『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』
[著]木原武一
[発行]PHP研究所
本田技研の創業者、本田宗一郎が幼いころから死ぬまで、生涯を通して夢中になっていたもの、それは、動くもの、動く機械だった。
最初に夢中になった動く機械は、「焼き玉エンジン」と呼ばれる発動機だった。家から二キロほどはなれたところに精米所があって、発動機が「バン、バン」という大きな爆発音ともうもうたる排気ガスを出しながら、精米機を動かしていた。はじめて祖父に連れられて見に行ったのは、二、三歳のころで、それ以来、毎日のように連れて行ってもらった。
いったい何が子供の心をとりこにしたのだろうか。彼は当時を回想して、「なんといってもたまらないのは“匂い”だった。