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「つらい努力」と「背伸び」の心理 なぜ疲れてしまうのか
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生き方・教養
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はしがき──つらい努力をしてはいけない

『「つらい努力」と「背伸び」の心理 なぜ疲れてしまうのか』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:5分
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 どうしても自分が自分になれない。それは靴擦れができるような靴を履いている不快感と同じである。自分に合わない背広を着ている不快感と同じである。自分が自分にとって不快なのである。それなのにその不快感をどうすることもできない。

 自分になりたい。好きなことが欲しい。興味のあることに夢中になりたい。そう心の底で叫んでいる人がたくさんいる。燃えつきる人も、「どこかおかしい、何とかしなければ」と感じているうちに燃えつきてしまうのである。はたから見ていると、そこまで働かなくてもと思うのだが、本人はブレーキが効かない。

 自分を飾ることで疲れてしまうほど虚栄心の強い人がいる。そんな人でも、心の底で「何か興味あることが欲しい」と叫んでいるのである。しかし、そう叫んでいる本人自身が自分の叫びを意識できないで、最後の挫折にまで突っ込んでいってしまう。

 いつも何かに()き立てられ、つらい人生をおくっている人がいる。第三者から見ると、その人はそのようにつらい人生をおくらなくてもいい。しかし、本人はつらい努力をしないではいられないのである。無理な背伸びをしてつらい人生をおくらなくてもいいのに、無理な背伸びをしてしまう。無理な背伸びで一生苦しんでいる人がいる。

 無理な背伸びをしている人はたいてい(ひが)んだり、いじけている。無理な背伸びをしている人は受け身である。無理な背伸びをしているくせに、未知のものに挑戦するという気概はない。積極的で能動的で、自分に自信のある人は無理な背伸びなどしない。「無理な背伸び人間」は「いじけ人間」なのである。無理な背伸びをしている人は他人からの関心が欲しいのである。他人に関心を持ってもらいたくてつらい努力に耐えているのである。
「無理な背伸び人間」は、「立派であるために、これをしなければならない」「尊敬される人物になるために、あれをしなければならない」「もっと男らしくあるために、もっと女らしくあるために、これをすべきだ、あれをすべきだ」と「べき」の暴君に支配されている。
「べき」の暴君という言葉に初めて接したのは、ニューヨークの精神分析医カレン・ホルナイの本の中であるが、その他の本にも出ているようである。たとえば『Self-Esteem』という本にも、そういう章がある。結局、「つらい努力」というのは、この「べき」の暴君に支配されての努力なのである。

 背伸びをしている人自身は背伸びをやめようとしているのだが、なぜかやめられない。何度、煙草をやめようとしてもやめられないように、何度、無理な背伸びをやめようとしてもやめられない。

 背伸びをして燃えつきる人は、すべての人から称賛を得なければならないように感じている。特別な栄光がなければ、自分には価値がないと感じているのである。あるいは内面の「べき」の暴君に支配されて、燃えつきるまでつらい努力をして頑張る。


 なぜそのような悲惨な自己イメージができたのかを探らなければ、いつになっても無理な背伸びをやめることができない。この本では、その原因を考えた。なぜ、人は自分には不可能なことをしようとするのか。私自身が無理な背伸びに苦しんだ一人でもある。

 アメリカの「人生論」の著者であるジョージ・オートン・ジェームスは自然界には悩みがないという。風が悩んでいるか、鳥が悩んでいるか、雨が悩んでいるか、と言う。

 悩むのは人間だけである。したがって悩みは不自然である、と彼は主張する。そして悩みの原因は三つある、と彼は言う。それは虚栄と自尊心と自己欺瞞である。悩みはこれら三つの直接的産物である、と彼は言う。

 自尊心は正確に言えば、神経症的自尊心と言うべきであろう。つまり、悩みの本質的原因は虚栄心である。燃えつきる人もそうである。自分にできることをしようとすればいいのに、自分の虚栄心を満たすべく不可能なことをしようとして、頑張り過ぎたのである。

 人から褒めてもらいたくてついつい無理をし過ぎたのである。人を驚かそうとしてついつい無理をし過ぎたのである。自分の重要性を誇示したくてついつい無理をし過ぎたのである。引き受けたくない仕事を引き受けて消耗して燃えつきたのも、もとはと言えば虚栄心である。その仕事の与える威信に魅力を感じてしまったのである。

 虚栄心、神経症的自尊心、自己欺瞞の三つさえなくなれば、悩みの多くはたちどころに消える、と彼は言う。この本ではこの三つについて書いた。この三つをなくすことはそう簡単なことではないが、これがこの本のテーマである。三つは「燃えつき」の原因である。


 私は若い頃、自分の重要性が皆に認められないのではないかと悩んだ。自分の仕事の価値が皆に認められないのではないかと悩んだ。しかし、歳をとって神経症が治ってくると、何であんなことをあそこまで苦しんだのだろうと不思議な気がしてくる。あるいは何であそこまで人から自分の重要性を認めてもらいたかったのだろうと不思議な気がしてくる。

 たしかに私が若い頃あそこまで苦しんだのは、自分が認めてもらいたいと思うほどには人が私を認めてくれなかったためである。そこまで私は人に認めてもらいたかったのである。

 結局、靴擦れの原因は自分を裏切って、他人から認めてもらおうとすることである。そのつらい努力の結果、自分でない自分に陥っていく。

 アメリカの心理学者で自己実現について深い研究をしたマスローは、「人は自分の本性に逆らう罪を犯すと例外なしに無意識のうちに記憶されて自己蔑視の念をかきたてる」とその著書『完全なる人間』の中で述べている。自分の本性に逆らって気に入られようとすると、どうしても自分で自分を軽蔑してしまう。そして自分で自分を軽蔑すると傷つきやすさをはじめ、さまざまな病的な心理現象が表れる。
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