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週刊文春 トップ屋魂 名物記者が語るスクープの裏側
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エンタメ
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はじめに──ノンフィクションとはなにか

『週刊文春 トップ屋魂 名物記者が語るスクープの裏側』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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その人の歌いたかった歌を、聴け


 わたしは、かつて広島大学文学部仏文学科の学生であったが、いわゆる「第三の新人」の旗手ともいうべき(よし)(ゆき)淳之介(じゆんのすけ)の『闇の中の祝祭』や(たか)()(じゆん)の『生命の樹』などの恋愛をテーマにした私小説に興味を持ち、そのような作品を書きたいと思っていた。


 ところが、大学二年生の秋、つまり昭和四一(一九六六)年の秋、わたしにとって、人生を変える運命の出会いがあった。作家(かじ)(やま)(とし)(ゆき)さんとの出会いであった。


 梶山さんは、広島大学の秋の文化祭に、講演のため来校されたのである。梶山さんは広島大学の前身である広島高等師範学校の卒業生であった。われわれにとっては、大先輩にあたる。


 その当時わたしの知っていた梶山さんについての知識は、まずは産業スパイを扱った『黒の試走車(テストカー)』(岩波現代文庫)で(さつ)(そう)とデビューした『週刊文春』のいわゆるトップ屋出身の作家ということであった。


 いまひとつは、小豆相場の世界を描いた経済小説『赤いダイヤ』(集英社文庫)の作者としてであった。この作品はテレビドラマ化していて、当時純文学の小説をめざしていた青臭い文学青年のわたしも、なぜかこの『赤いダイヤ』のテレビドラマは楽しみで、深夜の再放送を欠かさず見ていた。後に自殺した(おお)(つじ)()(ろう)(ふん)する木塚慶太の「銭もうけはな、命がけでするもンやでぇ!」という威勢のいいセリフが、耳に焼きついていた。木塚慶太をふりつづける()(ぎわ)(よう)()扮する井戸美子の悪女ぶりも、鮮やかに印象づけられていた。


 しかし、正直いって、純文学の論争に明け暮れていたわたしや、仲間にとって、梶山季之という作家に物珍しさこそあったものの、特別な思い入れはなかった。

「流行作家とやらがどんなことをしゃべるのか、少しのぞいて、聞いてみるか」


 そういう軽い気持ちで講演会場に入った。


 梶山さんは、壇上で、額にかかる長い髪をかきあげながら、なぜ、『週刊文春』のトップ屋から作家になったか、熱っぽく語りつづけた。

「週刊誌のトップ屋をやっていて、いくつかの凄いネタを掴んだが、それをすべて活字にできるわけではなかった。東海道新幹線の用地買収の背後に実力のある自民党の政治家が利権あさりをしている影がちらつく。それを追った。確実な裏を取れなかったが、ほぼ事実関係は掴めた。編集長に、その政治家について書きましょう、と申し出た。が、承諾が得られない。事実は小説より奇なり、というので週刊誌のトップ屋になったわけですが、いくら真実でも、報道できないことがあまりに多いことを思い知らされた。それなら事実を小説に託して書こう。そう思い、そろそろトップ屋も足の洗い時だな、と作家として一本立ちしたわけです。その東海道新幹線汚職を扱った小説が、『夢の超特急』です」


 わたしは、梶山さんの話に、物珍しさを通り越し、思わず引き込まれていた。


 講演のあと、梶山さんは『広大文学』という同人誌を出していた、クラブ文芸部のわれわれだけと懇談会をもって下さった。


 梶山さんは、青臭い観念の中に閉じこもり、文学、文学と空念仏のように唱えているわれわれを、わざと挑発するようにいった。

「きみたちは、文学だといえば、すぐに愛だの恋だのを書く。文学というものを、狭い枠の中に閉じこめて考えすぎるんじゃないか。この世の中は、愛や恋だのばかりで成り立っているわけじゃない。もっと広いものだ。たとえばお金の話になると、非文学的なことと考えるようだが、金の動きにもロマンはある。もっと、現実に眼を向けるべきではないのか」


 のちになって、何度となくこの言葉を()みしめたものだが、当時のわたしには、むしろ反発があった。


 梶山さんに、われわれの何人かが質問をはじめた。その内容は記憶から抜け落ちている。ただ、あまりの観念論に戸惑い気味であった梶山さんの顔が、思い浮かぶ。


 じつは、あとでわかったことだが、梶山さんの卒業論文は、『()(むら)(いそ)()論』であった。嘉村は、山口県出身で、『(ごう)()』などの作品で自分の醜さを、これでもかこれでもかと自虐的に(えぐ)りつづけた私小説作家であった。梶山さんも、学生時代は私小説を好む青臭い文学青年であった。文学青年にとどまり、作家として大成しない仲間を見すぎていたのであろう。それゆえに、われわれをわざと挑発することをいったわけであろう。


 梶山さんは、さらに述べた。

「きみたち、食べ物のことだって、文学になる。わたしは、いま本気で食べ物の小説を書こうと思っている」


 いまでこそ、グルメ小説はあるが、この頃そのような食べ物を題材にした小説を書く作家はいなかった。時代を先取りする梶山さんらしいアイデアである。が、なにしろ純文学の(とりこ)になっているわたしには、梶山さんの述べたことに感動はおぼえなかった。


 最後に、梶山さんは、人懐っこい顔をしていった。

「みんな、困ったことがあれば、いつでもわたしを頼ってきなさい」


 わたしは、その言葉を聞いたとき、まさかのちにわたしが梶山さんを本当に訪ねて行くようになるとは、夢にも思わなかった。


 しかし、わたしにとってこの梶山さんとの運命的な出会いが、わたしを私小説から社会派作家、あるいはノンフィクション作家への道に転換させることになる。


 わたしは、のちに上京し、多くのノンフィクション作家を育てたマスコミ界の大御所的存在であった評論家(おお)()(そう)(いち)が塾長をしていた「大宅マスコミ塾」に入塾し学ぶ。


 さらに、梶山さんと同じ広大の先輩である『週刊文春』のトップ屋のリーダー格であった(いわ)(かわ)(たかし)さんの紹介で、『週刊文春』のいわゆるトップ屋となる。


 もし、わたしがトップ屋になっていなければ、同人雑誌で私小説を書きつづけていたかもしれないが、プロの物書きにはなっていなかったであろう。

『週刊文春』の小林米紀編集長は、文学青年の尻尾が残っていたわたしに、まず厳しくいった。

「ラーメン屋の姉ちゃんにもわかるように書け」


 わたしは、自分の思い込みで難解に書く姿勢を崩して、読者にわかりやすく伝えることを学んだ。


 わたしは、トップ屋を一三年間やった。わたしはトップ屋が性に合っていたのか、もしもうひとつ体があれば、生涯トップ屋をやりつづけていい、と思ったほど疲れを感じなかった。


 わたしは、『週刊文春』では、対象を厳しく切り刻みつづけたが、その姿勢の底に温かさを失うことはなかったつもりである。大宅壮一さんの影響の強かった文藝春秋の伝統なのか、かならず斬りつける人の言い分を聞けという姿勢を学んだ。もしこの姿勢がなく、冷ややかに斬りつけるばかりであったら、物書きとして独立できなかったかもしれない。


 わたしは、独立してから、右翼の大立て者()(だま)()()()、政商()()()(けん)()、総理を辞めてからも闇将軍として君臨しつづけた()(なか)(かく)(えい)、あるいは()(そら)ひばりと山口組の()(おか)(かず)()三代目組長の二人三脚などあらゆるジャンルの巨人たちを描きつづけた。


 わたしは、『週刊文春』時代、政治、芸能、ヤクザ、ピンク……とあらゆるジャンルの記事を書いた。それゆえ、独立してからもひとつのジャンルにこだわらなかった。政治物でいわゆる「永田町動物園」ばかりのぞいていると、美しい女優にも会いたくなる。ソフトバンクの(そん)(まさ)(よし)オーナーのように、さまざまな差別と苦難を乗り越え、みかん箱を机替わりに、(わず)かアルバイト社員二名のベンチャー企業から世界第三位のグローバル通信企業に急成長させた財界の雄にも会いたくなる。あらゆる分野に挑むことで、むしろ精神的バランスが保たれる。『週刊文春』時代からのそれがわたしの生理にさえなっている。


 わたしはあらゆるジャンルの人間を描いたが、テーマはひとつといえた。それは、はみ出すエネルギーを描いたことだ。はみ出すエネルギーは、はみ出さざるを得なかったエネルギーともいえる。


 たとえばナチスの総統ヒットラーはあれだけの狂的権力をふるったが、コンプレックスも激しかった。わたしは樹にたとえれば、地下を()っている根に興味を抱いた。表にあらわれた花が華やかであればあるほど、地下に這った根は深い。その地下に這った秘められたコンプレックスの哀しみを描きたかった。


 わたしは、トップ屋魂は持ちつづけていたが、文芸評論家の()(ばやし)(ひで)()の言葉だけはいつも心に刻みつづけている。

「その人の歌いたかった歌を、聴け」


 描く対象が、ある志なり夢があって、途中で挫折したとしても、その人がそれまで表面的にあらわした姿だけで評価するな。その人の果たそうとした夢をも描くべきだ、と思って描きつづけた。


 さらには、総理大臣を描くにせよ、会社のトップを描くにせよ、いつも自分に問いかけている。

〈果たして、おれが総理だったり、会社のトップだったら、彼より優れたことができるであろうか……〉


 わたしは、さまざまな人間を描くことに挑み、絶えずおのれの能力のなさに打ちひしがれつづけた。


 また、相手を、これだけしか理解できないのか、いまも悩み苦しみつづけている。たとえば、男性遍歴が激しかった女優の(たい)()()()()の人生を描くときには、

〈果たして、おれに、彼女が他の男に恋してもなお、愛しつづける包容力があるのだろうか……〉


 と思いながら、彼女の心理の奥に潜む魔性に迫り、描いた。


 愛媛県松山市の同じクラブでナンバーワンとチヤホヤされていたホステスを殺害したのち、整形逃亡し、時効寸前までの五四五九日もの逃亡生活を送った(ふく)()(かず)()をはじめとする犯罪者を取材し、描くときには、わたしは特に犯罪者の心理が(つか)みきれず、わたしの悪への想像力の乏しさに打ちひしがれた。なにしろ、犯罪者の中には、政治家や官僚や実業家とは真逆で、上昇意欲のまったくない者がいる。闇の底へ平気で下降していく衝動に駆られることもある。


 わたしは、よく聞かれる。

「なぜ、そんなに取材し、書きつづけるのか。特になにが楽しいのか」


 わたしは答える。

「取材相手にわたしが抱いている先入観が、相手にぶつかることによって、粉々に砕ける瞬間がある。昨日までのわたしの思いが、その瞬間に新しく生まれ変わる。その瞬間がたまらなくセクシーなのだ」


 わたしは私小説を書こうということからスタートしたが、ある意味、他者を通して、わたしの心の奥をのぞきみ、わたしを書きつづけているのかもしれない。


 いま、マスコミの状況は、限りなく悪くなっている。月刊『現代』も、『読売ウイークリー』も廃刊になった。さらなる冬の時代が到来するであろう。


 が、日本の現実は、東日本大震災以来、ますます厳しくなっている。


 わたしは、3・11以降、月刊『宝島』に、福島県、岩手県、宮城県の三県の復興の闘いを連載し、のちに単行本として『誰が復興本を阻んだか』(悟空出版)を(じよう)()し、さらに、脱原発派の(かわ)()(ひろ)(ゆき)弁護士と共著で『脱原発』(青志社)も上梓した。


 東日本大震災から七年が経過したいま、記事は少なくなり、中央と被災地の温度差は広がるばかりで、忘れる人さえいる。


 こういうときこそ、なにゆえにペンを執るのか、ノンフィクションの原点に立ち返るべきであろう。


 かつて、『週刊文春』に連載、のち単行本化した『石井ふく子 女の学校』(文藝春秋)を書くために、今は亡き女優の(やま)()()()()さんを取材した。そのとき、山田さんに申し出た。

「山田さんの半生を書きたい」


 が、山田さんは断った。

「わたしは、死ぬまで過去を振り返らないことにしているんです。芝居でも千秋楽の日に打ち上げをやりますけど、わたしは決して出席しないんです。終わったものは終わったもの。すでに明日のことしか考えないんです」


 それがいつまでも若さを失わない、天才女優の()(けつ)だったのであろう。


 わたしは、ノンフィクションの世界に踏み込んでこようという若い人たちのために、少しでも役に立てるならと、今回、わたしの通ってきた曲がりくねった道をあえて振り返ってみたわけである。


 あとにつづく若いライター志望の人たちに強くいいたい。どんなに苦しくても、人間を、社会の現実を描き迫ることほど生きている実感を感じることはないよ。その充実は、金銭には換えがたい。

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