『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』
[著]木原武一
[発行]PHP研究所
「数と埋をもとにしてすべてを割り出す」──これが、幕末から明治のはじめ、西洋の文明を日本に紹介した最大の功労者のひとり、福沢諭吉のモットーだった。彼は、西欧文明を合理的なもの(理屈に合うもの)、明治以前の日本を不合理なもの(理屈では説明できないもの)と見なしていた。彼がいかに西欧の文明を信頼していたかを語るこんなエピソードがある。
江戸幕府の使節団に加わって、咸臨丸でアメリカに向かったときのことである。三十七日間の航海中、毎日のように嵐がつづき、船はいまにも沈没しそうに揺れた。恐怖におののく人たちを尻目に、彼は悠然としていた。『福翁自伝』には、「西洋を信ずるの念が骨に徹していたものとみえて、ちょいとも怖いと思ったことがない」と記されている。