立ちはだかる壁
私たちは、すでに時間との勝負の状況にあった。
まず、ワールドカップ出場のための三つの絶対必要条件、

代表チームが存在すること、

往復の交通費があること(航空運賃)、

出場にかかる費用があること、が何一つ整っていない。要は、出場の意思があって、選手がいて、資金があるかどうかだ。
日本チームにとって、一番困難であろう資金調達に関していえば、総額500万円程度が必要なプロジェクトであることを認識していたが、いまだ1円も集まっていない。
この他の要件で主要な項目となったものは次の通りである。
【野武士ジャパンのチームアップ】
[代表選手8人の決定]

練習参加者の意思確認

代表選考
[代表選手のチーム化]

チーム理念の定立

チーム、個人の目標設定(最終的には自立)

練習頻度向上

練習試合の実施

チームキャプテンの決定

ホームレス・ワールドカップ特有ルールの理解

代表合宿の実施
【プロジェクト推進】
[推進組織の組成、決裁]

野武士ジャパン派遣のための事務局の組織化

推進スタッフ、ボランティアの役割分担
[渉外]

ホームレス・ワールドカップ本部との調整

国内関係者との調整
[ファンドレイズ]

ワールドカップ出場費用 総額500万円の資金集め
[広報]

HP、ブログ、Facebookなどの整備

メディアへの周知

プロジェクトの記録
[選手のサポート]

パスポート取得

健康状態の確認

集団行動への適応力の確認
大きく、とても高い壁だった。
こうして一つひとつ書き出していくと、内装や外装をごまかすだけではこのプロジェクトは成功しないことに改めて気づかされた。そしてこれを実現するための日本社会の障害が容易に想像できた。
どんなプロジェクトも思いだけでは実現できないことを私たちは知っている。プロジェクト推進のために、目的と手段との区別、プロジェクトの全体像を俯瞰しグランドデザインや戦略の構想、それを踏まえ抽象的な業務案を具体的なタスクに構造化し個別戦術を決め、各人に役割を付与し、進捗を管理する。何より思いを貫く信念や情熱と、このプロジェクトを実施することの価値を関係者に認めてもらうことが必要だ。
しかし、無責任なコンサルタントが描くこのようなプロジェクト・デザインだけでは、このプロジェクトは前進できない。
大げさかもしれないが、私たちが見つけた問題、いままさに挑戦している問題は、日本が抱えているあらゆる政策課題の解決や日本を再建するために構造的、抜本的改革が必要なテーマそのものだった。広義には規制改革、構造改革ともいうのだろう。低迷する日本において一人ひとりが自分の身の回りの小さな不都合も改革できないのでは、大きなプロジェクトで社会を改革できるはずがない。
志や信念を基礎に、何か新しいことを行う意志ある人に対して、ある種のあきらめを誘発させるような大きく静かな社会に向かって、客観的には実現不可能とも思えるプロジェクトに私たちはチームとして挑戦する覚悟を決めた。
はせさんが事務局の中心となり、ビッグイシュー東京事務所長の佐野未来さん、服部広隆さん、野武士ジャパンマネージャーの北野里実さん、私を含む数名のボランティアが一つのチームとなり一つひとつの課題を解決していった。
対応は、正直言って場当たり的だった。理由は単純で、プロジェクト・リスクの予見可能性がしにくく、その対処法に関する知識も情報量も不足していたためだ。トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、一歩一歩進んでいった。
しかし、そんな中、日本を国難の悲劇が襲った。
東日本大震災と震災ホームレス
2011年3月11日(金)、東北地方太平洋沖地震が発生した。当時の私は、物流関係の投融資業務を行う営業部署に所属しており、年度末ということもあって忙殺されていた。今回は学生時代のように被災地に飛んでいくことはないだろうと、悔しくそして残念な気持ちになっていた。
というのも、2004年10月23日の新潟県中越地震の際、当時大学3年だった私は、社会基盤学を専攻していたこともあって、友人に声をかけ、共感してくれる7人とともに翌日に現地入りし、ボランティアセンターの立ち上げと統括、ボランティア活動を約1か月行ったことがあった。
どの調査機関よりも早く現地入りしたので、現地のボランティア統括として続々と現地入りするボランティアのコーディネーションと市役所との情報共有機能を担った。帰京後は、土木学会の本調査団の権威たちの前で報告する機会を得た。