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あの偉人たちを育てた子供時代の習慣
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教育とは若いころの習慣にほかならない──孔子、ルソー、ベーコン、スマイルズ

『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』
[著]木原武一 [発行]PHP研究所


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 人間は何によって生きているかといえば──


 習慣によってである。


 ほとんどすべての人は、何か異変でもないかぎり、昨日と同じように今日の日を暮らし、一昨日とほぼ同じように昨日を過ごしている。三日前も、四日前も同様であろう。


 これを一年前、十年前、二十年前とさらにさかのぼっていくと、「ほぼ同じように」というわけにはいかなくなるが、それでも、いつも変わらない「自分」というものがそこに貫いていることに気づくはずである。本人にとっては、「自分」はいつまでも変わらない。「自分」はいつも「自分」である。十年、二十年と歳をとっても、本人はいつまでも若い気でいる。変わらない「自分」がいると思っているからである。


 いったい何時から「自分」ははじまるのだろうか。この世界のなかにある「自分」を意識したとき、いわゆる「もの心」がついたころである。普通、三、四歳のころであろうか。それ以来、私たちは、まず衣食住をはじめとして、さまざまな習慣のなかで生きはじめ、それが現在の「自分」にまでつながっている。


 人間は習慣の動物であって、とくに人間の生涯を決定する重要なものが、子供時代の習慣である。習慣はそれと意識されることなく、人間を動かす。意識されたものであれば、それを変えたり避けたりもできようが、意識されないものには逆らうわけにはいかない。私たちは習慣に従わざるをえず、その習慣をさかのぼっていくと、ついには子供時代の習慣にたどり着く。


 偉業をなしとげた人びとの生涯をたどると、そこには子供時代の習慣が大きな原動力として働いていたことに気づく。それらの実例を調べ、そこから何を学ぶことができるかを考えてみたいと思う。


(なら)(せい)となる」という諺がある。孔子が編纂したといわれる『(しよ)(きよう)』にある言葉で、ある習慣(習い)がつづくと、いつのまにかそれが生れつきのもの(性)のようになるという意味である。ほかの動物とは異なる生れつきのものが人間に備わっていることはたしかであるが、それがいかなるものであるかは定かではない。生れつき備わった第一の資質は、生後数年にして、習慣という第二の資質と混ざり合って、見分けがつかなくなるからである。


 たとえば、人間が言葉をしゃべるのは、生れつきの能力だろうか。二本足で歩くのは人間の本能なのだろうか。衣服を身につけるのは、人間が生れつき持っている性質によるものだろうか。


 答えは、いずれも「ノー」である。のちほど(おおかみ)に育てられた子供の例に見られるように、人間が言葉をしゃべり、二本足で立って歩き、衣服を身にまとうのは、すべて親や周囲の人間から教えられた習慣によるものである。人間には、言葉をしゃべったり、二本足で歩いたりできる肉体の構造が備わっているが、それらの能力を実際に行使できるようになるには、人間とともに生活しなければならない。狼に育てられた子供は狼のようになり、人間に育てられた子供は人間になる。


 習慣という第二の資質が加わらないかぎり、人間は人間として社会のなかで生きていくことはできない。フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーは、子育て論の名著『エミール』で、「私たちは、いわば、二回この世に生れる。一回目は存在するために、二回目は生きるために」と言っている。私たちは一回目の誕生によって、生命を持った個体としてこの世に現れるが、しかし、それだけでは人間になることはできない。人間になるためには、教育を受け、人間としての習慣を身につけなければならない。それが二回目の誕生である。


 人間をつくりあげるうえで習慣が決定的な働きをしていること、また、できるかぎり早い時期からよい習慣を植え付けたほうがよいという点で、多くの識者の考えは一致している。「経験論」を提唱したイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンはこう言っている。



 心身におよはす習慣の力について、多くの例を挙げることができる。それゆえ、習慣が人間生活の主導者であるのだから、人びとはぜひともよい習慣を身につけるように努力するがよい。確かに、習慣は若い頃に始まる場合に、もっとも完全である。われわれはこれを教育と呼ぶ。教育とは実際には若い頃の習慣にほかならない。

(ベーコン『ベーコン随想集』渡辺義雄訳・岩波文庫)



 ものごとの真偽を、権威や先人の言葉ではなく、みずからの経験や実験で確かめるのが「経験論」である。これからとりあげる数かずの実例をご覧になれば、このベーコンの言葉が正しいことが納得されるはずである。私は、「教育とは若い頃の習慣にほかならない」という言葉にまさに同感である。これは私が習慣について考えはじめたとき、「習い性となる」とともに、まずいちばんに心に浮かんできた言葉であった。子供を育てるということは、子供を教育し、よい習慣を身につけさせることにほかならない。


 習慣の力を強調する言葉をもうひとつ挙げたい。十九世紀に活躍したイギリスの著述家、サミュエル・スマイルズの「人は幼少より善き習慣に長ぜしむべきこと」と題する言葉である。スマイルズは、歴史上の著名な人物のエピソードを教訓的というか道徳的にまとめた『自助論』を書き、当時の大ベストセラー作家となった。のちに明治期の著名な教育者となった中村(まさ)(なお)がイギリス留学中にこれに感銘を受け、『西国立志編』として邦訳した。いまでは本国のイギリスでも日本でもほとんど読まれていないが、人間のさまざまな生き方を学ぶために、見直されてよい本である。この『西国立志編』にこう記されている。文語体の訳文である。



 人は幼少より善き習慣に(ちよう)ぜしむることを要すべし。けだし少年の(うち)に習慣となれることは、終身永続して変ぜず。たとえば木の皮に文字を刻むがごとし。その木の長ずるにしたがい、文字も(とも)に大いになるなり。児童の時、その(こう)(らい)(=将来)行くべき道の(うち)に入れて教育すべし。しからば(とし)長大なるに及び、その道を離れ(そむ)かざるべし。()(しよ)(うち)、すでに(けつ)(まつ)(ほう)(がん)す。一生の道路は、(かど)()の時において、方向すでに定まり、後来の(めい)(うん)すでに(けつ)するなり。


起初の中、すでに結末を包含す」──はじめの状態のなかにその後に起こることが含まれている、というのは、すべての生物に見られる現象である。たとえば、花の(つぼみ)のなかには花びらなどが巧妙に折り畳まれていて、しかるべき季節になると、蕾がふくらみ、開花する。人間の場合、花の蕾に相当するものが幼少時代の習慣である。


 スマイルズは「善き習慣」を身につけることの大切さとともに、「悪しき習慣」を除去することがいかに難しいかを説く。古代ギリシアに、拙い先生に習ったことのある生徒からは二倍の授業料を徴収した笛の先生がいたという例を挙げ、すでに知っていることを忘れるのは、新しいことを学ぶことより難しい、と彼は言う。その笛の先生は、悪い癖を除去しながら、正しい方法を教えるという、二倍の労力を費やさねばならないわけである。人間の習慣も同様である。

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