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逆説の時代
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第六章 平成宰相の器

『逆説の時代』
[著]渡部昇一 [発行]PHP研究所


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──誰でも首相がつとまる時代

ソ連に「NO」と言える日本


 一九八八年夏、トロントの先進国サミットが閉幕したとき、欧米の雑誌は「今度のサミットは『竹下サミット』だった」と伝えた。当時、最大の話題は、発展途上国の累積債務をどうするかであり、竹下首相は積極的な支援策を持っていった。ところが、そんな経済的な余力があったのは日本だけで、各国首脳からは取るに足る発言もなかったので、主導権はすっかり竹下首相にさらわれ、結局「竹下サミット」になったのである。

 八九年のアルシュ・サミットは、宇野首相が女性スキャンダルの渦中の人だったため、話題になる内容を提起する余裕が日本になかった。次の九〇年ヒューストン・サミットは、米ソがマルタで冷戦の終りを確認したあと最初のサミットだったから、各国とも模様ながめの態度をとり、結論は一九九一年のロンドン・サミットに持ちこされた。

 その直後に起ったのが湾岸戦争である。そこでの貢献が不十分とされた日本は、戦争終結後の外相の集まりに中山外相が呼ばれず、無視された。日本だけが置いてけぼりを喰って、お前なんかお呼びでないよという感じになったから、今度のサミットを前にして首相周辺は大いに心配したらしい。

 ところが、いざ蓋を開けてみると、ロンドン・サミットは依然として「海部サミット」であった。むろん表面上は、ソ連の大統領を初めてオブザーバーに呼んだことが大きな話題となり、ゴルバチョフ・サミットといわれた。

 これまでサミットとは、核兵力を持つ米ソ首脳会談をさし、日本のジャーナリズムでいうサミットは、「エコノミック・サミット」という形容詞付きだった。オブザーバーでも、ゴルバチョフが出席したことは、「エコノミック・サミット」が本物のサミットになったことを示すものでもあった。そしてそこでは、いかにしてソ連に財政援助を行うかが議題の中心だった。とはいっても、世界中どこを見回しても、その援助を行う力のある国は日本以外にない。そして海部首相は、その問題に「NO」といったのである。

 この「海部裁定」に対して、海を隔てて直接ソ連から難民がなだれ込む恐れのないアメリカとイギリスは、日本の理のあるところを認めて海部首相を支持した。いわく「穴のあいたポケットに、いくら硬貨を入れても仕方がない」。ところが、ソ連と地続きのドイツ、フランス、イタリアなどは、積極的な支援を求めて「海部裁定」に抵抗した。

 そういうとき、向うの人は必ず立派なことをいう。「ゴルバチョフを助けるのは人道的なことだ」云々だが、その裏には、一つはこのままソ連経済が崩壊すると大量の難民が流れてくるのを恐れたことと、とくにドイツの場合、早く旧東ドイツ地域にいるソ連軍に引き揚げてもらいたい。ところが帰っても住むところがないから、ソ連軍は引き揚げない。引き揚げても当面、彼らが生活に困らないぐらいの金を出してもらいたい、という事情があったのだろう。

 いずれにせよ、地続きの三カ国だけが、対ソ財政援助に熱心だった。しかし、日本が出さないなら、自分たちが勝手に出すぞというだけの余裕はない。結局、今回(一九九一年)のロンドン・サミットも、実質上の「海部サミット」になったのである。

 もっとも、前回のヒューストン・サミットの経済宣言には、一応、北方領土問題が盛り込まれたのに、今回は入らなかった。この点は後退であり、海部首相の弱さを示したものだとも考えられる。しかし、政治に満点ということはあり得ない。ロンドン・サミットにおける海部首相の「NO」は、ほぼ正解に近い線だったと思う。

 そして海部首相の「NOと言える日本」が効いて、ゴルバチョフ失脚騒動の主因となった。日本が財政支援を約束していたら、ロンドン・サミットでも各国の支持を得ることができて、ゴルバチョフも凱旋将軍のように揚々と帰国できただろう。
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