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さらば東京裁判史観
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歴史
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第四章 教育基本法の弊害

『さらば東京裁判史観』
[著]小堀桂一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間7分
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教育勅語から教育基本法へ


教育界から葬られた「国体」という言葉

 占領中というのは平時の感覚では一寸想像のつかない様な不思議な事件が次々と発生した期間であって、その怪事件の記憶がそれなりに戦後史の年表に刻みこまれて定着してしまうと、今ではそれほど不思議とも奇怪とも思われなくなっているという点に、戦後日本の大きな不幸があるといえよう。昭和二十三年六月十九日の第二回通常国会での、衆議院における「教育勅語等排除に関する決議」、参議院での「教育勅語等の失効確認に関する決議」という事件などはその奇怪の最たるものということができよう。

 どうしてこの様な愚かしくかつ浅ましい決議を当時の国会議員達は敢えてすることができたのだろう。この恥ずべき事件の経緯については、素朴な「どうして……」という疑問を戦後史に対して極めて率直につきつけ、遂に独力でその解明に至り着いた高橋史朗(たかはししろう)氏の努力によって全容は大方明らかになっている(高橋史朗『総点検・戦後教育の実像』中「教育勅語はいかにして葬られたか」、『占領下の教育改革と検閲』中「教育勅語の廃止過程」)。高橋氏の研究に依拠してその粗筋をれば大略以下の如くである。

 問題の根底に存したのは畢竟(ひつきよう)占領軍による日本の精神的武装解除であり、「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」に基づく日本弱体化政策である。その実践の具体策として『太平洋戦争史』の新聞連載が強要され、ラジオは「真相はかうだ」を流し、「神道指令」が発出され、新日本建設に関する詔書には所謂(いわゆる)「人間宣言」が挿入せしめられた。東京裁判は結果的にこの計画中の最大のプログラムだった。高橋氏の研究によれば「神道指令」には初案では、「大東亜戦争」「八紘一宇」と並んで「国体」も使用禁止語の項目に入っていた。「国体」が使用禁止となると〈……此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス〉と謳っている教育勅語も奉読・印刷が不可能になる。占領軍民間情報教育局の顧問格を務めていた岸本英夫(きしもとひでお)東大助教授(当時)は、神道指令の起草者であるウィリアム・バンス宗教課長に対し、それはまるで教育勅語を背後から匕首(あいくち)で刺す様な陰険なやり方だ、とたしなめたそうである。そこで「国体」は一応「神道指令」の挙げる禁制語の中からは除かれたのだが、やがては民間情報教育局によって制定された(昭和二十一年二月四日)教科書検閲基準の中に禁句として登録されて教育界から排除されてゆく。

 この短い期間に「国体」なる語のった運命を顧みて思うならば、教育勅語の命運も既にこの頃に定まっていたと言えよう。「人間宣言」も亦教育勅語排除の前段階に他ならない措置だった。

国民教育の理念にのびる攻撃の手

 世の通称というものには案外恐るべき力がひそんでいるものであって、「人間宣言」という呼び方には決して一般の反感を(そそ)る様な響きはない。天皇が現人神であるというのは神道祭祀の祭主としての性格を少々文学的に表現すればこうなるというまでの、一種の宗教学的約束にすぎないのであって、歴代の天皇が生身の人間であるということ、そもそも日本の神それ自体が元来人間である、あるいは神が人間世界に下りてきて人間として生活したり、人間が遷化(せんげ)して神になったりするという関係がこの世を支配していることは小児でも知っていた。戦前の世代にとって、天皇は人間である、と定義することは意味の上では少しも異様ではなく、むしろ当然のことであった。この定義には、単に天皇をそれほど尊崇しなくてもよい、という恐ろしく俗受けのする響きしか感じられないが、敗戦直後のことであればその程度の聖的現象が発生するのは已むを得ない、というくらいに受け取られる。そこで二十一年の年頭の詔書が「人間宣言」と俗称された事実に、人々はそれほど抵抗を覚えず、むしろ好意的にこれを迎えた向きも多かった。しかしその文言の中には、第一章でふれた通り、天皇は人間なりという罪のない命題とは比較にならぬほどの陰険な毒がひそませてあったので、それが即ち日本神話への攻撃であり、国民的信仰の根幹に傷を負わせ、我等は神国の民なりとの矜持(きようじ)を打砕く糾弾の文言である。一言にして言えばこの詔書は国体の破壊を策した占領軍の敵意に迎合する実に禍深き文書であり、その効果はそれが各国務大臣連署の正規の詔勅としての権威を帯びているだけに、占領の終了と共に失効してしまう神道指令とは比較にならぬほどの大きく深いものがあった。

 アメリカ国務省の建てた国家戦略の一端である日本占領方針の目標が終極的に日本国体の破壊にあった以上、攻撃の手が皇室伝統・国民信仰の破壊から更に進んで、国民教育の理念の大本である教育勅語にも及んでくるという勢は必然のなりゆきであった。

光り始めた「教育勅語」に対する警戒の眼

 教育勅語排除の直接の動機となったのは、高橋氏の研究によれば、昭和二十一年七月十五日に第九十帝国議会で第一次吉田内閣の文部大臣田中耕太郎(たなかこうたろう)が行った教育勅語擁護の発言だった様である。これが占領軍総司令部の民間情報教育局よりも先に米陸軍の軍事諜報局の眼にとまり、二度も太平洋を越えて米本国の国務省経由で総司令部に注意が及び、今度は総司令部の民政局から日本の国会の衆・参両議院の文教委員長に圧力がかかる、という経路をった。

 田中耕太郎文相の第九十帝国議会での発言というのは七月十五日の帝国憲法改正委員会で、加藤一雄(かとうかずお)委員の質問に対する政府側答弁という形でなされたものだが、その中で田中は憲法改正に伴って新たに民主主義的平和主義的教育の根本原理を掲げる必要があると答え、即ち教育基本法制定の原構想を既に明らかにしている。ところでその新しい教育の根本原理と教育勅語との関係について、田中は以下の様に答弁している(この項は杉原誠四郎(すぎはらせいしろう)『教育基本法の成立』中「教育基本法の始動と教育勅語」に負うている。記して深く謝意を表する)。

 此ノ勅語ハ終戦後、詰リ一月元旦ノ御詔書ニ依ツテ廃止セラレタノデハナイカト云フヤウナ疑問ヲ起ス向モゴザイマシテ、文部省ト致シマシテハ勅語ハ勿論(もちろん)明治二十三年ノ当時ノ事情ヲ考慮シ、或ハ形式ナリ、或ハ表現ノ仕方ニ於テ、其ノ当時ノ色彩ガ着イテハ居リマスケレドモアソコニ盛ラレテ居リマス所ノ根本原理ハ、詰リ人倫ノ大本、天地ノ公道ト申シマシテモ差支へナイヤウナモノト考ヘマス。是ハヤハリ今日モ其ノ内容ノ見地カラ考へテ見マシテ、権威ヲ持ツテ居ルト思フノデアリマス。(しか)シナガラ天皇陛下ガアア云フヤウニ御明示ニナツタカラ、教育勅語ヲ教育ノ淵源ト拝スルト云フノデハナクシテ、内容其ノモノガ正シイカラ(したがつ)テ我々ハ教育勅語ニ付イテモ今日マデヤハリ之ヲ廃止スルト云フヤウナ態度ニ出ズ、依然トシテ其ノ道義的ノ権威ヲ尊重スルト云フ建テ前デ以ツテ居リマス。(後略)

 つまり「人間宣言」の詔書は教育勅語の排除につながるものではない、と明言したことに米軍諜報局のなかなかに鋭敏な神経が直ちに反応し、占領軍総司令部への注意喚起となったものであろう。「人間宣言」を以て皇室伝統に対する日本人の尊崇の情に大打撃を与えたとしても、教育勅語が健在では、日本の「国体破壊」という究極目的は達成できないからである。

 教育勅語に対する警戒の眼が光り始めてからその実際の排除に至るまでに約二年の月日が過ぎているが、この期間は即ち教育基本法の制定準備期間に当っている。教育基本法の内容は後に論ずることとして、とにかくこの法は昭和二十二年の三月三十一日を以て制定・施行された。この法が成立してみると、改めて基本法と教育勅語との関係に就いての関心が喚起され、前者と後者の間の教育理念の相違が話題となり、結局基本法のみを(もつぱ)ら今後の指導理念として生かすために後者の抹殺を図った、という次第であるらしい。

対立する筈ではなかった教育勅語と教育基本法
「神道指令」の中で「国体」を禁制語にすると教育勅語が停止されてしまうことになる、という抗議に遭って、総司令部が「国体」をあっさりと「神道指令」の禁句リストから除いたということは、始めのうちは占領軍が教育勅語にはさほど敵意を懐いていなかったことを示している。事実占領初期の二年間ほどは教育勅語は結果としては大体保護されていた形になっていた。教育勅語は(つと)に明治四十年から四十二年にかけて、文部省の手によって英語、漢語、ドイツ語、フランス語に翻訳され、この四箇国語訳はまとめて注釈付で出版され、欧米諸国でも関心のある向きには広く知られたものとなっていた。当然、米国に於いても教育勅語の研究はよくなされていて、それ自体は本質的には良きものであるとの認識があったし、教育勅語を攻撃するのは、占領軍がともかくも日本国政府の面目を立てて間接統治を以て占領目的を達成しようとしている状況の中では、政策的に得策ではない、との考え方があったらしい。昭和二十一年の三月に来日し、一箇月足らずの視察で日本の教育制度を思う存分に攪乱して帰って行った「アメリカ教育使節団」も教育勅語には大して関心を示さなかったようである。

 しかし、占領軍によってか六日六晩で書きとばされた新たな日本国憲法と、それより一月あまり早く、基本的にその憲法の理念に則って出来ている教育基本法とが施行されている状況からみると、教育勅語の示している伝統的国体観、及びその内容よりも、国民精神に占めている天皇の権威の大きさをその存在自体を以て表現している教育勅語の意味の重さが気になる。つまりそれは、終局的に国体破壊を目指したものである日本占領の基本方針にとっての防塞になっているという認識が生じ始めたらしい。

 排除の口実はいくらでもあった。既に昭和二十二年五月三日に発効した新しい日本国憲法第九八条第一項は、〈この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない〉としてある。教育勅語は「主権在民」を(うた)った前文と「基本的人権の享有(きようゆう)」を定めた第一一条の条規に反する、故に無効である、と断じればよいからである。

 教育基本法の制定に尽力した人々の間では基本法と教育勅語とは互いに衝突する性格のものではないと考えられていた。法案構想段階で国会質問を予想して作られた文部省側の想定問答集を見ると、基本法の中には教育勅語のよき精神が引きつがれている、教育勅語は天地の公道たるべきものを示しており、基本法制定後もそれを廃止する意志はない、教育勅語は道徳・教育に関する明治天皇個人のお言葉なのであるから、新憲法前文に言う〈われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する〉の詔勅の中には入らない、といった弁明が用意されていたことがわかる。教育基本法と教育勅語とが、前者が後者の精神を引きついでいると言えるほどに精神的近縁にあるかどうかは甚だ疑問でこれはこの後に論ずることにするが、とにかく基本法制定に携った人々としては之を以て教育勅語を押しのけ、それにとって替ろうとする意志があったわけでないことは確かなようである。

強要の下に行われた教育勅語の排除

 それではどうしてこの節の冒頭にいう様な「恥ずべき愚行」が敢えてなされたのか。高橋史朗氏の研究によれば、それは端的に連合軍総司令部民政局の圧力によるものであった。

 高橋氏は約四十年前に教育基本法制定に関係した人々に面談したところ、この人々に教育勅語を否定したり排除したりしたという意識が全くないことに驚いた由である。現実に衆議院で排除決議があり、参議院が失効確認をしているという歴史的事実とあまりにも懸隔(けんかく)がある。しかし関係者達の意識はどうやら真物(ほんもの)であった。自己欺瞞の所産(しよさん)などではなかった。それは一言で言えば占領軍に強要されて()むを得ずした決議であり、基本法制定の論理的帰結というわけではなかったというのである。
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