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歴史の鉄則
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政治・社会
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第三章 「潰れっこなし」と考えれば日本は危うい

『歴史の鉄則』
[著]渡部昇一 [解説]竹内靖雄 [発行]PHP研究所


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──サッチャー夫人に学ぶ「小さな政府」の作り方──

(一) 「潰れっこあり」か「潰れっこなし」か
──「安心感は地面の上」が招いた戦前日本の悲劇──

近代社会の恐ろしい一面に警鐘を鳴らしたサッチャー夫人


 一国の栄枯盛衰(えいこせいすい)は歴史の(ことわり)であるけれども、どう考えてみても税金の高い国が長続きした例を上げることはできない。

 現代の庶民は百年、二百年前よりもずっといい暮らしをしていると思うが、近代社会には恐ろしい面があって、それは個人の勝手を許さない細かい網が張りめぐらされているという機能である。

 その最たるものが税制で、国民一人ひとりにバーコードがついていて、たちまち収入と支払うべき税額とが表示されるような仕組みができあがっている。

 しかし、これまで述べて来たように、富が国民の手から政府の手に大量に移動すると、その国は必ず衰退し始める。社会主義も共産主義も、美しい理想とは裏腹(うらはら)に、たちまち強欲(ごうよく)になって国の活力を吸い取ってしまうのである。

 十九世紀半ば、世界中の石炭・鉄・綿製品の半分はイギリス製であり、さらに世界中で作られる商品の三分の一が、イギリス製だった。今世紀初めまで、地表面積の四分の一はイギリス領、地球人口の四分の一を支配していた。世界中の船の総トン数を全部足しても、イギリス船籍の総トン数にはかなわなかった。世界貿易の四分の一は、イギリスが主導権を握っていた。

 そのイギリスが、これまで述べて来たように衰弱してしまったのは、高すぎる税金のためだった。

 マーガレット・サッチャー夫人が、労働党のキャラハン政権を破って首相になった一九七九年、前に一寸ふれたように所得の最高税率八三パーセント、不労所得の最高税率は九八パーセントだった。サッチャー夫人の登場は、レーガンの登場とともに、二十世紀の社会主義的な流れをストップさせた功績で、長く後世に伝えられることになるだろう。

 この章では、サッチャー夫人が行った政策やサッチャー夫人自身を考察しながら、近代社会の恐ろしい一面をいかにくいとめて行くべきかを考えてみたいと思う。

最大多数の最大幸福は本当に倫理的なのか


 サッチャー夫人は、首相になる三年前の一九七六年五月四日、保守党のジュニア・カールトン・クラブというところで、次のような演説を行った。

「われわれが目的とするのは、(まれ)に見る無能な今の政府を政権の座から追い払うだけではありません。労働党は社会主義を拡大するために存在しているわけですが、その社会主義の誤謬(ごびゆう)を、そうです、社会主義の全誤謬を破壊することが、われわれの目的なのです。

 そうしなければ、労働党の支配者たちは、労働党の失敗をつきつけられるたびに、
『社会主義の教義は依然として真理なのだが、そのやり方がまずかっただけなのさ』

 と言うことでありましょう」


 サッチャー夫人の画期的なところは、対立する労働党の一つひとつの政策の失敗を批判したことではない。労働党が政策基盤として()って立つ「社会主義そのもの」を批判した点である。社会主義の存在理由に疑問を投げかけた点が、サッチャー夫人の一大功績なのである。労働党の失敗はやり方がまずかったのでなく、その基盤である社会主義そのものが悪かったのだ、という指摘はわれわれも忘れてなるまい。ソ連や東ドイツはそのやり方がまずかったのではなく、その基盤である共産主義そのものが悪かったのだということを銘記すべきであろう。「主義はよかったが、やり方がまずかった」という声は日本ではまだ聞かれるし、これほど危険なごまかしはないのだ。

 労働党の強さの根源が、「知的かつ倫理的」なものと広く思われていることにあるということを、それまでの長い政治生活で悟らされたサッチャー夫人は、社会主義が本当に人間を幸福にする考え方なのかどうかを国民に提示した。

 十九世紀以来、「最大多数の最大幸福」とか「揺りかごから墓場まで」といった社会主義的な考え方は、イギリス国民の常識のようになっていた。何となく、これに反対することができない空気があった。「資本家は悪、労働者は善」という善玉悪玉(ぜんだまあくだま)論が、知識階級や労働者階級を支配していた。

倫理的に肩身が狭かった保守党の人々


 すでに述べたように、その主流はウェッブ夫妻を中心とするフェビアン協会の人々や、彼らが設立したLSE、すなわちロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス(五年後にロンドン大学の一部に編入)出身の学者、政治家、官僚といった人たちだった。

 LSEの教授、学生すべてが社会主義者というわけではなかったが、その傾向は強かったし、LSEからは何人ものノーベル経済学賞受賞者を出して世界の経済学の殿堂になっていたから、社会主義に対する「知的、倫理的」な支えとなっていた。いわば、LSEのおかげで社会主義に「後光(ごこう)」が()していたのである。

 かくして、保守党は労働党に対して、「知的、倫理的」に肩身の狭い思いをしなければならなかった。だいいち、戦後イギリスの二大政党の間には、本質的な政策の違いはなかった。最終目的地は「福祉国家」であって、それに向かって労働党が時速一〇〇キロのスピードで走っているのに、保守党は制限時速を守って走っているような感じだった。

 だから、いくら保守党が労働党に向かって、「スピード違反だ」と言ってみても、福祉国家に向かっているのだから、早く行こうとする方が有利であって、安全速度を守ろうという主張は力ない主張に終わってしまうのが落ちだった。

 そうこうしている時代には、時たま保守党が政権についても、社会主義的な政策をやめるわけには行かない。それどころか、保守党の中に、「真の理想を掲げる者は、自分たちではなく、社会主義者ではないか」と感じている人間は数多かった。

 それは、均一的な富の分配を理想とする社会主義の風潮の中で、「利潤」の追求が「倫理的」に正しくないように思われたことも一因であった。

 そしてこれには、キリスト教の金銭に対する偽善的な発想も影響している。新約聖書(「テモテオ前書」三・三)の中に、“filthy lucre”(フィルシー・ルーカー)という言葉が出てくるが、これを訳すと「(きたな)い金」という意味になる(欽定訳の英語では「汚い金をむさぼらず」であるが、ドルバロ訳では単に「利をむさぼらず」となっている)。ところが金銭を(よご)れたものと考える一方で、キリスト教文化圏では、非常に富にこだわるのである。金銭そのものがきれいか汚れているかというより、要するに交換手段なのだから、富を得る手段として考えればよいだけのことだと思うが、西欧精神の土台となっている思想の中に、金を汚いものだとする考え方があることは間違いない。

 そしてまた、どんな社会にも言えることは、驚くほど違った見方をする人々が混在しているということである。立場が異なれば、人は全く異なった物の見方をする。金銭についても同様のことが言えるのである。

「潰れっこない」と思う人には金が怪しく見える


 そもそも、天下泰平(てんかたいへい)の時代には、金銭は怪しいものに見えるものである。日本でも、戦国時代や幕末から日露戦争までの間は、金銭を怪しいものと考える見方は少なかった。

 金は力であった。金が兵隊を集め、戦争を遂行(すいこう)させた。
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