、騎兵がその中心であった。しかし戦国末期に導入された鉄砲の威力の前に、彼らはその存在意義を失う。軍隊の主力は農民から集められた足軽集団に移り、彼らが使用する鉄砲の威力は、それ以前の騎兵集団の存在意義を完全に失わしめたのである。織田・徳川連合軍対武田軍の決戦、有名な長篠の戦いがそのよい例である。

 このように、十六世紀末の日本では、天下統一の主体は、いわば鉄砲を装備した足軽集団からなる封建軍隊であり、その指揮官が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康であったのである。彼らはやがて全国を統一し「封建体制」を築き上げるのである。

近代国家の成立


 欧州でも、ローマ帝国の後をうけた封建国家が相次いで崩壊、その後にいわゆる近代的な国家が成立していく。十五世紀から十六世紀にかけて、英仏間で戦われた百年戦争を契機に、英仏は、それぞれ「民族国家」としての形態を整備しはじめる。

 こうした「近代国家」を支える基盤は、国王に統轄される「常備軍」である。この「常備軍」の発達が頂点に達したのは十七世紀のルイ十四世の時代である。この軍隊は、徴募と俸給によって維持され、国家権力の強大化に貢献した。

 彼らは、その当時の最新兵器であった鉄砲、マスケット銃、火縄銃を装備し、さらに初歩的なものではあったが大砲を持ち、封建貴族の城を片端から撃破して、国内に統一的な支配体制を築きあげたのである。

 十七世紀初頭に「国民国家」として成立した英国、フランス、ロシアに対し、ヨーロッパ中央部にあるドイツ、イタリアは、相変わらず統一的な中央権力を保有することができず、いわば小国が連立して形成する「連邦」の形態をとらざるを得なかった。十七世紀、ドイツを主戦場として闘われた三十年戦争は、まさしくこうした政治体制の弱体なドイツでの支配権を争った、最初の「近代戦争」である。

国王の私物としての軍隊


 当時の軍隊、常備軍は君主の所有物とされ、現金の給料を受け取る「職業軍人」の集団でもあった。この軍隊は、国王の信任をうけた将校と、彼らが給料を代償に駆り集めた傭兵とからなっていた。

 そこには民族的な統一性はない。国王に忠誠を誓い、奉仕することを誓った将校は、出身地、あるいは民族による差がない。例えば、三十年戦争の偉大な将帥であったバレンタインはドイツ人であったが、彼の部下には多くのフランス人、英国人、イタリア人の将校がいた。三十年戦争のもう一人の主役であるスウェーデンのグスタフ・アドルフ王も、多くの他民族出身将校をかかえていた。

 傭兵は、こうした将校によって徴集され、彼の命令に服して闘うのだが、戦争が終われば再び軍隊から追い出される不特定多数の浮浪者、あるいは農民からなっていた。

常備軍の発展


 当時の常備軍は、前述したように国王の所有物であった。国王は常備軍を維持するための経費、すなわち軍費を支給し、その軍隊を指揮する将校を任命する。そして、傭兵に給料を支給し、かつ武器を与え、衣服を支給し、訓練をほどこし、戦闘にあたらせる責任は、それぞれの単位部隊を指揮する将校にあるとされた。

 国王は、常備軍が自分の忠実な政策遂行の道具であることを期待するだけであり、将校はその国王の信任をうけて、軍隊を徴集し、訓練し、戦闘する「職業軍人」なのである。軍隊の大多数を構成する兵員は、この職業軍人たる将校が提供する給料をめあてに戦闘に従事する、一時雇いの兵隊たちであった。

 十八世紀末、フランス革命が発生するまでに、この常備軍は急速な発展を遂げる。歩兵、騎兵、砲兵と三つの兵科が独立し、さらに陣地の構築あるいは要塞の攻撃にあたるための工兵が発生する。それぞれの兵科の中では、部隊が次第に組織化され、歩兵なら連隊、大隊、中隊、小隊、分隊と整然としてくる。同時に、近世初期には、それぞれの単位部隊は指揮する将校の私有物として扱われた。例えば中隊長は、自分の中隊を私有財産とみなしていた。そして、二百人からなる歩兵中隊ならば、その二百人分の給料、食糧、衣服など、軍隊を維持するのに欠かすことのできない経費は、国王から直接、あるいはより上官の連隊長、大隊長を通じて中隊長に与えられ、中隊長はその範囲内で自分の中隊を賄わなければならなかった。
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