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第四章 「二十世紀の虚構」共産主義の死

『逆説の時代』
[著]渡部昇一 [発行]PHP研究所


読了目安時間:35分
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──ソ連を解体した日本のハイテク

一九八六年の予期


 ソ連共産党が解体し、マルクス・レーニン共産主義が無残に崩壊、世界は新たな転機を迎えている。「三日天下」に終わった保守派クーデターの後、共産党は七十年の歴史の幕を閉じ、多くの論者、専門家を驚かせた。

 実は私は一九八六年七月に、社団法人日本証券クラブ創立二十周年記念のシンポジウムに、堺屋太一氏、牧野昇氏などと出席した際、次のような締めくくりのスピーチをした。

 第一点は、共産主義は全く駄目だということがシナリオとして出てくる、そして第二点は、東欧がなくなって中央ヨーロッパが復活する、そこから世界新秩序の建設が始まる。これは『日はまだ昇る』という昨年(一九九〇年)の拙著の中に再録してある。従って、私にとっては少なくとも、数年前から共産主義は完全に崩壊し、東欧はヨーロッパになるということ、そして世界新秩序の建設に向かうということが、はっきりした筋で見えていた。そんなことを考える基礎になったことを述べてみたい。

 まず第一に、今回のソ連の崩壊現象というものは、弁解の余地がないということである。中には主義、主張は良かったのだが、戦争に負けたために駄目になったという言い訳がつく負け方がある。

共産主義イコール配給制度


 例えば多くの人が弁解の余地がないと思っている日中戦争ですらも、「なーに、あの時汪兆銘政権ができたではないか、汪政権というより親日政権ができて日本軍が撤収するということがあれば、旧満州は旧満州で栄え、中国は中国で栄えて、その後の内戦及び文化革命で何百万人も殺されるということはなく、旧満州は旧満州で最も発達した地域として栄え、中国は中国で、今の台湾以上の繁栄もかち得たのではなかろうか」などという「歴史のイフ」を言いたてることもできる。本当はそうなり得たが、戦争に負けて駄目になったという口実があり得る。

 ところが、今回の共産主義崩壊は戦争で負けたわけではない。本当に、勝手に崩れていったのである。そこには弁解の余地がない、ということを繰り返し主張する必要がある。

 では弁解の余地がなく負けたマルキシズム、あるいは共産主義というものが、なぜそんなにもろかったのであろうか。私は経済学者でも政治学者でもなかったが、初めから共産主義・社会主義に引かれることが一度もなかった人間である。

 それは一つには、私が戦争中に、統制経済というものを体験したことに由来しているように思う。私の実家は商人と言うほど大きい店でもなかったが、「あぶらや」という屋号で零細な商売をやっていたところ、当時の統制経済のために家業が廃止させられた。そのころ、全く学問のない母などが、人に商売もさせないようなやり方で日本が良くなるはずはない……とよく言っていたのを、子供心に聞いている。戦後ソ連を非常に讚える人が、沢山出てきた。しかし母は「戦争に負けてから捕虜を連れて行き、働かせて返さないような国はだめだ」と言っていた。

 敗戦の年にまだ山形の田舎の中学三年生だった私にも、スターリンを礼讚するわが国のジャーナリスト、学者より、母の言うことの方が、真実に近く聞こえたのである。

 そして、ソ連では、どうやら、普通に商売ができそうもない国であるということ、結局そこに住んでいる人は戦争中の日本の配給制度みたいな制度で生きているのではないかと、少年ながらも推測した。そしてそれではだめだということは、私の動かない体験でもあった。

 戦後、一部のジャーナリスト、論客が、マルクス・レーニン主義、ソ連を賛美しても、私はあの体制では、戦争中の日本みたいになると感じていたから、ついに学生時代も一度も引かれたことはなかった。要するに私は社会主義・共産主義という体制を、配給制度としてとらえていたのである。

 社会主義・共産主義を配給制度としてとらえるというのは、私の素朴な体験から出た偶然のことにすぎないが、私は三十歳前後のころに、ハイエクという類まれなる経済学者──と言うよりは、私が知り合ったころは、もう哲人であったが──と知り合いになり、しかもそのエッセンスであるような講演の幾つかの通訳をし、そして先生の本を読むようになってから、自分の素朴な体験を理論的にも裏づけられたような気がした。

ヒトラーと共産主義は同根


 ハイエクが一九七四年十二月十一日、ストックホルムで行ったノーベル賞受賞記念講演は「Pretense of Knowledge」と題されたものであった。これは「知りもしないことを知っているような態度を取ること」を意味する。社会主義、共産主義は、計画経済によってすべての価格を統制し、コントロールすることを目指す。つまり、配給制度である。ハイエクのこの講演は、価格をコントロールし、経済を統制できると考えること自体が錯覚であり、これに政治が介入することの誤謬をあばくものであった。

 例えば、東京の喫茶店で飲むコーヒーの値段を役人が決めることができるであろうか。世界各地のコーヒー産地の生産高とその見通し、船の運送料、トラック、倉庫代、商社、卸売りなどの流通経費、喫茶店の賃貸料、従業員給料、室内に流すムード・ミュージックのCD、時にはカラオケ・セット……などコーヒー一杯の値段を決定する要因は何十、何百にのぼる。このすべての価格決定要因を、役人が情報を集めて決められる──と考えることが、人間の知力に対する過剰信仰であり、人間の傲慢なのである。それ故に、今、社会主義は解体を迫られているのである。

 ハイエクが昭和十九年ごろに書いた『隷従への道』に始まり、晩年の講演に至るまで、繰り返し主張したことは、全体主義は右も左も要するに同じだということであった。ハイエクは元来、オーストリアで教えておられたが、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)に招聘され、そこの教壇に立たれた。第二次大戦中、あるいはその直前、随分沢山の学者がドイツからLSEなどに来ていたようである。ナチスから追われてきたということで、当時ナチスと対立していたイギリスの学界は、この人たちを大いに歓迎した。

 しかし、ハイエク先生から見ると、ヒトラーから追われてきたという人たちは、ヒトラーと同じことを言った人たちと映っていたのである。それはどういうことかと言えば、ヒトラーもいわゆる国家社会主義(ナツィオナール・ゾツィアリスムス)であり、またヒトラーが喧嘩して叩き出した共産主義はインターナショナル・ソシアリズムであって、両方とも社会主義であった。
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