『プロ野球「悪党」読本 「組織の論理」に翻弄された男たちの物語』
[著]手束仁
[発行]イースト・プレス
プロ野球にかぎったことではないが、スポーツの世界では悪くて強い「ヒール(悪役)」がいることで盛り上がることがある。かつてのプロレスがそうであったように、古今東西、大人気を博したスポーツ競技には必ずといっていいほど強烈な個性のヒールが存在していた。それはプロ野球の世界とて同じである。
しかし、何をもって人を「悪」と定義することができるのか。私が本書の企画を思いついたとき、たしかにプロ野球界のヒールについて一冊にまとめたらおもしろいという確信はあった。とはいうものの、どんな選手にでも愛するファンはいるし、私自身もすべてのアスリートに敬意を持っている。
また、ドラフト会議を30年以上取材し、野球を愛する者として、選手や監督の悪口ばかりを集めた「暴露本」の類いを書くことは絶対にしたくない。その点の折り合いをどうつけていくのか、担当編集者との打ち合わせは半年以上におよんだ。
「悪人」と「悪党」はまったく違う
私は以前、『プロ野球にとって正義とは何か』(イースト・プレス)という本を書いている。これは中日ドラゴンズにおける落合博満監督の事実上の解任と、ゼネラル・マネージャー(GM)としての復活について、関係者の声をもとにくわしく分析した本だ。
この中日をめぐる「お家騒動」でも、落合はファンサービスがよくない、強いけど試合がおもしろくないという理由で、当時のフロントはファンに人望があった高木守道監督を据えたが、チームは弱体化して、かえって人気は低迷した。
落合側もフロント側も、それぞれが自分の信じる「正義」に則って行動したのであるが、それぞれが反対側から見れば「悪」の論理に見えるであろう。
そもそも「悪」とは何か。私が考えあぐねていたところ、たまたま書店で『悪党の金言』(足立倫行著、集英社新書)という本を見かけた。外務省時代に犯罪者の汚名を着せられて500日以上も東京拘置所に勾留された作家の佐藤優さん、敏腕検事から一転して闇社会の顧問弁護士となった田中森一さんなど8人のロングインタビューが載った本だ。
「世の正統に異議申し立てる者──悪党。」
この帯のキャッチコピーを見たとき、私の背筋に電流が走った。「悪党」とは「悪人」でも「犯罪者」でもない。それなら、スポーツ界の「悪役」も、じつは「悪党」なのではないのか。
事務所に帰った私は、さっそく「悪党」の意味についてネット上の辞書類をチェックしてみた。「デジタル大辞泉」の冒頭には「1 悪事を働く者の仲間。2 悪人。悪者。」とあるが、「3 中世、特に南北朝時代、荘園領主や幕府に反抗した荘民とその集団。」という意味が目にとまった。
さらに深く調べてみると、「悪党」には「既成権力に対抗する強い武士の集団」という意味もあるとのことだ。
日本国家が南朝と北朝の二つに分裂していた南北朝時代、足利尊氏を中心とする武士によって京都に「北朝」が樹立された。これに対抗して、新田義貞など後醍醐天皇の「建武の新政」を支持する人々は奈良の吉野に「南朝」を樹立した。
そこで登場したのが「悪党」の楠木正成だった。尊氏に果敢に挑み、天皇から絶大なる信頼を得ていた正成だったが、天皇の政治の問題点に気づき、尊氏を中心とした武家政権の樹立が国家の安定には不可欠と見るや、天皇に義貞の切り捨てと尊氏との和睦をすすめている。しかし、天皇に拒否されると、その命令に従って湊川で尊氏と戦って自害しているのだ。
プロ野球にとって「悪」とは何か
そんな正成の姿は、プロ野球界の「ヒール」に重なって見える。チームやファンのためを思って歯に衣着せぬ態度で監督に意見し、時に造反するような行動を取るものの、最終的にはルールに従って、監督の采配の枠内で全力を尽くしてチームに貢献する。これを「悪党」といわずしてなんと呼ぶのか。
そして、知らず知らずのうちに、私たちはそんな役割を外国人選手に担ってもらっていた部分があったのだろう。そんな観点から外国人選手の章も設けてみた。
また、選手だけでなく、フロントや監督にも「悪党」はいる。プロ野球という組織社会においては、選手や監督だけではなく、球団を運営するフロント陣も含めてファンの関心は高い。そして、そんな経営陣のスタッフというのは、いうなれば権力者という立場でもある。ファンの視線はそういう立場の人間に対しては厳しい。だから、ひとつの発言や判断が厳しくファンのバッシングを受けることもある。そうして、勢い「悪党」になっていかざるをえなかったろうと思われる。
もっとも、プロ野球の場合は、多くのファンにとってはひいきチームというものがある。だから、ある人にとっては「悪党」と感じている選手や監督でも、違うファンの立場から見れば「ヒーロー」でもある、というケースはいくらでもある。勝負の世界であるから、それは当然のことであろう。つまり、「悪党」であるということは、もうひとつの側面では「ヒーロー」でもあるということもまた事実なのだ。
あるいは、そういったこととは別の位置で、みずからのキャラクターとして、あえて「悪党」ぶりを示していくような「悪党役を買って出る」という選手もいる。
また、自分の思いとは裏腹に、ひとつのプレーや発言がきっかけで、意思に反して悪役像をつくりあげられてしまったケースもありそうだ。入団の経緯や報じられたコメントなどで、一時的にも「悪党」にならざるをえなかった選手や監督もいるはずだ。
本書では、そうした現実を踏まえたうえで、プロ野球をさまざまな形で盛り上げた「名悪党」に焦点を当ててみた。
そして、その当事者たちがどのような理由で「悪党」のポジションを確立し、どんな影響を与えたかなどを分析するものである。
本書における「悪党」の定義
本書の目次を見て、「あれ? あの選手や監督が載っていない」という方が多いかもしれない。本書では、あくまで権力者に対して異論を唱えつつも、みずからの「正義」を貫いて球界に貢献した人々を取り上げた。
読者のみなさんの頭のなかには、引退後に罪を犯して逮捕された元選手や、毒舌でメディアを沸かせた元監督などが思い浮かんでいるかもしれない。しかし、荒くれ者や毒舌でも、輝かしい実績を残してヒーローとしての比重が高かった人や、グラウンド外でのスキャンダルばかりが目立ち、アスリートとして捉えるには疑問が残る人は、筆者の主観ではあるが、本書では取り上げなかった。その点はご理解いただきたい。
また、ドラフト会議を30年以上取材し、球界に顔見知りが多い私の立場では、あまり「悪党」として書きにくい人もいる。不公平のないように人選を行ったが、そのような人々に対しては筆が甘くなっている箇所がないとはいい切れない。その点は今後の人脈を生かした取材で、さらにおもしろい情報をみなさんにお届けするということでお許しいただきたい。
いずれにしても、「悪党」という存在があってこそプロ野球が、より広く、大きく報じられて私たちのなかに広がっていったことだけは間違いない。また、そうした「悪党」をプロ野球の史実とともに振り返っていくことは、野球を見ていくうえでは欠かせないことでもある。つまり、「悪党」の歴史はプロ野球の歴史のひとつでもあるのだ。
いずれにしても、プロ野球というステージのなかでは、「悪党」はもうひとりの大事な「ヒーロー」でもあるのだ。
手束 仁