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第八章 日本の政治の何が問題か

『逆説の時代』
[著]渡部昇一 [発行]PHP研究所


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傀儡師たちの誤ちの本質


 ここ何年間、出版界には静かな織田信長ブームというようなものが見られた。今年(一九九二年)になってからはNHKの大河ドラマが信長になってそのブームは決定的になった。これは現実の日本の政界に対する国民のいらいらした気持ちや挫折感が、決然たるリーダーシップを示した信長に()け口を求めたのだと言ってもよいであろう。

 数年前に竹下内閣が辞職してからの日本の内閣は、宇野内閣、海部内閣、現在の宮澤内閣とすべて一種の傀儡(かいらい)政権である。傀儡政権にすっきりした決断など求むべくもないことは分り切っている。そうしているうちにも、世界は地殻変動ともいうべき大転換が行なわれている。ソ連東欧圏の崩壊によって、世界の基本的構造が一変しているのに、日本は傀儡政権の連続であってよいのか。たとえば湾岸戦争では、戦争主体国のアメリカは増税もしなかったのに日本は増税して一兆円以上の醵金したのにお礼も言われなかった。日本はこんなことをしていていいのか。

 その思いは募っても、昭和初期のような英雄待望論にならず、過去の英雄信長で代用しているところに、現代日本人の成熟を見るべきなのであろう。大正末期から昭和一ケタにかけての日本に加えられた国際的な圧力はすさまじかった。第一次大戦直後、国際連盟規約ができる時、有色人種の代表国とも言うべき日本が、人種の平等をその中に盛りこもうと提案して取り上げられなかったのを初めとして、アメリカの排日移民法、更にアメリカのスムート・ホーリイ法(一九三〇年)とイギリスの帝国オタワ会議(一九三二年)による世界のブロック経済化、等々。このような情勢の中で日本のインテリや民衆にも強いリーダーシップを望む気分が強く醸成されていて、足の引っ張り合いばっかりやっている議会政治がいい加減いやになる風潮が強かったのである。

 しかし今は違う。傀儡政権にはうんざりだが、議会政治に対する失望感はない。政治的不満と言っても世界の大部分の国にくらべれば贅沢な種類のものである。織田信長の小説やテレビでかなり心理的代償を得ることができると言った程度のものだ。

 しかし客観的には贅沢な不満でも、不満を感ずる人にとってはその不満はリアルである。そこに不満のもとになっている傀儡政権を操り続けて来た傀儡師と言うべき竹下派に問題が生じたのだ。五億円の政治献金問題、更にはそれと関係する暴力団の影がちらちらする。国民の不満が、傀儡師に向けられたのは当然である。傀儡自体である宮澤首相に対するマスコミ批判はつけたりである。ではこの傀儡師たちは何を、何故犯したのか。その本質を考えてみようではないか。

「鉄と血」か、「カネとコネ」か


 ここで、政権というものは本来の性質として、孔子の言葉を借りるならば、「虎ヨリモ(たけ)」くなりうるものであることを銘記しよう。信長でも自らの政権のために邪魔になるものは殺戮し尽す決心であった。比叡山でも焼き尽したのだ。世界的にも珍しい平和安定政権を確立した徳川家康も、政権樹立のためには関ケ原、大坂の役と「鉄と血」を使ったのである。

 明治維新も、徳川幕府から政権奪取するためには、戊辰の役を戦い、またその政権を安定させるためには数々の乱を鎮圧し、最後には西南の役という「鉄と血」をふんだんに使った戦いによらねばならなかったのである。

 ヨーロッパでも同じことである。フランスでは王制から共和制への政権移行に当って、フランス人はいかなる王様もやったことのない同胞の大殺戮を行なった。二十世紀になっても、ロシア革命や毛沢東革命によって数百万人から千万人以上の同胞殺戮が行なわれたことは記憶に新しい。政権交替というものは本質的に虎より猛くなりうる本性を持っているのだ。

 だがここで、虎よりも恐ろしい政権に綱をつけたり口輪をはめることに制度的に成功した民族が現れた。イギリス人である。誰でも知っていることの復習で恐縮だが、現在の状況の本質を理解するために極めて手短かに要点をふり返って見よう。

 西暦一二一五年──日本で言えば鎌倉三代将軍実朝の建保三年──に例のマグナ・カルタ(大憲章)ができた。「虎よりも猛き」王権に初めて綱をつけたのである。

 十九世紀の代表的な史家の一人で博学をもって尊敬されたヘンリイ・ハラムは「今に至るまでマグナ・カルタは英国的自由の要石であり、それから以後の全法律が消え去ろうとも、専制的君主国と自由な(立憲的な)君主国を区別する際立った輪郭は残るだろう」としている。そしてこのことを世界が認めたからこそ、英国は十八世紀フランスやドイツの知識人たちにも尊敬されたのである。

 王権に綱をつける試みはいくつもあったが、ここで問題なのは、どうしてマグナ・カルタだけが長い間有効であったか、である。これについてはルドルフ・グナイストの卓越した著作がある。ちなみにグナイストは伊藤博文が憲法調査のためにヨーロッパに行った時のベルリン大学の憲法学教授であり、彼が伊藤博文に対して行なった旧プロシア憲法の逐条講義の骨格部分が明治憲法の骨格になった。

 グナイストは、なぜイギリスのマグナ・カルタだけが永続したのかについて、平たく言えば王に要求する側があまり欲を出さなかったからだといっている。つまり、過激な王権制限ではなく、きわめて緩やかなものだったのだ。基本的な点は、王(政権)に対して二四人の貴族が一体(コーポラル・ボディ)として抵抗権を持つことを文章で確認させたことである。
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