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(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

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エンタメ
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信心を教えてくれた人

『昭和裏芸能史』
[著]なべおさみ [発行]イースト・プレス


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 日本っていいなあ!


 寒い冬を耐えると、霜や雪の下から緑の芽を息吹かせてもらえる。


 この寒い寒い期間は、南と北、東と西で差異はあるが、それでも冬は冬だから木々でも草でも動物でも、それなりに我慢の流れに身を委ねている。


 ほんの少し若芽が伸びて、春を予感させてくれると思ったら、桜の開花の日本列島。そして若葉の若々しい浅緑がこれに代わると、陽射しは日増しにその力を強め夏に向かって梅雨を通り越してゆく。いいなあ!


 この、季節の移り変わりに、気持ちを寄せて感謝した事なんて少しもなかった。でも今は、日毎に変わる温度の様を、風の温みや涼しさを如実に感じて生きています。


 きっと俳句や和歌をたしなむ人は、大自然の営みと合体して人生を構築しているのでしょうね。


 それにしても必死で生き過ぎて、自然の中の自分を意識した事が無かったなあ。


「どうだい、この雲の流れは!


 これは天が私に心からの慶びを示してくれているんだよ!」


 そう言った人が、世間的には伏し目がちに見られる、非堅気の人だったから、私は驚いた。


 日本の裏社会の中で、頂点にのぼりついてやっと今、妻や子に、家を建てて与える事が出来た喜びが、満ち溢れていました。その御披露目のセレモニーが終わって、来賓の人々が、用意された料理に舌鼓を打っている間、私を庭の片隅に連れて行ったのです。


 この家は、横須賀の高台に建てられていて、さらにその一段高い向こう側は自衛隊学校で、この家の南は、何んと見はるかす東京湾が一望出来ました。私達はそこに立っておりました。

「なべちゃん、日本はいいなあ!」


 私が見る顔は、惚れ惚れする横顔で、男前の上に男としての自信が(みなぎ)っておりました。


 こうした人は、何んの職業に就いていても(ひと)(かど)の人間として君臨出来るのだろうなと、私は黙って見つめていたのです。

「日本の四季に感謝出来ないうちは、人間は高間にゃ登れないんだよね。そんな位置についちゃならないんだよ。私なんか、まだまだだなあ!」


 まだまだ? だって? 一方の雄としての地位を築いた身ではないですかと私が口に出す前に、きりっと私に対して言ったのです。

「うん、凄いよねえ、私なんか足元にも及ばない先輩が、うちにもたくさんいます。よそにも勿論おりますから、生涯、勉強なんでしょうね!」


 正直、申し上げますが、私を受け入れて頂ける大会社の偉い方々から、こうした言葉を投げ掛けられた経験はありません。この方は裏街道を歩く人なのです。その方がこう申すのです。

「恵まれた時を過ごしている中よりも、(もが)いて(もが)いて生きている中にこそ、生きていく上で大切な宝がたくさん発見出来るんだよね」


 遠くを見つめて目を細め、背後の騒めきを嬉しそうに認めている感を私は受けました。そっと、妻に贈った新築の家を噛み締めているのだと私には思えました。

「こっち、おいで!」


 付いて行くと、庭の一隅に「六角堂」が建設されておりました。内部は畳敷で正面には不動明王が(まつ)られておりました。


 私達はしばらく座して、そこで無言の時を過ごしました。



 その後のある日、突然家に電話が入りました。指定された場所に行くと、そのまま車に乗せられて、気が付くと不動明王の前に正座させられておりました。不動明王は(わき)()という仏像が左右に付いております。此処の不動明王にも(こん)()()(せい)()()の脇侍がしっかりと脇を固めていました。

「君の言う、“座長になりたい”と言う希望を叶える為、不動明王に願掛けしましょう。その為に君の好きな物を一つ断ちなさい。そうしてお願いするのです」


 静かに声が流れました。


 私は頭の中で、何を人生の中から捨てされば良いだろうかと、ぼんやりと考えておりました。

「煙草が良い!」


 小さくも有無を言わせぬ声が響いた。

「ここに出して!」


 と、不動明王の足下の板の間を指した。


 反射的に胸ポケットから、ロングケントを取り出して置いた。



 あれが平成元年九月二十日です。


 否も応も無く、禁煙と為った日です。


 その日以来、私は禁を一度として破ることなく今日迄来ています。


 私が己れの至らなさ故に、蟄居を余儀なくされた平成三年に、あの方はこの世を去りました。


 その頃から、世情が裏社会の人々と芸能界の接点を許さない時代となって参りました。


 私の身の事情と相俟って、お別れ一つ出来ないのでした。


 あの方が亡くなって六年の月日が流れました。


 自宅待機状態の私に、最初に返って来た仕事は、子供向けのミュージカル『大草原の小さな家』でした。夏休みの学童への、全国公演でした。


 その巡業で、何んと横須賀公演があるではないですか。


 私は思いたって、ある日の早朝、新築祝いで司会を務めた、そのお宅へ突然、前触れもなく伺ったのです。


 バケツと、たくさんの雑巾を持って、六角堂のお掃除に出向いたのです。それは快く受け入れられました。そのお浄めはそれから毎年盆暮の二回、十年間をピッタリと務めさせて頂きました。


 さて、これは人生最大の奇異ですが、六角堂の清掃を終え、知遇を受けた方への感謝と、不動明王にも御礼を済ませた直後で、横須賀公演となりました。その時の事です。


 公演後の東京戻りの横浜横須賀道路は突然の大雨で大渋滞となり、立往生。その時、突然、雨が止み、にわかに空に陽が戻りました。その時の雲の色の変化は、今迄見た事もない色彩の羅列で、それが二時間も続いたのです。二時間もです。


 真実、私は思いました。

「あの方が喜んでいる!」


 天がそう教えてくれているようで、この渋滞を何んの苦もなく、空を見上げて過ごしました。

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