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(2021/11/26 追記)

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歴史の鉄則
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政治・社会
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まえがき

『歴史の鉄則』
[著]渡部昇一 [解説]竹内靖雄 [発行]PHP研究所


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 今月の『諸君(平成五年九月号)に養老孟司東京大学教授が「木を切る」という表題のエッセーを書いている。「棲みわけ」理論やサルの研究者として専門外の人たちにも広く知られている今西錦司氏は日本が世界に誇る生物学者である。その庭にはケヤキやエノキやクスやイチョウなどの木が茂っていた。今西氏はこうした自宅の庭の木を見ながら読書し、思索し、独創的な著述をした。大木の多いこの庭のことを、近所の子供たちは「今西の森」と呼んでいたという。ところがこの「今西の森」の約半分が一周忌の前に切られてしまった。

 理由は相続税のためである。当主が死ねばその家から、強盗団が定期券を持って通っても盗み切れないほどの財産を税務署が奪ってゆく。今西家でも相続税を払うために土地を物納せざるをえなかったのである。「今西の森」の巨木のある部分も物納されることになった。税務署は木の生えた土地ではなく「更地(さらち)」にして提供せよと指示してきた。かくて「今西の森」は当主が死亡しただけの理由のために、国の命令で切り払われることになった。

 こういうことは封建時代のいかなる暴君もやったことがない。叛逆をくわだてた人間の邸の取りこわしなどはやったであろうが、今西氏は善良な市民で、文化勲章を国が授けるほど学問上の貢献をなした人である。ところがその人の遺族は、あたかも江戸時代の闕所(けつしよ)の刑に処せられたような取扱いを受けなければならない。闕所の時でも大きな木まで切らせるようなことはしなかったのではないか。これは別に京都の税務署が特に残酷だったわけではない。きっと内部通達やら何やらあって、そうなるのであろう。日本の戦後の税制、つまり国家の仕組みがそうなっているのだ。
「今西の森」のようなことは、日本中に毎日起こっている。消えてゆくのは森だけではない。何代も続いた倉も、当主が死んだだけのことで、昔ならば叛逆でも起こさなければ科せられなかったような懲罰を受けて、つまり酷税を割当てられて姿を消してゆく。古い日本の文化、民間に残った文化──これが本当の国民文化であるのだが──はもう十年もすれば、綺麗さっぱり日本から消えるであろう。アメリカの無差別絨緞爆撃からも原子爆弾からもまぬかれたものが、税金のために根こそぎ消え続けている。

 どうしてこんなことになったのだろうか。税金を扱う学問や専門的技術のことはどうでもよい。税金に難しい話があるわけはない。昔は年貢と言って、文字の読めない水呑百姓にも解る話なのだ。

 税金には我慢できる税金と悪税の二種類しかないことぐらいは弥生時代の日本人にも解っていた。その誰にでも解るという範囲の話が、税金問題の根幹部であり、税務署員や税理士にしか解らない話は税金問題の枝葉末節にすぎない。ところが税制調査会でも枝葉末節だけ、つまりテクニカルな部分だけが論議される傾向にあって、封建時代の水呑百姓にも解るような根幹部は論議の対象にならないのだ。たとえば「主人に死なれた未亡人が家屋敷──猫のひたいほどの──を売らなければならないような相続税は是か非か」というような誰にでも解る議論はなされないのである。

 われわれの今日の税制は、封建時代の最悪のものよりも苛酷である。今の税金は、江戸時代ならば百姓一揆や都市暴動が休みなく起こって、いかなる大名でも統治できないほどの苛酷なものであることをわれわれは忘れるべきではないであろう。どうしてこんなことになったのかといえば、その底には社会主義がある。徹底した社会主義になれば私有財産そのものを否定するわけだから、そこの視点から見れば、今の税制は苛酷でも何でもない、ということになるであろう。私有財産否定の思想に立って国造りをすればどういうことになるかは、旧ソ連・東欧圏を見れば一目瞭然になった今日でも、今の税制の根底思想である社会主義は健在であり、毎日毎日、日本中の小さな「今西の森」を消して更地(さらち)を作り続けている。

 そう言えば戦後は奈良の大仏ができたのも権力者が民衆を搾取したからだと学校で教えた。「今西の森」も「公団に住んでいる人がいるのに庭を持つとは()しからん」という考え方と同根の税制思想によって切られたのである。日本文化にはカルノー・クラウジウスの法則、つまり熱力学の第二法則(エントロピーの法則)が容赦なく働いているようである。元来、生物の発生自体が──いわんや文化は──カルノー・クラウジウスの法則と逆に働くのを根本原則とする。社会主義は文化に対してエントロピーの法則を働かせることであると言ってよい。まことに象徴的に「今西の森」を切ったではないか。切られた森は熱力学の第二法則に忠実に、エントロピーの増大を意味する。

 税制は本来税務署の責任ではなく政治家の責任である。政治家が政治献金を受けても税金がかからない。税金のかからない人たちの税金に対するセンスには恐ろしいものがある。最近も、新しく誕生した細川首相は、侵略戦争とか戦争責任とかを口にしておられる。何十年も前に平和条約が締結され、それぞれの国の議会で批准されたことを改めてむし返す首相がどこの世界にいるだろうか。首相のその種の発言は直ちに何十年も前に決着済みの賠償問題の再開につながりうる。あと何百兆円の税金を国民や会社から取り立てる気なのか。こんな政治家が政府や議会にうろうろしている限り、税金を納める国民は安心できない。馬鹿殿様が吉原で遊びすぎて、年貢を増やそうというよりもはるかに恐ろしい。年貢ならば一揆という防衛手段があるのだから。

 この本で私がのべようとしていることは、税金に関する根幹のことばかりである。したがって難しいことは何もない。義務教育と多少の社会経験があれば誰にも解る話ばかりである。一方、税の専門家は根幹の問題をさけて、枝葉のことばかり詳しくのべている傾向がある。ここに本書の存在理由が多少なりともあると思う。ここにのべていることが有権者の大多数の共通認識になれば、税金は抜本的に安くなり、私有財産は神聖となり、未亡人は土地を売らなくても今まで通り住み続けられるようになり、企業は香港などに本店を移す必要がなくなるであろう。

 税金と私の関係はと言えば、毎年納税しているだけのことである。私は税法のテクニカルなことは勉強をしたこともないし、する気もない。何がどうしたせいか消費税導入の頃の政府税制調査会の特別委員にならされたこともあったが、それ以前から抱いていた税についての考えが少しでも変わるような体験はしなかった。

 私の税についての考えは、ハイエク先生の言葉とパーキンソンの書物が二個の泉となって、そこから出発している。それについて私がここ二十年間ほど考えてきたことをまとめたものである。「土地」と「その他の富」は現代においては峻別されるべきである、ということに思い至った時、私は税金について本をまとめる気になった。

 本書ができ上がるに当たっては、PHP研究所の松本道明氏の励ましと、編集の実務に当たって下さった今井章博氏の努力に負うところが多い。ここに感謝の意を表する次第である。

平成五年 八月 細川首相の侵略戦争うんぬんの発言に憂慮の念を深くしつつ
渡部昇一
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