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私の「うつ病」体験記
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ルポ・エッセイ
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第一章 私のうつ病体験記

『私の「うつ病」体験記』
[著]小川宏 [発行]PHP研究所


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ある朝、目が覚めたら、うつ病になっていた




突然やってくるうつ病

 忘れもしない、他人には絶対わからない全身の倦怠感に私がおそわれたのは、平成三年(一九九一)の冬であった。

 ある朝、目が覚めた。起きる気持ちはあるのだが、行動がともなわない。ものすごくだるくて寝床から足が出ない。このままずーっと寝ていたい思いにかられた。それまでは、目が覚めたら寝床の上で数分間グズグズしていても、ゆっくり起きることができた。

 仕事では週一本のレギュラー番組を担当していたが、集中力に欠け、自分ではこんなはずはないと、思うようなことがだんだん増えてはいたのだが――。

 体調の悪いときはプロデューサーに電話でその旨を伝え、局のアナウンサーが代役を務めてくれ、大変ご迷惑をかけたことがしばしばあった。

風邪のときのような倦怠感

 この時点では、倦怠感のことは詳しく家族に話していなかったので、周りもよくわからなかったようだった。「風邪をひいたようなので……心配なく……」と言っていただけだった。

 市販の風邪薬を飲み、しばらく寝込む日々が続いた。風邪は治ったような感じがしたが、倦怠感はいっこうにとれなかった。

 やがて食欲がなくなり、ひと口箸をつけただけで部屋にひきこもってしまう。風呂に入る気力もない。人にも会いたくない。パーティーのお誘いも全部「先約があるため……」と書いてお断りするようなことになっていく。仕事に出掛けようとしても、足に鉛がつけられたように重い。

講演先でもうつがついて回る

 その年の二月八日、福岡県宗像市(むなかたし)で講演の仕事があった。羽田空港にようやくたどり着くことができたものの、無性に帰宅したくなる。行こうか、帰ろうかという思いが浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。でも、行かなければ主催者やお客様に失礼この上ない。

 思い切って機上の人になる。

 雲を見ながら、いま、自分の心はどんな状態なんだと、ぼんやり考えていた。「雲外に蒼天(そうてん)あり」という、評論家の入江徳郎(いりえとくろう)さんのモットーを思い出したりしていた。

 空港に出迎えてくださったのは速水(はやみ)さんという女性。挨拶のあと車中の人となり、一時間ほどで宗像市に到着した。

 元気がない私を見た速水さんは「一時間半、お立ちになって講演は大変でしょう」と、親切にも椅子を用意してくださった。背の低い私が座ってしまうと、演台にかくれてお客様の顔が見えないのだが、折角のご厚意ゆえ座って九十分の話を終えることができた。途中で話の内容が自分でわからなくなり「どこまで話しました?」と会場のお客様に聞き、失笑をかったこともあった。

 夕方の講演だったので一泊せざるをえない。会場の宗像ユリックス館長は、たまたまNHK時代の後輩アナ、井川良久(いかわよしひさ)さんだった。彼の好意で夕食前に一緒に酒を飲むことができた。自宅でもそうだが、酒を口にすると心が高揚して気分が爽快になる。しかし、時間がたつにつれ酒が切れると気が滅入る状態になってしまう。

 翌朝、また速水さんが同乗して空港に向かった。車中で私は自分から言葉を発せず彼女とひと言も口がきけなかった。空港に着いたとき、その非礼を()びたことは鮮明に覚えている。

 翌週の十二日は、南紀白浜(しらはま)での講演で羽田空港に足を運んだ。前回と同じような心理状態だった。白浜では講演のあとサインを依頼された。書いた私の字を見て主催者が怪訝(けげん)な顔をされた。私の字があまりにも乱暴だったからである。こんなことが何回か続いていた。

家庭医学書を読み漁る日々

 このころは病院に行くのも億劫(おつくう)になっていた。数冊の家庭医学書を買い求め、部屋に閉じこもって読み(あさ)る日々が続いた。

 素人ゆえ病名はまったくわからない。ふと、エイズの項に目がとまった。潜伏期間数年、ウイルス感染後三〜六か月で血清反応が陽性か陰性かわかる。治療法は現在のところない――と記されていた。

 なぜエイズのことを考えたかというと、一年ほど前、仕事先で旧知の女性と会い、唇を求められてそれに応じたからである。短時間のキスだった。

 心配になり、ある病院の感染症科部長の経歴のある旧制中学の友人・M君に電話をした。彼は日本のエイズ治療の権威の一人。仕事先での件を正直に告げた。じっと聞いてくれた彼は、電話の向こうで笑いながら言ってくれた。「小川君、キスでエイズになるにはバケツ三杯分ぐらいの唾液(だえき)が出ないとならないんだよ」。

 俺は牛じゃない、とひと安心したのもほろ苦い思い出の一つ。一件落着の感じで、友人のありがたさをしみじみと痛感した。

 だが、その後毎日、医学書を読んでいる私を見た妻は、それを全部とりあげてしまった。買ったのはこの俺なんだ……という力さえなくなっていた。

 人に会いたくない人に会うのが商売なのにできない。われながら情けなくなってきた。当時担当していたレギュラー番組の女性ディレクターが病がほとんど治ったとき、私にこう言った。
「小川さん、あのときはいえませんでしたが、はいていた靴の色が左右で違っていました」

 もちろん私はまったく気がついていなかった。

CTやMRIでも原因は不明

 平成三年もやがて残り少なくなったころ、やはり旧制中学の親友・恵畑欣一(えばたきんいち)教授(当時、日本医大放射線科)を訪ね、筆舌に()くしがたい心中を訴えた。
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