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歴史の鉄則
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政治・社会
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第四章 「配給」を排し、「自由」を育てよ

『歴史の鉄則』
[著]渡部昇一 [解説]竹内靖雄 [発行]PHP研究所


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──ハイエク先生に学ぶ民富論──

(一) 徹底的に「配給」を批判したハイエク先生
──大きな政府は、結局、エリート支配になる──

「配給は、あれは駄目なものだなぁ」という母の言葉


 レーガンやサッチャー夫人の政策が、もっと徹底したものであったら、その後に続く世界の経済状況はだいぶ違ったものになっていたであろう。それが大変残念だが、それにしても、ソ連・東欧圏を崩壊させるもとになったという功績を消すことにはならない。

 私は二人に勇気ある政策を実行させたのは、フリードリヒ・A・フォン・ハイエク(一八九九〜一九九二)の学説だと思っている。オーストリアの名門貴族の生まれで、一九七四年にはノーベル経済学賞を受賞した根っからの自由主義者である。

 私には特別な思い出があるので、ハイエク先生と呼ばせていただく。私がハイエク先生にお目にかかったのは、東京オリンピック(一九六四年)直前だった。日本の経済界の招待で来日され、何回か講演された時、たまたま私が何回か通訳をつとめたのである。

 私はドイツに三年間近く留学し、そのまま帰国しないでイギリスに留学した。それで、ドイツ語と英語を使えたので、通訳の幸運に恵まれたのだった。といっても、今の神技(かみわざ)に近い帰国子女の同時通訳の方たちに比べれば、覚束(おぼつか)ないものではあったが……。

 個人的な話になって恐縮だが、ハイエク先生の思い出は私の母の思い出につながっている。私の家は山形県の片田舎で、『あぶらや』という屋号そのままに零細な油屋を営んでいた。戦争が終わって一、二年目の頃、東大経済学部教授の大内兵衛(おおうちひようえ)先生が、二、三の先生と一緒に、「東大エクステンション(拡大講座)」と称して講演旅行をされた。

 当時、大内先生は吉田茂(よしだしげる)内閣から入閣を求められたが、これを断わるということで、大変な有名人だった。私は、演壇の偉大な巨人を仰ぎ見て、ただもううっとりと聴きほれて帰った。

 大内先生が話された内容は、鉄、石炭、石油といった重要な物資は、民間の私企業に扱いを任せると、貧富の格差が生じるから、国家が管理して公平に配分すべきである、といった主旨(しゆし)だったと思う。

 私は偉大な経済学者の話を、有頂天(うちようてん)で父や母に語った。父は、「なるほど、俺もそう思っていた」と、調子よくうなずいた。ところが、母はこう言った。
「私は頭がよくないからよくはわからないけれど(母はテレビの『おしん』以上の苦労をした人で小学校も出ず、仮名は知っていたが漢字はほとんど知らず、したがって新聞も読めなかったので自分は頭が悪いと信じ、意見をのべる時は『自分は頭がよくないからよくはわからないが』という前置を枕言葉のように言ったものであった)、どんな偉い先生か知らないが、それは『配給(はいきゆう)』を続けろと言っているように聞こえる。配給というのは、あれは駄目なものだなぁ。どんな人が言ってもあれは駄目なものだ」

 戦前、国家総動員体制になって、物という物が全部統制経済の(もと)に置かれた。当然、わが家の商品である油も統制品だった。自由に商売が続けられなくなった。配給制度は、わが家から商売を奪った。

「配給は駄目、闇は正しい」とハイエク先生は言った


 母はいつも、
「配給は駄目だ。勝手に商売させないような政府は、どんな立派なことを言っても駄目だ」

 と言っていた。協停価格や公定価格のきまった商品には──ほとんどすべての商品がそうであった──とかという判子(はんこ)を押す。私もその手伝いをしたものだった。

 私は、母の「配給はよくないものだなぁ」という言葉を聞いて、考えて見ると、なるほど大内先生の話は「配給」という言葉を使っているわけでないが、結局は母の言うように配給制度になってしまう話である。
「なんだ、配給制の話を聴いて感心して帰って来たのか……」

 その時の印象がいつまでも心に残った。

 その後、上京して大学に入学してから、『世界』とか『中央公論』といった難しい雑誌の論文を読もうと心掛けた。当時のこの種類の巻頭論文は、やたらに難しかった。ところが、読んで行くうちに母の言葉が思い出されて、
「要するに、配給を続けろということか」
「待てよ、配給を続けている国がいいということなのか」

 という思いが強くなる。私はそのてのものを読むのをやめた。そうこうするうちに私は、ドイツ・イギリスに留学してしまった。昭和三十年代前半のことだ。当時のドイツは、市場経済。ハイエク理論を導入したアデナウアー内閣のエアハルトが経済大臣だった。日本と同じ敗戦国でありながら、驚くほど物資が豊富に出回っていた。

 ところが、イギリスへ行くと、ドイツほど豊かな感じがしない。戦後すぐに成立した労働党の社会主義政権の影響で、配給制度の解除が遅れ、なおかつ保守党も社会主義的な政策を続けていたからだと思われる。

 こういう実態を見て帰って来た私が、ハイエク先生の通訳をすることになった。ハイエク先生は徹底した自由主義者だった。……社会主義経済は、どんなに穏健なものでも、結局は一握りのエリートが計画し命令する統制経済になる。つまりは命令経済になる。それならば、いかに混乱しているように見えても「闇市(やみいち)」の方がよい。自由市場は、誰かの命令を受けて取引きが行われたりしない。ある商品が欲しい人と売りたい人、それを作った人、運んだ人の欲望が「価格」を作り出す。誰かが価格を命令的に決めることができない。自由市場価格を決定するのは多数の消費者である。統制経済=命令経済の体制では価値を決めるのは役人だが、すべての商品に正当な値段などは、いかなる官僚機構をもってしても原理的に不可能である。それに対して、「配給」くらい悪いものはない。それは、自由を奪うものだ。経済制度が自由でなくて、政治的自由があるわけがない。だから、「配給」と「闇」では、絶対に「闇」の方がいい……。こういうお話を、日本の代表的な経済人や官僚の前でされ、私がそれを通訳したのだった。

 私は感動した。そして、母が体験から語った「配給は駄目なものだなぁ」という言葉を思い出した。これほど高名な世界的な学者が、私の母が東北の片田舎の小さな商売で得た実感を裏付けしてくれたことが、心から嬉しかった。

 私は講演ばかりでなく、東京見物や買い物の場にもハイエク先生や夫人のお供をした。経済学者というより、ある種の哲人の風格すら感じさせたハイエク先生だが、気取るところのない穏やかな方だった。
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