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「不機嫌」になる心理
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生き方・教養
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II 人は何故、「他人の目」が気になるのか

『「不機嫌」になる心理』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


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●──自分に自信を持って生きられない心理的理由


従順な人が心の底に隠しているもの


本人も気づいていない服従依存の関係


 従順な人の心の中にある恐ろしいほど激しい敵意というものに、本人も回りの人も気がついていない。外から見れば柔和に見えるが、心の中にある怒りはすさまじいものである。そのすさまじい怒りが抑圧されることで、葛藤はいよいよ深刻になり、その結果、不安もいよいよ耐えがたいものになる。

 そして不安が耐えがたくなればなるほど、その不安から自分を防衛するために、相手に対して従順になっていく。ことに服従依存の関係にあった場合には、このことが典型的に起きる。服従依存の裏には敵意があるということは、ときどき指摘されている。しかしこのような指摘は、日常生活のうえではあまり役に立たない指摘である。

 何故なら、服従依存の関係にある人は、自分達が服従依存の関係にあるということに気がついていないからである。事実として服従依存の関係にあるが、本人同士はどう考えているかというと、大変良い人間関係であると思っている。事実として服従依存の関係であるが、本人達は自分達の人間関係を誇りに思っているのである。このことが大切なところである。

 服従依存の関係の裏には敵意が隠されているということを精神分析の本で読んでも、たいていはそれは単なる知識でしかなくなる。自分の心の内にすさまじい敵意が燃えさかっているということに思いを至すことができない。

 ある人と一緒にいることが誇らしく思われ、その人のいうことに従っているときに心の安定を感じる。そんなとき、どうして今、自分の心には敵意があるなどと思うことができようか。何しろその人といて、その人のいうことに従っているときに一番心の安定があるのであるから。

 心が不安なとき、他人に対してどういう態度に出るかということは、人によって違う。カレン・ホルナイ(アメリカの女性精神分析学者)によれば、ある人は他人から離れて孤立する道を選ぶ。別の人は妙に攻撃的になる。そしてある人は、従順になる。つまり従順になることで不安を感じないようにしているのである。それが不安に対する防衛的な態度というものである。そうした意味での従順な性格というものは、不安に対する防衛的性格という。そのときそのときは従順に人のいうことに従っていれば、不安を遠ざけておくことができる。

 しかし、それはあくまでも自分の意見や、自分のしたいことなどを犠牲にして相手の意に従っていることである。つまり、相手の意に従うごとに自分の心の底には新たな怒りの感情が生じているのである。その怒りは、もちろん抑圧される。つまり気づかれることなく無意識へと追いやられる。先にもいった通り、それによって心の葛藤はいよいよ深刻になり、不安もいよいよ重大なものになる。そして不安になればなるほど、その不安を解決するために、さらに相手に従順になる。従順にしていなければ不安で不安でしかたなくなり、不必要に従順になる。

 このような悪循環におちいっていくと、いよいよ追いつめられていく。つまり心理的にパニックに近づく。いつもイライラしていて、気持ちがどうしても落ち着かないという人である。そういう人は、いうことがどうしても極端になる。

 仕事熱心な人がある日、燃え尽きて、何もする気がなくなる。気が重い、何をするのも億劫(おつくう)だというようになる。何であんなに仕事熱心であった人が、と本人も周囲の人も驚く。それと同じである。何であんなにその人とのつき合いに満足していたのが、急に我慢できなくなるのかと驚く。

 しかし、それは実際のところ満足とは程遠いのである。そうしていなければ、つまり従順にしていなければ、不安でしかたなかったからこそ従順にしていたまでのことである。

 その人が自分にとって重要な人であった。その自分にとって重要な人に従順に従うことが、不安を寄せつけないために大切であったのである。相手は自分に忠実な部下として気に入っている。しかし相手の部下の心の底に敵意があるということに気がつかない。何故なら、部下が自分を犠牲にして上司のいうことを聞いているということがわからないからである。自分勝手だからである。

 自分勝手な人と不安から従順な人が表面上、うまくいくのである。どちらも自分の実際と相手の実際に気がつかない。自分勝手な人は、自分が自分勝手だとは気がつかない。不安から従順な人は、自分の不安に気がつかない。

 不安な人は、相手に従順になることによって、いよいよ自分が頼りなく感じる。頼りなく弱く感じるからこそ、いよいよ自分を主張できなくなる。自分を犠牲にしながら、自分を犠牲にしているということにさえ気がつかなくなる。何故なら、相手により従順になることが人生の目標になってしまうからである。自分は何がしたいのかがわからなくなる。自己喪失してしまった者にとっては、犠牲にするものすらなくなっているのである。そして重要なことは、部下や子供が犠牲にするものさえなくなるほど悲惨な状態だからこそ従順なのだということに、相手は気がついていないということである。したがって、そこまで自分を犠牲にして相手に尽くしても、相手はそこまで尽くされたとは思っていない。

 不安の防衛として従順な人というのは気の毒である。相手のために自分を犠牲にしながら感謝されないし、たいていはお礼もいわれない。不安から従順になる人とうまくいく人というのは、たいてい交流分析などでいう自己肯定・他者否定の人である。したがって、相手に迷惑をかけながら、相手のためにしてやったと思っているものである。

自己否定・他者肯定の人=従順な人


 自己肯定・他者否定の人は、相手から頼まれもしないことをして、「してやった、してやった」と思っている。従順な方はそのことを迷惑に心の底で感じながら、迷惑と感じることが恐ろしい。そこで「ありがとうございます」というようになってしまう。「迷惑だなあ」という感じ方を抑圧してしまう。そして、相手がしてくれたということで感謝しなければいけないと思ってしまうのである。

 不安から従順になる人というのは、交流分析などでいう自己否定・他者肯定の人である。だから相手が自分のためにしたことに対して断わることができない。自分のような者に何かをしてくれたということは、感謝しなければならないことなのである。もちろん相手はこちらのためにしたわけではなく、自分の無力感を克服するためにしたことなのである。必要とされることを必要とする人である。英語でいうneed to be neededである。overy needy personとかいう英語の表現があるが、そのような人である。

 自分が無力感に苦しんでいるから頼られたい。頼られることで無力感から解放される。頼られることが嬉しい。頼られたいから何かをする。そして感謝をされたい。そんなとき、不安から従順な人ほど都合のいい人はいない。従順な人は恩着せがましい気持ちを十分満足させてくれる。不安から従順になる人は、自己否定、自己蔑視がある。そこで自分がそのように扱われても、自分はそのように扱われるにしか値しないと感じている。ありがた迷惑に感じながら、「ありがとうございます、でも自分のためならやらないで下さい」ということがいえない。愛情飢餓感と自己蔑視が加わると、恩着せがましい人などにいいように振り回されてしまう。断われないのは自分の中に他人がそのように自分を扱うことに対して同意するところがあるからである。

 不安から従順な人の心の底には憎しみが煮えくり返っている。その憎しみの対象は、まさに自分が感謝をしている人である。自己肯定・他者否定の恩着せがましい人は、自分がどのくらい不安な人を傷つけているかということを知らない。一方、不安から従順な人は自分がこのくらい忠誠を誓っているのだから、相手はわかってくれているだろうと思っているが、相手はまったく違ったように思っている。

憎しみを心の底に閉じ込めるな


 憎しみを心の底に閉じ込めておけば、不眠症にもなるだろう、生きていて何だか楽しくはないだろう、自分の主張もなくなるだろう、活発でなくなるだろう、生きることに意味を感じなくなるだろう、他人の不幸が嬉しくなるだろう。

 憎しみを心の底に閉じ込めておいてはいけない。そのためには、自己肯定・他者否定のわがままな人と戦わなければいけない。自分を蔑視してはいけない。他人になめられてはいけない。その他人とは自分にとって重要な他人である。子供なら親であろうし、会社員なら上司かも知れない。

 実は、このように従順な人が結婚でもすると、配偶者に対して不機嫌な人になるのである。
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