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「史記」の人物学
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歴史
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第六章 戦略家たちの出世学

『「史記」の人物学』
[著]守屋洋 [発行]PHP研究所


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     戦国時代になると、社会の古い制度や規範がくずれてしまい、それに代わるべき新しいものがまだ生まれてこない。才能のある男どもが、世に出るには、またとない時代であった。

     この時代に登場した説客、食客たちの生態をとりあげながら、かれらのしたたかで、しかもはつらつとした生き方を紹介してみよう。

     せせこましい現代を生きるわれわれにとって、一服の清涼剤になるかもしれない。


 苦節の時代の心意気


 説客とは、舌先三寸の弁舌だけで各国の王に遊説し、政策を献言しながら、自分の売り込みをはかった連中のことである。またの名を「遊説の士」ともいう。現代風に言えば、経営コンサルタントと言ったところかもしれない。

 中国の戦国時代には、このような説客たちが続々と輩出し、バイタリティにあふれた言動で、時代相をはなやかに彩った。

 かれらは、みな貧窮のなかから身を起こしている。遊説が成功すれば、大臣、宰相の地位も夢ではない。それだけに、かれらの弁舌には、ほとばしるような熱気がこもっていた。だが、いつの時代でもそうだが、下積みからはいあがっていくのは容易でない。成功者でも、若いときにはみながみな苦節の時代をもっている。いやむしろ、苦節の時代をこやしにしてはいあがっていった、と言ってよいかもしれない。

 その典型として、蘇秦(そしん)張儀(ちようぎ)の二人をあげることができる。二人はいずれも遊説の成功者として大国の宰相にまで成りあがったが、若いときに貧窮の時代をもち、それをバネにして世のなかに出ていった。

 まず蘇秦であるが、鬼谷(きこく)先生について遊説術を学び、諸国遊説の旅に出たが、数年たってもまったく芽が出ない。食いつめて故郷にもどったところ、兄弟姉妹はおろか妻までが、こう言って蘇秦を笑った。
「百姓仕事に励むとか、商いに精を出すとかして、二割程度手堅く儲ける。それがまっとうな生き方というものでしょう。ところがおまえさまは遊説とか言って騒ぎまわっている。こんなざまになるのも当たりまえですよ」

 言われてみれば、その通りである。蘇秦は、ぐっと胸にこたえるものがあった。だが、かれは、これぐらいのことではくじけない。
「いったん学問に志したからには、それによって栄達しなければ、男の一分(いちぶ)が立たぬ」

 あらためて心に誓ったかれは、それからというもの、部屋にこもりきりで、蔵書を片っぱしから読み直した。やがて、これぞという書物に行き当たる。太公望呂尚があらわしたとされる『周書(しゆうしよ)』の陰符である。そして陰符研究ひとすじに打ちこんだ。

 こうして一年、蘇秦はついに「揣摩(しま)」と呼ばれる独特の読心術をあみ出した。
「これなら売り込めるぞ」

 ふたたび遊説の旅に出た蘇秦は、「揣摩」の術を駆使して相手の心を読みとり、つぎつぎと遊説を成功させる。そして「合従(がつしよう)」と呼ばれる、秦に対抗する雄大な国際戦略を実現させ、その責任者におさまったという。

 もう一人の張儀であるが、かれも蘇秦と同じように鬼谷先生のもとで遊説術を学び、やがて遊説の旅に出る。しかし、かれもまたいっこうに芽が出ない。

 諸国をめぐって()にはいり、そこで宰相の食客になった。芽の出ない説客たちは、一時、権門に寄食して生活の(かて)を得るようになる。これを「食客」という。

 張儀も、その食客になったわけだが、ある夜、宰相の邸で宴会が開かれたとき、宰相自慢の玉が紛失するという事件が起こった。嫌疑は張儀に集中する。
「あの男が臭いぞ。金もないし、どうも信用できんところがある」

 張儀は、その場で引っ捕えられて拷問(ごうもん)にかけられる。身におぼえのないこととて、あくまでも頑張りとおし、やっとのことで釈放された。

 失意の張儀は、やむなく故郷に帰り、事の顛末を妻に語ってきかせた。妻が言うには、
「遊説術なんか勉強するから、そんな目にあうんですわ。いいかげんにおやめなさいませ」

 すると張儀は、妻に向かってあーんと口を開け、
「どうだい、舌はまだついているか」
「そりゃ、ございますとも」

 おかしがる妻に向かって、張儀は力強く言い切った。
「よし、おれはやるぞ」

 ちなみにこのくだり『史記』の原文ではつぎのようになっている。
「ソノ妻ニ()イテ曰ク、『吾ガ舌ヲ()ヨ、ナオ()リヤ(イナ)ヤ』。ソノ妻笑イテ曰ク、『舌在リ』。儀曰ク、『足レリ』」

 ふてぶてしいばかりの自信ではないか。

 張儀は、この自信を頼りに、また遊説の旅に出る。そしてついに逆境をはねかえして遊説を成功させ、国際的な政客として大活躍したという。



 チャンスさえもらえば


 (ちよう)の国に平原君(へいげんくん)という宰相がいた。都を秦の大軍に包囲されてピンチに陥ったときのこと、王の命を受けて()におもむき、援軍を要請することになった。

 出発にあたって、かれは王に約束した。
「話し合いの結果、盟約が成立するようなら問題はありませんが、万一、交渉が不調に終わるなら、力に訴えてでもこの大任を果たしてお目にかけましょう。従者は、わたしの一門だけで十分でございます」

 かれは、食客のなかから智勇兼備の士二十人を選抜しようとした。ところが十九人までは順調に人選がはかどったが、残る一人がどうしても埋まらない。

 すると、毛遂(もうすい)という男がみずから名乗り出た。
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