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さらば東京裁判史観
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歴史
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第二章 東京裁判史観の誕生

『さらば東京裁判史観』
[著]小堀桂一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
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起訴状から読み取れる東京裁判の構想と戦略


勝者が敗者を裁く場所

 昭和二十一年は、「新日本建設に関する」年頭の詔書公布を以て明けたと言えるわけだが、この年は到底詔書の示す様な建設事業の着手・進展を慶祝(けいしゆく)するには程遠い、屈辱と苦難の年となることが(つと)に予想された。つまり同年一月十九日、日本占領の連合国軍最高司令官マッカーサーは「極東国際軍事裁判所条例」を制定、二十二日にはこれを発表し、そしてこの条例に基づいて裁判を行うところの極東国際軍事裁判所なるものを設立するとの趣旨を「特別宣言書」と称する文書を以て公表した。この「条例」がいわゆる東京裁判の一応の法的根拠である。

 戦勝者である連合国側が敗者たる日本に対して戦争犯罪裁判を行うであろうということは終戦の決断の時から既に予想されてはいた。「ポツダム宣言」の第十条には〈……吾等ノ俘虜(ふりよ)ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ……〉という一節が入っていたからである。

 ところで「戦争犯罪」とは何なのか。「ポツダム宣言」を見るに俘虜虐待がそれに当ることは明らかだし、そうでなくても戦時国際法違反に当る俘虜虐待が法規違反である故に即ち犯罪と呼び得るものであることは日本人も勿論(もちろん)心得ていたが、この宣言には〈…ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人〉という表現が用いられている。〈一切ノ〉とはいったい如何なる種類の犯罪を指しているのか、ということは終戦直後の日本人にとって強い関心の的、乃至不安の種だった。九月二日の降伏文書調印、日本占領の開始、という事態になった早々の九月十一日に第一次容疑者A級十八名の一人として東條大将に占領軍から逮捕の手が及んだ時、日本人の一部の者は、戦争犯罪を処罰するという名目の下に、連合国が(たくら)んでいるのは実は復讐ではないのか、という疑念が逸早く(きざ)した。

 清瀬一郎(きよせいちろう)氏は『秘録・東京裁判』の中で昭和二十年五月二十六日の日付を有する当時の情報局総裁下村宏(しもむらひろし)海南(かいなん)、『終戦秘史』の著者)が内閣総理大臣鈴木貫太郎(すずきかんたろう)に宛てた、実に興味深い意見書を紹介している。この日付からわかる様に、「ポツダム宣言」が発せられる丁度二箇月前、空襲によって皇居の宮殿が焼失した(爆弾の直撃ではなく霞ヶ関官庁街からの飛火による)その翌日のことである。書簡の趣旨は要するに戦争の収拾方法と終戦時及び終戦後の政治の処理に就いての建言だが、その最後の一項が興味深い。曰く、
〈三国同盟及ビ大東亜戦争ニ干与セル左記重臣ハコトココニ至ル、宜シクソノ進退ヲ明ニスルコト
近衛公爵
東條大将
杉山元帥
島田大将
永野元帥
松岡前外相
ハ引退スベク、軍籍ニ在ル者ハ之ヲ辞退スルコト〉
というのである。これは下村海南という極めて良質の知識人から見ての、謂わば「敗戦責任」追及の構想であろう。そしてこの人選(?)は誰の眼から見ても妥当な、常識的な線であったろう。戦争の遂行責任者として連合国就中(なかんずく)米国が最も憎み、敵意を懐いているのはこの面々であろうという程の読みは(下村氏の書簡はもちろん世に知られていなかったが)終戦当時の国民の大方の脳裡にあったことと思われる。しかし東條や近衛が「犯罪人」であるとの認識は普通人の判断力からは生じて来ない。然るに東條に対し、事情聴取のための召喚状が届くくらいなら当然だが、占領軍総司令部は直ちに憲兵を「逮捕」にさし向けるといった手荒な処置を取った(故に東條は爾後の甚しい屈辱的処遇を予想して自殺を図った)。これでは米軍の考えているのは「復讐」であり、敗軍の将に対する「追い討ち」ではないのか、という疑惑が生ずる。

 支那事変の収拾に失敗し、日米交渉をまとめ得ずして途中退場した近衛の政治責任の重大なることも衆目の一致するところである。しかしそれは日本国民に対する責任であって、連合国に対しての犯罪を構成するという理屈は立たない。近衛が終戦直後の東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣に無任所の国務大臣として入閣したこと自体、国内的には多少「好い気なもの」という印象を与えたことは否み難いが、それとても彼に国際法上の〈犯罪者〉たるの意識などなかったからこそのことで、それが又当然である。ところが周知の様に近衛も十一月に至って戦争犯罪人容疑者と指名され、この屈辱に堪えかねて彼は自殺してしまった。

 戦争犯罪人裁判ということで、占領軍はいったい何を考えているのか、俘虜虐待とも戦時国際法違反ともどうみても関係のありそうにない近衛如き高官に逮捕の手が及ぶというのは何を意味しているのか。この暗澹(あんたん)たる疑惑が実に憂鬱な形で解明されたのが、二十一年一月十九日の「極東国際軍事裁判所条例」なる所謂(いわゆる)「事後法」の制定によってであった。

 罪刑法定主義という術語は大学における一般教育の法学の授業で講ぜられる程度の初歩的な知識でも有している人なら誰でも知っていよう。法的な意味での犯罪というのは、法の明文に規定した条項に違反した場合に初めて成立つのであって、法に禁止規定のない行為は如何に世間の通念からして悪事に見えようとも犯罪とは呼ばない、という簡単な理屈である。だからこのことを「法なくして罪なし」とも表現する。

 戦争犯罪というが、何らかの罪を問うとなれば、それが罪であるということを定めた法文がなくてはならぬ。
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