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プロ野球「悪党」読本 「組織の論理」に翻弄された男たちの物語
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渡邉恒雄──なぜ名記者は「球界のドン」に転じたのか

『プロ野球「悪党」読本 「組織の論理」に翻弄された男たちの物語』
[著]手束仁 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:6分
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わたなべ・つねお──巨人。読売グループの総帥として読売新聞グループ本社代表取締役会長、読売新聞主筆を務める。もとは政治部記者だったが、江川騒動を機に巨人にからむようになった。読売新聞社社長、巨人軍オーナー、最高顧問などを務め、球界に強い影響力を誇示してきた。



 独裁とは「①自分一人の判断で物事を決めること。②絶対的な権力を握る一定の個人または集団・階級が独断によって全体を治めること。また、そのような体制」(三省堂『辞林21』)とある。その独裁をみずから認めることによって組織そのものに絶対的な力を示し続けていくことは、ある意味では組織の上に立つ者の理想といえよう。独裁者というのは、そういう存在であろう。


 しかし、その一方で、当然のことながら、多くの一般的考え方のもとでは、()(おもて)に立つ場面も多くなっていくことになる。当然ながら反権力という考え方もあるわけで、そういう勢力の者たちから攻撃を受けることは避けられない。そんなことも承知だからこそ独裁者たりうるのかもしれない。


 権力志向がある人間にとっては、あるいはもっといえば、その権力の座には自分こそふさわしい者なのだという自意識がある者にとっては、独裁者であることこそが権力の誇示であると考える。権力者としては独裁を否定するものではないということも、またたしかなことである。


 渡邉恒雄は天下の公器である読売新聞の社長というよりは、そのグループ傘下にあるプロ野球球団の読売ジャイアンツのオーナーということで、一気に多くの人にその名を知られる存在となった。しかも巨人がらみのトラブルの際に、何かしらその名前が登場することで広く知られたのである。そのことは誰も否定しないであろう。おそらく本人にもそういう座にこそ君臨すべきなのだという認識が強くあるのではないだろうか。その言動を見るにつけ、そうとしか考えられないのだ。


 自分自身でも独裁者であることは否定していないし、メディアで「独裁者」と称されることに関してもわれ関せずだ。というより、「オレこそ最後の独裁者だ」とばかりに、周囲が騒げば騒ぐほど、そのことを自分自身も喜んでいくという、そんな傾向もある。


 大正最後の年となった1926年(大正15年)生まれ。昭和という時代とともに生き、さらに平成の世になって、いよいよその独裁性を増していった。悪党(ヒール)であろうがなかろうが、渡邉とはそんな男である。いわば昭和から平成のスポーツ文化史や社会史のなかに名前が出てきても、なんの不思議もない存在となっているのだ。


 そもそも渡邉は野球畑、スポーツ畑の出身ではない。東京大を卒業すると読売新聞社に入社し、「週刊読売」を経て政治部記者として辣腕を振るった。政治部記者時代に鳩山一郎、大野(ばん)(ぼく)、田中角栄といった大物政治家と交流を持つようになり、やがて中曽根康弘総理の擁立にかかわるなど、政治の世界でその存在を示していた。


 だからプロ野球の存在などというものは、当時の渡邉記者にとってはどうでもいいこと、取るに足らないことだったのであろう。


 ところが、そんな渡邉がプロ野球にかかわらざるをえない事件が起きた。それが法政大出身の怪物投手といわれ、巨人入りを熱望していた江川卓の獲得のための裏工作である。いわゆる「空白の一日」事件である。江川の後見人となっていたのが北関東の有力政治家で、栃木で一大学園を築いている作新学院を経営する船田一族の船田中代議士だった。その船田を巻き込んで、野球協約の文言に挑戦するような形で強引に巨人入りを画策した。その際に巨人と船田を取り持ったのが渡邉だった。


 こうしてプロ野球の世界に政治が持ち込まれることになったのだが、渡邉もそのおもしろさを感じていたようだ。つまり、政治の理論をプロ野球の世界にも持ち込もうという発想の基礎がこうして築かれていったのである。


 やがて読売新聞社副社長に就任すると、いわゆる傘下組織であるプロ野球読売ジャイアンツの最高経営会議のメンバーとなり、プロ野球経営にかかわっていくことになった。そこへ1991年(平成3年)に()(たい)光雄名誉会長が亡くなったことと、巨人が必ずしも常勝チームではなくなっていくことが重なってきた。


 さらにサッカーがプロ化されてJリーグが華々しくスタートしたことで、野球界の危機がささやかれ始めた。「これからはサッカーの時代。プロ野球人気は低迷する」。そんなことがスポーツマスコミの間で平然と報じられるようになってきていた。


 傘下に巨人をメインにプロ野球報道を中心としている報知新聞(スポーツ報知)を抱える読売新聞としても、プロ野球人気の衰退は死活問題だ。そんな危機感のなかで渡邉オーナー擁立の声が高まり、そのムードに乗って96年にオーナーに就任した。


 そして読売グループの総力を集めたメディアと資金の力で巨人の戦力アップとともに「巨人が強くてこそプロ野球の繁栄だ」という意識をつくりあげていこうとした。その強引な手法に他球団のファンは反発した。こうして渡邉そのものがアンチ巨人ファンにとって悪党(ヒール)の象徴的存在となっていくのだった。しかし、そんなことは権力者としてはどうでもいいことだった。


 当然のことながら、プロ野球の創成期からの老舗である読売巨人軍のオーナーは、球界そのものに強い影響力を持つことになる。球界再編で揺れた04年に当時の選手会長・古田敦也(ヤクルト)が「経営者側とも直接会って話をしたい」という意思を述べたのに対し、「何をいうか。分をわきまえろ。たかが選手が……無礼な」と発言してプロ野球ファンから大顰蹙を買ったことがあった。


 また、原辰徳監督を2年で更迭して堀内恒夫監督にすげ替えたときには、「読売グループの人事異動だったと思います」といってのけて唖然とさせた。その2年後に星野仙一の招聘に失敗すると、あっさり原監督を戻している。たしかに人事異動だった。


 そんなワンマンの象徴といわれる渡邉も15年秋、一連の野球賭博に巨人の選手がからんでいたことへの引責辞任で、やっと球界を去った。


 次の目標として、務臺が亡くなった94歳を超える95歳までは存在感を示したいと、ひそかに思っているといわれている。

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