『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』
[著]木原武一
[発行]PHP研究所
音楽家の家に育った子供が音楽家になるように、学者の子は学者に、教育者の子は教育者になる例が多い。長野県は教育県と言われるが、私の知り合いの長野県人のほとんどは二代、あるいは、三代もつづく教育一家である。私が住んでいる千葉県の田舎でも、校長あるいは教師をしていた親の子が教職についていることが多い。これもやはり、子供が親の生き方に倣う一例である。
ワルシャワ生れのフランスの物理学者で、二度のノーベル賞(最初は物理学賞、次は化学賞)を受賞したマリー・キュリー(キュリー夫人)(一八六七─一九三四)の場合、その家庭環境は学問の道に進むにはまさに理想的だった。彼女も教育者の家系に属していて、祖父は高校の校長、父親は数学と物理の教師、母親は女学校の校長である。