読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

12/21に全サービスをRenta!に統合します

(2021/12/6 追記)

犬耳書店は2021年12月21日に、姉妹店「Renta!(レンタ)」へ、全サービスを統合いたします。
詳しくはこちらでご確認ください。

0
-1
kiji
0
1
1241568
0
中国詩境の旅
2
0
0
0
0
0
0
旅行
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
まえがき

『中国詩境の旅』
[著]森本哲郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ





 中国を旅することは長いあいだの私の念願だった。日本の古典に数限りなく引かれている中国の詩文、その実際の姿をこの目でたしかめてみたいというのは、私だけではない、むかしからの日本人の夢だったといってもいいであろう。ことに中国の詩文に深く傾倒していた日本の文人たちは、どれほど唐土(もろこし)にあこがれたことか。その憧憬(しようけい)は芭蕉や蕪村の句のなかにも、色濃くにじんでいる。

 しかし、長いあいだ唐土に渡ることは至難なことであったし、近代になっては不幸なことに、日本と中国との関係が、そうした旅を許さなかった。私は自分が生きているあいだに中国を旅することはできないのではあるまいか、とさえ思っていた。そう思うと中国への想いはいよいよつのり、イメージはますますふくらんでゆく。私は中国を詩的な幻想のなかに(ひた)していた。

 その中国への旅が許されるようになるや、私は万感を胸に抱いてこの国を訪ねた。そして、この四半世紀のあいだに二十数度も中国の土地を踏んだ。行くたびに中国は徐々に、しかし十数年前ごろから急激に姿を変えていった。

 初めのころ、中国への旅は私をまったく途方に暮れさせた。あまりにも広い国土、あまりにも古い歴史、あまりにも深いイメージ……しかも、いたるところで出会う日本との奇しき因縁。私の旅は江南から長江をさかのぼって蜀(四川省)の成都へ、さらに雲南へ、転じて長安(西安(せいあん))から西域へ、洛陽からかつての魯の国(山東省)へと続いた。黄河の流域もほとんど訪ねてまわった。しかし、それでも中国という巨大な文明のほんの一端を歩いたようにしか思えない。

 が、最近の中国への旅は、私を呆然とさせるようになった。行くたびに風景が劇的に変貌しているからだ。かつてはほとんど見られなかった高層ビルが、いきなり超高層のスカイラインを描き出すようになった北京や上海などの大都会の街並み。四通八達した高速道路。暗かった夜を一気に不夜城にしてしまったネオンサイン、広い街路をびっしりうずめている自動車の列、いたるところ目に飛び込んでくる広告塔や看板、大デパートに変身した昔のささやかな友誼(ゆうぎ)商店、そして歩きながら携帯電話に耳を当てている人びとの群れ……。

 空港も、駅も、ホテルも、広場も、公園も、名所旧蹟まで、何もかも表情を変えた。有名な寺院や(びようう)の周辺には広い駐車場が設けられ、そこを大型の観光バスや乗用車が占拠しており、新しい店舗を構えたみやげ物屋がズラリと並ぶ。

 どこもかしこも見ちがえるようになった。二十年前に麦畑から遠望した西安の大雁塔(だいがんとう)は、いまや何層ものビルの陰で見えない。江南ののどかな田園に囲まれていた魯迅(ろじん)のふるさと紹興にも、いくつものビルが立ち、その近郊は「工業団地」の予定区画となっている。二〇〇八年の北京オリンピックまでに、中国はもっともっと激変していくことであろう。

 四半世紀という歳月は、世界を変えるのに充分な時間の流れである。が、それにしてもこの国の変貌ぶりは、奇跡といわれた戦後日本の経済成長を遥かに超えているように思われる。

 さきごろ、久しぶりに杭州へ向かっていたときのことだ。夕刻、車がこの古都の近くにさしかかると、畑の彼方に奇妙な建物群が見えた。博覧会でも開かれるのだろうか、それともテーマパークがつくられているのか。私は案内役の(はい)さんに、そうきいた。と、裴さんは「遊園地じゃありません。あれはこの辺の農家です」と答えた。「農家だって! どうしてあんなお(とぎ)の国のような家なんです? およそ杭州に似合わないじゃありませんか」。

 そのとき、私の胸中にあったのは北宋時代の杭州の詩人林逋(りんぽ)和靖(わせい))の「秋江写望(しゆうこうしやぼう)」と題したつぎのような詩だったのである。

蒼茫(そうぼう)たる沙觜鷺(さしろじ)眠る
片水痕無(へんすいあとな)碧天(へきてん)(ひた)
最も愛す蘆花(ろか)の雨を()たる(のち)
(いつぽう)煙火(えんか)漁船の(はん)するを


 蒼茫と暮れていく川の中洲(なかす)白鷺(しらさぎ)()が眠っている。水面は波も立たず碧い空を映しているばかり。自分がいちばん心惹(こころひ)かれるのは雨が過ぎたあと、蘆花(ろか)の彼方の苫舟(とまぶね)から夕餉(ゆうげ)の煙が細々と立ちのぼっているという風景だ、というのである。

 私の“抗議”に裴さんは苦笑して、こう説明した。
「近ごろ、なぜか、ああいう家を建てるのが流行(はや)っているんですよ。都市の近郊の農家は豊かでお金がありますからね。一軒の農家があんなふうな家を新築すると、ほかの農家もみな争って同じような家を建てる。これがいまの杭州郊外の風景になりました」


 私が初めて中国へ旅したのは一九七九年(昭和五十四)、「日中友好学術文化訪中団」の一員として、であった。北京から西安、蘭州(らんしゆう)、ウルムチ、トルファンを訪ね、ついで敦煌(とんこう)へも出かけた。そして八〇年代には江南を主として毎年のように長江の一帯をめぐり歩いた。黄河のほとりも歴訪を重ねた。

 本文庫に収めた中国紀行は、その八〇年代の江南を中心とした“詩の旅”の「幻想行」である。上述のように、現在の中国は当時とはずいぶん様変わりをしてしまったが、四千年の歴史を誇る中国文明の本質は、たとえ風景がどんなに変わろうと不易(ふえき)と言っていいだろう。そのつもりで読んでいただければ、と願っている。


 本書は一九八三年(昭和五十八)、角川選書の一冊として出版された拙著を、新たに文庫に収めたものである。もともと同社の『俳句』誌に連載した紀行なので、私の関心はもっぱら俳句と中国の詩にあった。本文中に多くの句や漢詩が引かれているのもそのゆえである。しかし私はそれによって、より身近に中国を感じつつ旅することができたように思う。親しく異国の文化に接するのに、詩はじつに大事な役割を果たしてくれるのではあるまいか。

 今回、あらためてPHP文庫に収録するにあたり、PHP研究所文庫出版部の根本騎兄氏にたいへんお世話になった。厚く御礼申上げる。また、原稿や写真の整理で苦労をかけた助手の田村朋子さんにも深く謝意を表したい。


   二〇〇五年一月
森本哲郎 


この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:2598文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次