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逆説の時代
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第二章 日本モデルが生き残る

『逆説の時代』
[著]渡部昇一 [発行]PHP研究所


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──ハイエク先生の言葉と思想

自由主義に徹した巨人


 一九九二年にハイエク先生が亡くなられた。先生は、一九四〇年代に、すでに社会主義、計画経済は自滅する、と予告されていた。その予測通り、ソ連が解体するのを見られて亡くなられたのは幸いだったと思う。先生は自由主義に徹した巨人として、偉大な業績を残されたが、まことに謙遜な方だった。

 われわれは政治や政界に及ぼす力などはない。また、そう努めるべきではない。われわれは政治家を動かすそんな力はない、ただ、真理を探究するだけである、と言っておられたが、先生の考えは世界の政治指導者に一番大きな影響力を及ぼした。そして今後も与え続けるであろう。
『隷従への道』をハイエク先生が書かれたのは一九四四年(昭和十九年)だが、私はこの『隷従への道』と同じ趣旨のことを書いたものを、あとで偶然見つけた。

 昭和二十年に近衛文麿元首相は、硫黄島の戦いのころ、天皇に上奏文を捧呈している。その中で彼は、自分は左翼と右翼は違うと思っていたが、今になってみると、左翼も右翼も同じである。これに私がもっと早く気がつかなかったのは、大きな間違いであって、まことに申し訳ないことだった、と言っている。これはハイエク先生と同じだと気がついた。

 左翼も右翼も同じだという洞察、これこそ『隷従への道』の背骨をなす思想である。終戦直後に、例えば、小泉信三先生、あるいは、河合栄治郎先生がご健在で、『隷従への道』を全訳されて、岩波書店とか中央公論社とかいった社会学・経済学の分野で権威ある書店から出版されていたら、日本の戦後の思想界は無駄な回り道をしないで済んだろうと思う。

 そして、非常に多くの優秀な青年が、そのエネルギーと時間をマルクス文献という名の私有財産否定と自由否定の「神学書」に取り憑かれることがなく、また多くの若者が過激な運動に入って青春を棒に振ることもなかったろう。

 私がハイエク先生と出会った想い出は、個人的な話となって恐縮だが、東北の田舎の母の想い出と重なる。私の実家は、「あぶらや」という屋号で小さな商売をしていたが、何と言っても油は統制品の第一であるから、戦時中の統制経済の下で全く商売できなくなった。配給制度はいとも簡単にわが家から商売を取り上げてしまった。

 ところでその戦後間もない昭和二十一、二年ごろ、大内兵衛先生が、時の吉田茂内閣から入閣を求められたことがあった。先生は断わられたが、吉田首相に入閣を求められたというので、たいへん知名度が上がった。その大内先生はじめ二、三の先生が東大エクステンションと称して東北各地を講演して回られたことがあった。

 私は偉大な巨人を仰ぎ見る目で、ただうっとり聴きほれて帰ったことを、今でも覚えている。細かな詳しいことは忘れてしまったが、国家の主要な物資である鉄とか石炭は、個個の私企業に任せておくと貧富の差が拡大するから、国家がきちっと掌握して、これを公平かつ効率的に分配しなければならない……、大体そんな基調の話だったと思う。

 その夜、帰宅して父にその話をしたら、父も「その通りだ。俺も前からそう思っていた」と調子のいいことを言う。ところが、食事が終わったあと、母が「その偉い先生はやはり配給制度を続けろというの?」と私に聞いたものである。講演の中では配給という言葉は出なかったと思う。しかし、母は「私は頭が悪くて何もわからないけれど、どうも配給を続けろという話のように思える。どんな偉い先生が言ったとしても、あれはダメなものだなァ」と言ったのである。

「配給はダメ」という母の言葉


 配給制度がいやなもの、良くないことは、当時は皆、知っていた。国家が主要な物資を押さえて分配するのは、公平か何か知らないが、それは母が言う通り配給制度にほかならない。私は、配給制度の話を聴いて感心してきたのか、と思ったら、やや大げさに言えば自己嫌悪に似たような気持ちになり、大先生の話よりも、母の言うのが本当だと、子供心に実感したのである。

 母は「勝手に商売をさせないような政府はダメだ」といつも言っていた。私の家は取るに足らない油屋だったが、油は統制品の代表格だから、全然商売にならない。その他の商品にも停や公のハンコを押す手伝いをさせられた。そういう恨みもあったと思う。その印象があるので、「配給」などと言っている先生はダメだと考えたのであろう。

 その後間もなくして大学に入り、難しい雑誌の巻頭論文を読むことも多少は心掛けた時期もあった。昭和二十年代の巻頭論文は、えらく難しい。それでも『世界』『中央公論』も日本語だから一応わかるが、一生懸命に読んでいるうち、「待てよ、これは配給みたいなことを言っている」「配給みたいなことを続けている国をほめているぞ」、という感じがしてくると読む気がしなくなる。母の「配給というのは、たとえどんな偉い人が言ってもダメなものだ」という言葉を思い出してしまうのだ。それで、大学の一、二年の段階でそういう類の雑誌を一切読まなくなり、二十数年間全く読まなかった。
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