『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』
[著]木原武一
[発行]PHP研究所
「家庭は習慣の学校である」という福沢諭吉の言葉を前に紹介したが、福沢諭吉はすべてにおいて言行一致をこころがけ、子育てにおいてもこの言葉を実践した。子供たちに家事を分担させたことなどはすでに触れたが、道徳教育についても怠ることがなかった。その記録として「ひゞのをしへ」という文集が伝えられている。
福沢諭吉は、明治四年の十月、当時八歳の一太郎、六歳の捨次郎を、毎朝、朝食後、書斎に呼んで、その日その日の教えを帳面に書いて渡した。それが「ひゞのをしへ」である。字を覚えはじめたばかりの子供のために、平仮名を多用して記され、内容も平易であるが、そこには、自分はこういうように子供を育てたい、自分の子供はこうあってほしいという親の気持が如実に表現されている。