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京都学派と日本海軍 新史料「大島メモ」をめぐって
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歴史
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あとがき

『京都学派と日本海軍 新史料「大島メモ」をめぐって』
[著]大橋良介 [発行]PHP研究所


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もし後年の史家が昭和十七年の日本歴史を書く場合を想像するならば、彼にとって当時の日本は何よりもまづ大東亜戦争に於て目覚ましい戦果を挙げ、それに対応して大東亜共栄圏の輪郭が定りつつある時代、しかして国内に於て種々なる機構の飛躍的な変動の認められる時代として現はれるであらう。しからば昭和十七年に於ける日本人の精神生活はいかなる特異の相貌を以て彼に現れるであらうか」。


 これは太平洋戦争中に、臼井()(しよう)、木村素衞、高坂正顕、高山岩男、西谷啓治、柳田謙十郎、が編集した『哲学年鑑第二輯』で、高坂正顕が「哲学一般」という項目を担当した折りの、書き出しの一文だ。私は高坂の言う「後年の史家」というわけではないが、ここに編纂した「大島メモ」とその解題は、図らずも高坂が昭和十七年に提示した想像と期待に、大きな修正を加えたことになる。


 このような修正を、高坂は予想もしなかっただろうか。それとも、遅くとも彼の項目論文が、出版事情や戦局の悪化も重なってのことだろう、昭和十九年一月になってやっと靖文社から出たとき、彼はすでに何らかの修正の予感を持っていたのではないのだろうか。本書の「序」と第一部の「1」にも記したように、京都学派はかなり早い時期に「敗戦」を見通していたからだ。むしろ、私自身が「図らずも」本書を書く羽目にいたったと言うべきかもしれない。予期しなかった「大島メモ」発見のためだ。



 平成十二年(二〇〇〇年)十一月五日。東京は東大泉の住宅街の一角にある大島家を訪ねようと、私は東大泉のJR駅でおりてタクシーに乗った。閑静な住宅街を、タクシーの運転手は番地をさがしてぐるぐると回ったが、大島邸はなかなか見つからなかった。三十分ばかりして、ようやく辿り着いた。すぐに分かったことだが、駅までは自転車で簡単に行ける場所だった。


 私は当時、『京都哲学撰書』(燈影舎)第一期の第十三巻に、大島康正の著書を収録するにあたり、その解説を記すために大島について調べていた。太平洋戦争中に京都学派がおこなっていた「秘密会合」について、大島がいろいろのエッセイで言及しているので、それらにも眼を通していた。大島の言及は、戦後の京都学派をめぐる議論のなかで取り上げられたことはなかったように思う。私もそれほど注意してはいなかった。


 ただ、大島の「大東亜戦争と京都学派」(『中央公論』昭和四十年八月号)を再読したとき、ある個所が気になった。「私の家には、当時のメモ・ノートがまだ保存してある」と。そこで大島家に、そのようなメモ・ノート類がないかどうかの調査を依頼した。最初の調査結果は「ノー」だった。しかし念のため、自分でも確かめたかった。その調査のために大島家を訪ねることにしたのだ。すべては、大島が『中央公論』エッセイのなかで洩らしたこの一個所の言葉のためだった。


 応接室で大島康正のご長男・啓氏の博子夫人が言った。

これが憲兵に見つかったら、みんな逮捕されていただろう、と父が何か見せてくれたことはありましたけれど、みんな整理してしまって……。古本を整理したときがあったので、それと一緒に処分してしまったかしら」

でも、それほど危険なものだったとすれば、おおっぴらに書架に並べておくということはなかったのではないでしょうか。もしかしたら、大きな古ぼけた茶色っぽい封筒にでも入れて、目立たない引き出しに入れてあるとか……」


 あてずっぽうに私はそう言った。すると博子夫人は、

そうですねえ、あの引き出しの奥は、まだ見ていませんでしたけれど。何かそういったものがあったかもしれません……」


 夫人は応接室の大きな書棚の前にある机を移動させ、書棚のいちばん下の抽き出しをあけた。するといくつかの包装類の下から、「茶色の大きな封筒」が出てきた。表紙に筆で大きくNavyと記されている。

もしかして、……」と、博子夫人はソファに坐る私を見あげた。私も「もしかして……」と思った。そこでふたりは手袋をはめて、袋のなかの紙束類を順々にそっと取りだし、束を解き、ひとつひとつ広げていった。大小さまざまのメモ類が次々にあらわれた。われわれは内容をのぞき込んでは、何度も顔を見合わせた。


 こうして六十年余の時を経て、「大島メモ」は日の目をみた。


大島メモ」という命名には、多少の問題もあるかもしれない。メモのなかには京都学派の「秘密会合」出席者のレクチャー原稿や報告書も含まれ、また筆記者も複数にのぼるからだ。「著者」は多数にのぼると言わねばならない。しかし、この会合の幹事をつとめ、主としてこれを筆記し、保管したのは大島康正だから、その全体を「大島メモ」と命名しても故人は(うべな)ってくれるだろう。これをきちんとした形で発表したいという私の申し出を、大島ご夫妻は快く承諾してくださった。そこで慎重に全部をコピーして、原本は大島家に返した。


 メモにはいろいろの種類が混在するほか、精粗の差も大きく、また六十年を隔てた後世の読者からすれば、すぐには内容が分からないものも多くある。何よりも、どのような状況下で、何を意図して、何のために、このような会合が開かれていたのかは、メモを読むだけでは分からない。そこできちんとした形での発表という約束を守るため、蛇足ながら本書の第一部と第二部を付して編纂することにした。第一部は今回のための書き下ろしだ。第二部は『京都哲学撰書』の下村寅太郎の巻(第四巻『精神史のなかの日本近代』)と大島康正の巻(第十三巻『時代区分の成立根拠・実存倫理』)の、それぞれの「解説」を少しアレンジしたものだ。これを受けてメモの全体を、第三部冒頭に記したような仕方で分類した。大島家に保存されている原本も、これとおなじ仕方で仕分けした上で保存していただくことにした。



 なお、本書につづいて近く刊行が予定されている拙編著『京都学派の思想』(人文書院)にも、触れておきたい。本書の「姉妹編」の位置をもつからだ。本書で「大島メモ」の史的・時局的背景を述べたとすれば、上記の姉妹編では、「大島メモ」の本来の背景である「京都学派の思想」そのものを、史的観点と現代哲学の観点とから、照射することを試みた。「種々の京都学派像」(第一部)と、「京都学派の思想的ポテンシャル」(第二部)について、有力な研究者たちが力作を寄せている。本書と併せて見ていただければ、幸甚この上もない。



 史料の調査と発見にご協力いただき、大島メモをこのような形で発表することをご快諾くださった大島啓・博子ご夫妻には、格別のお礼を申し上げたい。また、東京教育大学時代の大島康正氏の弟子にして「秘書」だった橋本健氏にも、種々の論文のコピーおよび資料調査において、得難いご協力をいただいた。同氏にもお礼を申し上げたい。


 PHP研究所PHP新書編集長今井章博さんには、執筆の依頼に来訪されて以来、ずっと本書のお世話をいただいた。また同所の細矢節子さんには極めて良心的で丹念な校正をしていただいた。お二方に同様にお礼を申し上げたい。


 多忙な仕事の合い間に校正刷りに眼を通して、貴重な指摘をしていただいた花澤秀文氏と秋富克哉氏にも、深く感謝している。

大島メモ」のワープロ書き起こしをしていただいた、博士課程のゼミ生である小林美香さんと余安里さんにも、お礼を述べたい。国立大学の統合問題を抱えて連日いろいろの会議・会合に忙殺される中、ふたりの協力がなければ、本書の刊行はいつのこととなっていただろうか。



 二〇〇一年十一月

大橋良介 

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